蓋2
大学生になるまで、「他人とは話し合えば理解し合える」と本気で思っていた。大学生になって色々を経て「そういう訳にもいかないらしいぞ?」ということが段々と分かってきた。
そして社会人3年目の冬、「他人とはどれだけ話し合ったところで理解し合えるなんてことはない」ということを本質的に理解した。
「話し合えば理解し合える」の仕組みとしては、「人との関係性は、お互い本音をぶつけてそれらに耳を傾けながら折り合いをつけていく過程」で生まれるものと思っていたからだ。本音を上手く他人に言えなかった昔のわたしは、なんとかしてそれを言えるように、そしてそれも出来るだけ相手を傷つけないような言葉運びでできるように、訓練をしてきた。失敗も多かったけど、それなりに関係を築きあげてきた。
ところが社会に出て、それが上手いこといかなくなった。特に今の職場に来て、そう思う。(前々職場はそもそも人間として見られてなかったのでパス)
まず『そもそも耳を傾けてもらえないパターン』。もうこれは、ただ向こうの言いたいことだけバーっと言われて終わる。そこは誤解されているなって思う部分も、何を言ったって聞いてはもらえない。結局、誤解されたまま終わる。わたしだって何か誤解している部分があるかもしれない。それも解明されないまま終わる。
それから『本音で話し合えたと思っていたら実は相手は本音じゃなかったパターン』。話し合えて、それなりの折衷案でまとまったと思っていたのに、後日人伝てに、全然向こうは腑に落ちていなかった、という話をよく聞く。これがいわゆる”””建前”””ってやつか。いい加減人間不信になりそうだ
そんなことを繰り返しているうちに、(そこはそうじゃないと思うんだけどな〜)と思いながら、「はい、分かりました」と口だけで答えられる人間になった。噂の、建前人間の爆誕である。
すると、「大人になったね」と言われるのである。大人になるっていうのは、どうやらこういうことらしいということを最近知った。
そもそも職場の人間と「理解し合おう」とすること自体が間違いなのかもしれない。
それでも、家族よりも長い時間を過ごす人々だからこそ、誤解がより少なく、本音でものを言い合えるような環境のほうが、よっぽど精神衛生にいいんじゃないかと思う。けどわたしはそんな『本音』を隠して、今日も『大人』を演じるのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?