メインだサブだと決めなければならないような世界には止まれない
「あなたが好きなものはアングラすぎる」
先日、そんなことを言われて私の頭は急速回転した。
アングラ? アングラって前衛的とか実験的とかって意味じゃなかったっけ? 商業性を無視したものとか。
いやいやいや、売ってますよ、買ってますよ、売れてます。
サブカルって言いたかったのかな?
まあ、サブカルなら、わからないでもない。独特なものが好きだよね、好きなものが独特だよね、ちょっと変わってる、って言われることがあるから。
けど概念としてのサブカルって考えると、私の好きなものがサブカル、メインカルチャーじゃないってわけじゃない。新聞や雑誌なんかでちゃんと評価対象として取り上げられるから、メインカルチャーよ!
でもまあ、メインだ、サブだ、なんて、そんな線引きは関係ない。いいものはいいし、好きなものは好き。
「あなたが好きなものはアングラすぎる」
そう言われたとき、私は私の好きなバンドについての話をしていた。どんな音楽が好きかを説明していた。
「熱い漢のロックバンドなんですよ」
ひとことで言ったらこれよって思うのだけれど、これではどんなバンドか伝わらなかった。もっと具体的にどんな人たちの、どういう音なのか。
問われて出て来る言葉は、
「50代」
「まっすぐ」
「リズム&演歌」
うん、これもやっぱり伝わらなかった。
その結果の「あなたが好きなものはアングラすぎる」だった。「そういうのが好きなんだ。変わってるね」と。
そうかもしれない。変わってるかも。けど、いいものはいいのだ。
そのバンドも自らの特異性、変わり種としてに実感があり、取材や曲間のMCなんかでもそれを話題にしている。ヘンなヤツ呼ばわりでもかまわない、それがオレたち、それがいいのだと。
同感だ。それがいい。私もそう思う。私からしたら理想的だ。憧れの存在ど真ん中、そのまんまを生きているバンド、その名は怒髪天。
ああ、なんかフェスでおもしろいの観たことあるかも。
ラー油のCMの人でしょ?
ああ、いだてんにでてる?
バンド名を告げるとそう返されることがある。
「なんだ、そう! 知ってるじゃない! そうよ、その人たち! いいでしょ?」
「いいのかなー?」
「なに言ってんの、覚えてる、印象に残っているっていうのは無意識の好意だよ」
「そうなのかな」
芽生えたばかりの気持ちに気付いていない人の背中を私はそっと押す。
こんな感じで、好きを育んでいく人もいるだろう。
そんなことをせずとも、一目惚れでガッツリどっぷりって人だっている。
私もそのうちの一人だ。
テレビでほんの少し流れた映像に、「なんだ、今のは?」と一目惚れ。画面右下に小さく表示されていた文字が漢字だったことを頼りに、私は彼らを探した。
当時は今のように、「まずは検索」、なんてできるような時代じゃなかった。レコードではなくCDでアルバムが発売されることが増えて来た直後くらい。
世はバンドブームだと言うのに、私の住んでいた地方都市の田舎町では超絶人気のアイドルでも店頭販売は数枚、それ以外のCDは入荷するかどうかも怪しく、予約必須というような販売店しかなかった。そんな状況で私は、軽音部の先輩たちがどこかから入手してくるミニコミやペーパーや雑誌の中にやっと彼らを探り当て、アルバム「怒髪天」をお取り寄せしてもらった。
好きだった。怒髪天を好きになった。
見かけが特別かっこよかったわけでもないし、めちゃめちゃ歌ものでもなかった。超テクバンドでも泣けるわけでも。だけどなんか好きだった。しっくりきた。聴いても聴いても聴きたくなった。ライブが観たいと思った。
そのころから私はちょくちょくライブに出掛けていた。でも住んでいたのは地方都市の田舎町。観ることのできるライブはかなり限られていた。そこそこに人気のあるバンド、ブルーハーツやジュンスカやユニコーンがツアーで市民会館にくると大喜びで観に行った。
ボウイだとか、コンプレックスだとか、人気過ぎるバンドはチケットが取れず観れなかったし、チャラとかピロウズとか、デビュー直後ぐらいで音楽雑誌なんかで見かけるようになっていた人たちは、私の住む町に来るようなチャンスはなかなかなく、あったとしてもそんな情報を得るのはライブが終わってからの録画放送で観る音楽番組でのことだった。
もちろん、怒髪天を観ることもできず。
東京に引越して、それまで知らなかったジャンルの音楽やバンドを私は知った。そしてやっと怒髪天のライブを観る。
北海道出身のバンドがいくつも出るイベントで私は初めて怒髪天のライブを観た。衝撃的だった。怖かった。ライブは楽しかったし、怒髪天が怖かったのではない。いや、ちょっと怖かったけど。
ライブそのものというよりも、そのときのライブハウスの雰囲気やお客さんや、そういうものが怖かった。当時、私の好んで聴いたバンドにそんな感じのものが多かった。暴れる人もいっぱいいたし、壁際でステージを凝視するのも常だった。
ライブハウスに通い慣れ、なんとなく雰囲気に慣れ、顔見知りができるようになるまでは、ずっと怖かった。怖いけど、観たい、そんな感じだったと思う。それでも私はライブに行くのが好きだった。そしていいものはいいと、たくさんの音楽を、バンドを好きになった。
今もときどき、ライブハウスへ出掛けている。怒髪天も観に行く。
考えてみれば、ここまで時間を経てますます好きになる、上げ止まりがないっていうのは他にはちょっとないかも。怒髪天のことを考えるとそう思う。
今年35周年と長く活動しているバンドだからというのもあるだろう。現在進行形で、どんどん好きな曲が増えていく。私だけではなく、怒髪天を好きになってしまった人にはそういう人が多いのだろうと思う。老若男女がやってくるライブ会場の様子にそう思う。
「なんか好き」
最初の想いは今もかわらない。それはそうなのだけれど、最近は別の想いもある。
そうか、私のモヤモヤの原因はこれか! と、曲を聴いて気づかされることがある。
だよね、だよね、私もおんなじだよ。一緒に歌いながらそう伝えたくなることがある。
そうなの、私が言って欲しかったのはまさにその言葉。何度も読み返してしまう歌詞カードがある。
代弁者、同志、理解者。怒髪天はいつのまにか、私にとってそういう存在になっていた。街中で流れる、せつない恋の歌や、キラキラの未来を夢見る歌や、ソウルメイトに向けた感謝の歌に違和感を覚えてしまうような、あまのじゃくの私が、変わっていると暗に遠ざけられ疎外感いっぱいの私が、おんなじだと思える歌がここにあった。
おなじような人もたくさんいるようで、怒髪天を好む人は増えている。当然と言えば当然だ。出会いさえすれば、そうなるだろうことはわかっている。
いいものはいい。それがすべて。
大好きだから独りじめしてみたい気もするけれど、私とおなじように違和感や疎外感に生きにくさを感じている人には聴いてみて欲しいとも思う。そうだよ、聴いてみて! そしてごちゃごちゃ考えずに出ていこう!
たくさん代弁してもらっているから、今度は私が勝手に代弁する。
メインだサブだと決めなければならないような世界にとどまっていることはない。世界は広いのだ! いいものを探しにいこう!
#ダメだ 、好き過ぎる