【「正しさ」のお話】
新宿ゴールデン街の片隅にある、30年ほどの歴史を持つとあるお店。切り盛りするのは70代の店主。
年季の入ったカウンターテーブルにはタバコの焦げた跡や蓄積された油の層。いつから置かれていたかわからない招き猫の置き物はホコリを被り、お客様の忘れ物のマッチ箱は捨てられずお菓子の缶の中に。染み付いたタバコのニオイはその日着て行った服に移るほど。
清潔かと言われたら決してそうではなく、防災的な観点でも怪しいところ。
けれど、そんなお店で飲む水割りを、日替わりのお通しを、そして店主のお話しを求め人々は足繁く通う。
今の時代、飲食店の基本とも言える「清潔さ」。
お皿の縁に何か付いているとすぐにクレームになる。
しかし、そんなものを超える「何か」がそこにある。
ある日、そのお店は新しくアルバイトを雇うことになった。しっかり者のA子。
ご高齢の店主は、いい子がいれば週に何回かはお店を任せたいと思っていた。
A子は、笑顔が素敵で人当たりもよく、常連客からもすぐに受け入れられた。
何度か一緒にお店に入ること1ヶ月。
A子の働きは申し分なく、まずは週に1度お店を任せてみることに。
A子にとっては一人立ち。責任感が強く真面目なA子は、心から喜ぶと共に、このお店のために頑張るぞ!と、更に気合が入った。
A子の一人立ち初日、常連客も顔を出してくれ売上もまずまず。店主はホッとして、長年ゆっくりすることの出来なかった自宅での夜の時間を楽しんだ。
………その翌日、お店の鍵を開け明かりをつけると、店主は青ざめた。
急いでA子に連絡をし確かめる。
店主「A子……これはどうゆうことだ……?」
A子「ついに一人立ちということで、感謝を込めてお店を綺麗に掃除させてもらいました!店主さんもご高齢ですし、掃除まで手が回っていなかったんじゃないかと思って…!」
店主はひどく落胆した。
こんなのは……もう私のお店ではない。
ホコリの被った招き猫は、捨てられなかったマッチ箱は、油の層は、もう戻ってこないのだ。
A子に悪気は1ミリたりともない。
善意でしかない。
しかし、正しさは人それぞれの心の中にある。
絶対こうあるべきだ、こうした方が絶対に良い、などということは存在しない。
正しさは心の中にあるのだ。
※このお話はフィクションです。
ムンヒジュ