見出し画像

マイペースな彼女 第3話「おばあちゃん登場」

第3話*おばあちゃん登場*

「ちょっとー、取れたー?」

 小声とは言えない声がして顔をあげると、恵子の隣におばあちゃんが現れていた。いつの間にかイスの横にほとんど触れるくらいの距離で立っていて、急に名前を呼ぶのだから、恵子もさぞびっくりしたことだろう。

 恵子が驚いた声で言った。

「えっ、もう止めちゃったの?」

 あれ? 今、恵子は「止めちゃった」とか言った?

 デスクトップの右下を見ると時刻は10:15と表示されている。もう止めちゃった……、私は恵子の言葉を心の中で反芻し、ああ、またかと思った。

「予定枚数終了って言ってるよ」

 興奮気味のおばあちゃんの声は決して小さくない音量だったので、聞き耳を立てずとも聞こえてくる。

「ほんとに? 私、その段階にさえも一度もならなかったよー」

「また瞬殺よ、イヤんなっちゃうわね」

 恵子とおばあちゃんは声をひそめることもなく話を続けている。


 おばあちゃんと言っても、このおばあちゃんは本当のおばあちゃんではない。
 彼女も恵子がランチを一緒に食べに行く仲間のうちの一人だ。年齢的には恵子よりも年上で、噂に聞く勤続年数ではお局さまと言っていいくらいなのだけれど、さすがにまだおばあちゃんと言われる年齢ではない。

 それでも、彼女は雰囲気がとてもおばあちゃんっぽい女性だった。
 彼女は今どきの女子大生が着ていてもおかしくないような可愛らしいミニスカートや、体にフィットするニットを好んで着ていて、細身で茶髪の後ろ姿が二十代前半の女のコのように見えた。
 けれど、正面から動いている彼女を見ると印象は一変する。
 しっとりとしているのに乾いているような、たるんと力の抜けたような真っ白い肌の質感や、ゆっくりゆっくりと歩く動作が、どうにも都会のおばあちゃんっぽくって、服装や年齢とは別なところで彼女はおばあちゃんに見えた。

 今、恵子の隣に立つおばあちゃんも、後ろから見たらオレンジ色の短いスカートからほっそりとした足を出し、キレイにセットされた髪はツヤツヤとしていて、どこのお嬢さんが来ているのかというくらいなのだけれど、私語にしては大きすぎる声や話し方を耳にしてしまうと、おばあちゃんとしか思えなかった。

 恵子とおばあちゃんは某アイドルグループのファンだ。いつも楽しそうになにごとか話題を見つけては、キャアキャア言って喜んでいる。

 おばあちゃんがアイドル主演のドラマを見逃してしまった翌朝の騒ぎは特にひどい。今日のように恵子の席へやって来たおばあちゃんは、一挙放送はまだか、だの、再放送の予定はいつだのと、休み時間の女子高生のような騒ぎをする。

 今朝はそういうときに次ぐ恒例の事件があったらしい。

 おばあちゃんはアイドルのコンサートチケットが一瞬にして売切れてしまい、購入できなかったことを恵子に報告に来たのだった。同様の騒ぎを今年だけでもう二回、私は目撃しているから、少なくとも今回が三回目ということになる。

「イヤんなっちゃうわね」

 おばあちゃんはそう言っていたけれど、毎度毎度、騒動を耳にしてぼやきたいのは私の方だ。
 大ファンだからと言って、勤務時間中に自席に座ったまま、堂々とプレイガイドに電話をしていていいはずはない。
 そんなことをする人を私はこの会社に来て初めて見た。それも、一人でこっそりとするならまだしも、あっちとこっちで二人も。言わずもがな、おばあちゃんと恵子のことだ。

 気づいていながら注意できない私も同罪かも知れないが、大人には言っていいことと悪いことがあるように、言えることと言えないことがある。

 くだらない弁明を考えていると、今日はいつもと違う会話の続きが聞こえてきた。
「誰か取れた人がいないか、内線してみるね」
 おばあちゃんはそう言って、ゆっくりと恵子の席を離れていくではないか。
「よろしくー」
 恵子がおばあちゃんの後姿に声をかけるのを見ながら、私はため息を堪えられなかった。なんと、他にもお仲間がいたらしい。

 もしかして、そんなことをしてはいけないと思っている私の方がおかしいのだろうか。


「ねえ、ニュース見た? 女子アナと半同棲だって。相手の女子アナってだれよー?」

 午後は午後で、お菓子の小袋を手にしたおばあちゃんが、興奮した声を出しながら歩いて来る。
 いったい仕事中にどのタイミングでニュースを目にするのだろう。そんなことを思いながら、こちらに向かってくるおばあちゃんの顔を見ると、おばあちゃんはまるで嫉妬している恋する乙女みたいに、抜けるように白い顔の頬だけを赤く染め、くちびるを尖らせていた。

 おばあちゃんだなんて思ったら失礼かもしれない。そうも思うのだけれど、彼女のゆっくりゆっくり歩く姿や力の抜け具合は、やっぱりおばあちゃんなのだった。
 恵子の座る隣に立ち、後ろ姿しか見えなくなったおばあちゃんは、また全然おばあちゃんには見えないのだけれど。


(―マイペースな彼女― 第3話 「おばあちゃん登場」おわり)


いいなと思ったら応援しよう!

ちょこ
もしよかったら、読んだよってコメントや、作品紹介のシェアをお願いできると嬉しいです。応援してくださって、ありがとうございます!