自分の決意を裏切ってしまうメカニズム〜「傲慢」と「痴」〜
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私たちは、本気で人生を変えようとするときに、必ず「決意」をします。
・収入・異性・キャリア・転職・就職・受験・ダイエット・筋トレ・自己実現…
そういった「手に入れるのに努力を要するもの」を志向する、その一方で
「 な ぜ か 」
私たちは初日の決意を薄れさせ、元通りの日常へと戻ってしまいます。
いわゆる「三日坊主」という現象です。
言葉の響きは可愛らしいものですが…
しかし事実として、私たちが「決めたことをやり続けられない自分」というものを具体的に変革しようとしないならば、「願ったものが何も手に入らない人生」を送らざるを得ません。
私たちは、自分の心一つ、意志一つすらも、思い通りに支配できない。
その理由の最たるものは何か?
それが今回取り上げるテーマ。
「慢と痴」です。
・「慢」とは?
この「傲慢さ」というものは、古くは2500年前、釈迦によって解き明かされた概念です。
「慢心」「傲慢」「怠慢」
この順番に移り行く心の働き(三慢)を総じて、「慢」と呼びます。
「慢心」
慣れ、油断、思い上がり。
一時的な成功から自分は優れた存在であると疑いなく思いこむ。
結果他人をあなどり、自己の考えや行動を反省しなくなる。
「傲慢」
自分の考えは正しいと思いこみ、自分を疑わず、他社の言葉を受け付けない状態。
人を見下し、感謝の気持ちを抱くことがない。
※「自分はダメだ。できない」と自分を低く見ながら、他者からの承認・称賛を受け入れない「卑屈」も形を変えた傲慢の一種。「卑下慢」という。
「怠慢」
ベストを尽くさない。
勤勉に努力しない。自己を改善しようとしない。
新しいチャレンジもしなくなる。
こうした心の移り変わりで、人が勤勉さと能力を失い、堕落して滅んでいくことは、2500年前から、有史以来からずっと人類史において指摘され続けてきたことです。
この慢を甘やかした結果こそが、まさに「決めたことが続けられない」という、人生の変化を止めてしまうのです。
「自分は努力すればできる」
「本気になればできる」
「やればできる」
「そんなに毎日に不満ではないし」
「そんなに悪くはないし」
という「慢」を無自覚に甘やかしているからこそ、「今日という一日において何も始められない」ということが起きます。
そして、そんな「何も始めない一日」を重ねた結果として、「何も始めることがなかった人生」を悔やむことになるのです。
簡単にいうと
「危機感がない」
「本気が出せない」
「自分で自分を追い込めない」
ということ。
結果、能力は失い、意識は下がり、知能は衰え…
結果「痴(痴呆・白痴・愚痴)」といった、「無力・無能」な状態へと至ります。
そうして価値を失った個体が、社会からどう扱われるか?
その果てが「淘汰」です。
故に、誇張抜きに、「慢」とは「痴」を経て「死」に至る「病」であるということです。
しかも難解なのが、この「慢」は不治の病です。
本 当 に
心得て警戒しなければ、我々はすぐに「慢」に囚われ、「痴」に陥り、そして人生の時間を無為に無自覚に失って行きます。
聡明な方であれば、こう思うはずです。
「慢によって、自分の人生が動かせない、変わらない。それこそが人生において計り知れない損失であり、最も恐るべきことである」ということに。
この動画では、こういったテーマについて極限まで深く深く掘り下げます。
一生直せない、心の構造病である「慢」そして「痴」に対して、それらに人生を奪われることなく歩みを止めないにはどうすればいいのか?
続きはこちらからご覧ください。
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