【掌編】ルーチンもこなせないけど、かいぜんかいぜん
彼のことは仮にTさんと呼ぶ。
Tさんとの仲は、まあふつう。必要があれば話をする、おなじ会社の人、といったところだ。
Tさんは、Mさん、スマホを手にいつのまにやら姿を消す人、の弟分だ。「なんだよおまえ、そんなところで躓いているのか、貸してみろ」
あのMさんが、Tさんのためならば5時前からでも仕事をするし、息抜きのゲームで宝の地図を交換しあったり、連れ立って喫煙コーナーに出かけて行ったり、している。
そんなTさんの行動は、傍から見ても、やんちゃ坊主な弟のように見えるから不思議だ。元気いっぱい、なぜか自信ありげにオフィス内を歩いているかと思えば、なにもないカーペットに躓き、おっとっと、と周囲を笑わせる。
そして、やんちゃ坊主な弟は、周囲をヒヤヒヤもさせる。
「データを送っているのに、なんでわざわざ紙に印刷もして送らなくちゃいけないのかな。面倒だし無駄じゃない?」
「面倒ですけれど、先方のご要望なので」
「そんなの、断ればいいじゃん、かいぜんだよ、かいぜん!」
そう言ってTさんは、これまで郵送していた紙の書類を送らないことにした。
また別の日には、
「なにこれ、こんなメンバーで会議したって決まるわけないじゃん。オレがやるよ。テコ入れしてやる!」
鼻息荒く、呼ばれてもいない会議が行われている会議室へ突進して行った。
改革意識が高いのか、やる気が溢れすぎているのか、なぜか自信たっぷりの様子で、サクサクと思いつきを実行していく。けれど周囲にとっては、それがヒヤヒヤなのだ。
「お願いしていた書類が届かないのですが」
「今日の分のデータ、まだ届かないんですけど」
突然、そんな電話がかかってくる。当然すべき先方との調整がされていないとか、日々のルーチン業務が後回しにされている、なんてことが判明する。電話を受けてヒヤッとしたり、ドキリとしたり、寄せられる問い合わせの電話に頭を下げるのは、Tさんではなく周囲の私たちだ。これがいつ、どのタイミングでやってくるのか、わからないのだからたまらない。
「Tさん、これやってありますか?」
「Tさん、これって先方にはいつ連絡したんですか?」
なにごとも常に確認しなければならない。いつか大惨事を招いてしまうことを警戒する。
「え、なになに、そんなこと聞かないでよ。やるよ、やる。自分でできるよ」
防衛策を講じる私たちを、Tさんは鬱陶しそうにいなしていく。
「なになに? もうやだ、放っておいてよ」
そう言いながらどこかへ行ってしまうことも、しばしばだ。社内で行方不明になることすらある。それでも、きちんと調整したり、ルーチンを疎かにしないという兆しは見えなかった。私たちがどんなに警戒しても、問い合わせは一向に減らない。
いやあ、まいっちゃうよ。これでいいのだろうか?
まずは、やることはやる、そういうものじゃないのかしら。
*
夕方近くなって、「ああ、そうそう」一日中無言だった部長が突然、声を発した。
「悪いんだけど販促資材が改訂になるから、今あるもの、大至急で本社へ戻してください。今日中に発送してね」
え、今から?
時計を見る。最終の配送手配の電話をするにはぎりぎり間に合うタイミングだった。おなじことを、きっとみんなしただろう。それでも、誰の手も電話まで伸びてはいない。
正直、動きたくなかった。私だけじゃない。誰も動こうとしない。そうだろう、そうだろう。こんなの、誰かに任せちゃおうって、そういう雰囲気になるに決まっている。5時からやる男のMさんですら、無視を決め込んでいるじゃないか。
「しょうがないなぁ!」
立ち上がったのはTさんだった。
「ボクは在庫のダンボールを数えに行くから、Mさん、配送手配の電話してください。女性陣、ガムテの用意と配送伝票の用意だけ、誰かやってくれますか。って、ボクが急がないとな」
そう言ってTさんは走り出した。
数分ののち、大汗を書きながら走って戻ってくる。
調子のいいことだけ言っているんじゃなく、自らリーダーシップを発揮して動く。弟分だと思っていたTさんが。これはちょっと見直しちゃうな。
定時のチャイムが鳴るぎりぎりに、荷物は無事、発送された。
「ありがとうございました」
何人かがTさんに向けてお礼の言葉を述べた。
「なあに、こういうときにね、徳を積んどくんだよ。欲する前に与える。すると与えた倍の見返りがある。この労働は来月あたりに、なにかすごいことになって返ってくるはずだからね、みんな覚えといてね」
Tさんは、どや顔でそう答えた。
なんだよ、打算の上の行動じゃないか。見直して損した、という気持ちになる。
けど、ま、今日のところはヨシとするか。Tさんの行動力に、みんなが助けられたのはまちがいないしね。
彼はTさん。必要があれば話をする、おなじ会社の人だ。
<-ダレソレ-「ルーチンもこなせないけど、かいぜんかいぜん」おわり>
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