【否定の恐さ】
相手を否定する・間違いを指摘する、更にはそれを正そうとするというのは余程の自信と根拠がないとできないことだと思っているのだけれど、普通にそれを出来る人が多くて驚いてる。
私は自分自身がそんなに出来た人間ではないので、正直仕事においても何かを指摘する際ものすごい脂汗をかく。
私なんかが指摘とか指示とかしてごめんね…でもお店や会社の方針だから…といった感じで。
その人自身を否定しているわけではなく、この会社としてのやり方だからみんなでこうしていこうねというスタンスである。
むしろスタッフの皆には、いつもそんな私の話を聞いてくれてありがとうの気持ち。
その対価としてお給料をお支払いしていると思っている。
否定や指摘自体を悪いことだとは思っていない。
むしろ世の中を良くしていくためには必要なことだと思う。
しかし、我を省みずガンガン人のことを言えちゃう人、自分の正しさを突き通そうとする人、特に個人に対してそれが出来ちゃう人に対して昔から疑問がある。
当事者同士の揉め事で感情的になってしまうことはあったとして、直接の接点はない関係のない人に対してそれをしてしまう人達もいる。
はたまた、仲間や家族にもそれができてしまう人もいる。
相手の考えや気持ち、例えばそうせざるを得ない状況があったとは考えないのだろうか。
そうゆう人達の発言を「気にしない」という選択肢はあまりにも酷だと思う。
何故人の気持ちを考えず正義という名の刃物ブン回してる人に対して、傷ついたほうが「気にしない」「我慢する」という心の負荷を負わなければならないのだろうか。
自分が正しいと言い切れる人が本当に恐い。
自分の型にはまらない人は全て間違っているのだろうか。
正義だからといって、人を傷つけて、人に迷惑をかけても良いのだろうか。
それすらも認め、受け止めることが優しさなのだろうか。
優しい世界を望んでいるし、優しい世界をつくりたいという気持ちで日々生きているけれど……
ムンヒジュ