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無農薬自給自足というセーフティネット

無農薬自給自足は、これからの時代も強力なセーフティネットであると確信している。

なぜか。人は食べなくては生きていけないからだ。しかし、こう思うだろう。お金があればいくらでも美味しいものを買って食べられると。確かにそうだ。しかしそれは、現在の状況が変わらず続いていく前提があってこそ成り立つ。


いまから9年前の東日本大震災 

電気・水道・流通などのライフラインが遮断されたとき、いち早く通常に近い生活に自力で近づけていたのは、自給をしている農家の方であった。(モノカルチャー型農業の方は、生産している単一の作物は作れても、他の野菜については旬や育て方がわからない方もいる。)

井戸水で飲料水や風呂の水をまかない、薪の火で食事をつくり風呂の湯をたき、畑で採れた野菜や、納屋に貯蔵していた野菜・お漬物などの保存食で食糧に困らない方が多かった。

食をはじめとした、生きることに必要な自前のライフラインを持っている人は本当に強いと思った。自力で創り出す自給力は必要と思った。

東日本大震災を体験し痛感したことの一つである。


サバイバルファミリーという映画 

ある日突然原因不明の電気消滅により廃墟と化した東京。お米屋さんに米との交換を求めて行列ができていたが、そのシーンがとても印象的だった。

釣り人の釣ってきた鯛はわずかの米と交換、水やお酒とも交換。

しかし、ロレックスや高級車・絵画や毛皮など、そんなの腹の足しにならないと米屋の女主人に一喝され相手にされず終わり。もちろんお金も、、、

こうなるとどんな高級品やお金も食べられないものには米一粒の価値もない。

平時に価値を置いていた集団幻想が、命の緊急事態には一瞬にして崩れ去る。物質主義の人間社会の内実はなんと脆いのだろう。

この映画でも、片田舎で養豚を生業として自給している方がいた。豚を捌いて燻製にし、その燻製とお野菜をご近所さんと物々交換。若い人手がないこと以外、ライフラインが止まっていても、不自由ではなかった。


国と庶民

さらに災害に限らず、国の状況によっても、命の緊急事態が訪れる。

中国が貧しかったころ、ロシアが経済危機だったころ、乗り越えられたのは個人個人の自給の力と大地の力が大きかった。

中国では職場でも、空き地があれば作物を作った。ホテルの従業員がホテルの空き地という空き地で種を播き作物の世話をし、自給で食糧を確保していた。

どこの国か忘れたが、経済危機が起こったとき、サラリーマンの半数以上が帰農することで、食糧を確保し危機を乗り切ったという。


また米作りをはじめるとき、勉強のため、ナマの話を聞いて歩いた。70歳くらいの農家の方は共通して、米づくりの話し以外に、食糧難は必ずくるという話しをする。全く別の方から聞いたのにも関わらず、である。

本当に不思議だった。なぜだろうと、米作りで具体的な指導を仰いでいた米ぬか農法のYさん(虎の穴 参照)に疑問をぶつけてみた。

その方々は、戦後の食糧のない時代を経験し、食べ物に本当に苦労した世代だという。

いろいろ調べると、日本でも戦争のために発行された戦時国債は敗戦とハイパーインフレで反古になり紙切れ同様となった。お金ももちろん紙切れ同様となり、食べ物を入手できなくなった。そんな時代を実体験した方たちだったのだ。なんと映画の世界の話しは、形を変え、何度も現実で起こっているではないか。

庶民の富は何十年かスパンでご破算にされている。昨日までの富者があっと言う間に貧者になる。国際社会の現代では、自国以外の体制からの搾取もありうる。


いまの価値や仕組みが、ずっと続くと思ったら大きな間違いなのだ。


思えば庶民は常に弱い立場である。しかし、行動を変えていくことはできる。個人個人の本質を見据えた選択によって、体制や情勢からの影響を小さくすることもできるだろう。

古今東西どこの国の体制も本当にヤバい時には、所詮個人の面倒をみてはくれない。都合よく搾取され、よほどの何かがあれば、庶民は一番最初にあっけなく見捨てられる。個人もそうだから仕方ないと言えば、仕方ない。何かがあれば、大抵の人は、自分が一番つぎに身内がかわいいのだから。

だからこそ、幻想やキレイごとを排して、冷静に冷徹な現実を見据えた上で自力のセーフティネットを持っておくことは重要だ。

お金やモノの価値は時と場合で不安定、国も最終的にあてにはならない。ならば、食料を生産・確保できる手段を身につけて自給力を高めることは、役に立つ。


集団幻想から意識的に一歩でてみる

集団幻想の中ですり減らし、身動きが取れなくなり、手遅れになってしまう前に、一歩外にでてみるのだ。幻想の中から、そして、建物の中からも、、、

サラリーマン時代、コンクリートの建物に通い、その中で動き働く時間が人生の大半だった。集団幻想へ気づかず、無意識のまま一員として参加していた。

カラダごと陽の光を浴び、風に吹かれて、土に触れ、自然を感じることなど、本当に少なかった。


人間の作った仕組みがクラッシュ・フリーズしたとき、よりどころとなるのは母なる大地と自然である。


直接に食糧を確保できる安心感は、社会システムからの影響を軽減する。安心感は真の自立を可能にする。

自給をきっかけに、真に自立している個人が多くなればなるほど、これまでの体制や仕組みへの依存と必要性がなくなる。


土に触れ自然に繋がれば、全く新しい人類のあり方が拓けてゆく。


意識的に一歩でも幻想と建物から出て、自然と土に触れあい、できれば一粒種をまいてみて、小さな無農薬自給自足をはじめてみよう。


やがてそれは、セーフティネットとしての安心感とすごい発見を与えてくれる。


無農薬自給自足というセーフティネット

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