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【掌編】スマホを手にいつのまにやら姿を消す

彼のことは仮にMさんと呼ぶ。
Mさんとの仲は、まあふつう。必要があれば話をする、おなじ会社の人、といったところだ。

電話といえば、Mさんも負けていない。しょっちゅう電話しているところを目撃する。

ちょっとしたおやつや、ランチタイムの途中でも電話をしている。そんなだから、
「口にものを入れて電話するんじゃない!」
社内で人と話をする時でも外線の子機を持ち歩くくらいの電話王、Kさんに怒られる始末だ。

それでもMさんは全く動じる様子はなく、
「ずみばせーん、モグモグ、え、いやいやごめん、こっちの話」
なんて具合いに電話を続けているから、2人のあいだに位置する席の私としては日々恐ろしい。

目撃と書いたが、Mさんの電話については目撃どころか、まるで自分が電話相手のような気分になるくらいに、全部を聞いてしまっている。会話が丸聞こえなのだ。それがプライベートな内容なものだから、聞こえてしまうこちらがドギマギする。

自動車保険の資料を自宅に送って欲しい。住所は東京都杉並区うんちゃらかんちゃら。

健康診断の結果が悪かったから予約をしたい。具体的には腹部超音波のところでなんちゃらかんちゃら。

財形の積立を中止したい。などなど、希望していないのに情報共有されている。


こんなんでいいのだろうか、個人情報。ほとんど撒き散らしだよ?
それでもMさんについて本当に困ることは、食べながらの電話でも、プライベート晒しでもない。

Mさんはずっとイヤホンをしている。それは、電話しながら作業をすることがあるから、だと思っていた。現になにやら分厚い書類をめくり、行きつ戻りつして話をしていることもある。

そうかと思えば、スマホを手に、じっと黙っていることもある。やけに静かだと感じてのぞいてみると、なんとMさんはゲームをしているではないか。私でも知っている、人気の位置情報ゲームだ。画面に現れたモンスターと戦っている。そうなったらもうどうすることもできない。

Mさん宛で入った外線を取り継ごうと声をかけても、
「今ちょっと手が離せない」
勤務中にゲームをしている分際でそう宣う。

「かけなおすってお伝えしますね」
「いやそれも無理」

電話をまるごと拒否する。

なんだ、これは。一体どうしろというのだ。
どうしようもない気持ちになって、ついMさんの手の中のスマホを見つめてしまったことがある。

「あ、これ? 息抜き」
私の視線に気づいたMさんは、ゲームを止めるでもなくそう言った。さらに言葉を失ったままの私に、
「なに? ちょっとした息抜きもしちゃいけないの?」
非難の眼差しを向けてくる。

いやいやいや、息抜きはいいと思うよ。でもそれって息抜きの範疇を超えていない?
いやあ、びっくりするよ。これでいいのだろうか、社会人?


毎日毎日、予期せず入ってくる電話や雑用に慌てているうちに、終業を告げるチャイムが鳴る。やるはずだったこと、なんとか進めておかなければならない仕事が、当たり前のように残っている。

もう今日は疲れたよ。まだやらなきゃ、なのか。

絶望的な気持ちになったとき、ガサガサとお菓子の袋を丸める音が聞こえてくる。パシッとスマホをデスクに置き、「よし、やるか」と立ち上がる人影が視界のすみに現れる。Mさんだ。

「ほらほら定時だよ。まだなんか残ってるの? やっとくから寄越しな」

私の机に当たり前のように残っている書類を拾い上げ、Mさんは自席に戻っていく。

これだから、と思う。
ゲームをしながらどこかへ姿を消したり、電話を拒否されたり、ムッとさせられることは多々あるけれど、これがあるから許してしまう。5時からやる男、だから仕方がない。ヨシとするしかないよね。

「ああ、なんだこれ、わかんねー。お、帰る? おつかれー」
パチパチとキーボードを叩き、独り言をつぶやきながら、あがっていく人たちに挨拶をしている。

そんな彼はMさん。必要があれば話をする、おなじ会社の人だ。


<-ダレソレ-「スマホを手にいつのまにやら姿を消す」おわり>


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ちょこ
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