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ぽつぽつと

書きたいだけ、吐き出したいだけ、そんな始め方をしてみて思っていることを全部並べてみた。並べてみたら、ひとつひとつは小さいんだけど積み重なって大きくなって動けなくなったような気がする。

良くも悪くもある事柄に対して、良い方にも悪い方にも感情も思考も行き過ぎてしまう。たとえ一瞬でも推しのことを考えたり、何かで見かけたりしたらすごく幸せになれるし心が弾む。名前一文字だけでもいい。反面嫌なことが長引いたりもするし、いつまでも自分の中で納得する答えが欲しくて眠れずに考えたりして悪循環になることもよくある。

やっと、私が知りたかった感情の名前や、忘れかけていた感情とか記憶とか、整理してひとつずつ眺めれば、ちゃんと形もあるし重さもある。創作に対しても、標本とか痕跡とか軌跡をテーマにしていた時期のことや、境界が曖昧なものを考えたり、どう表現するかを考えることが好きだったなあとか、そんな自分の中で好きだったことも思い出した。

構造がどうなっているかどこまでも知りたい・突き詰めたい自分と、形も名前もない曖昧な空気・時間・空間に浸りたい自分と、そういえばどっちもあってそれはそれで良いことなのに。綺麗な石を集めては宝箱に入れて並べて眺めていたのに、いつの間にか他のものを混ぜたり、積み重ねたり、鍵をかけてしまったりと、いつのまにか大事していたものがどこにあったかか分からなくなってしまっていた。何を捨てて何を選ぶのか、わからなくなったことにも疲れてしまっていたし、もう一度探すという行動すらも出来なくなってしまっていた気がする。

昔と変わったね、といわれると悲しかったこともあった。でも、変わったんじゃなくて前からあったものなんだと今なら思える。出せなかったものが今でてきた。それが相手にとって不快なもので、離れていくならそれはそういうものだと今は受け止めることも出来る。自分を否定してきたことや抑えていたことが突然今になって溢れて零れても、どう対処していいのかわからずに、結局立ち止まるしか出来なかったのは、その時々を見て見ぬふりをしてきた結果だと思う。

忘れていたけど愛着があって手放せないものはきちんと綺麗に磨いで額に入れて飾ってあげたい。いびつでも捨てられないなら、それもまた別の綺麗なケースに入れて時々眺めたい。色や形がちがっても、揃ってなくてもそれはそれでお気に入りだ。

誰かの言葉に揺さぶられて、誰かの言葉に救われて生きてる。したいと思っていたことをしてみるだけで、変化した実感がある。こうして書き出すことを大袈裟に思わなくても、生きていく上での循環しているものと思うことが出来てる。

今日も余計なものを買わなかったし、自分で描いた推しの絵たちを見たら、描いていた時の気持ちも思い出したし、結構お気に入りなものもたくさんあった。削除してしまわなくてよかった。この時の推しがそれはそれはめちゃくちゃかわいくて、それを描いたんだったな…とか、あんまりにもグラビアが良過ぎて、描きたいけどのこの写真以上になんにも表現出来るものなんてない!と思って、描いてみたけど途中で辞めた絵もあった。なんか上手くいってない絵もあるけど、それはそれでまた続きを描こうかなとも思えてきた。

推しはいつでも元気をくれる。これまでの推しを辿るのも楽しいし、これから先の推しのことを見ているのも楽しいし見ていたい。拗れていた気持ちが少しずつ解けてきたからか、こんなふうに思えるくらい心が穏やかになってきている。今は歌を聴くのが一番癒される。歌声がまためちゃくちゃ大好きなので何回同じ曲を聞いても飽きない。新曲も楽しみだな。一番好きな作品をもう一度見るのもいいかも。初めて描いた推しの絵は、なんかちょっと線が照れてるというか、かなりぎこちなくて、ちょっと見返しても恥ずかしかったけど…それをまた描くのもいいかも。

とてもいい推し活方法が思い出せてる!と、書きながら実感中です。

ちょっとずつ巡りが良くなってる感覚がある。不慣れなことをしてみてる違和感とちょっとだけ不安もまだあるけど、いきなり流れが変わるものじゃないから、それも良しと思う。

今日は忘れたくない事をぽつぽつ書こうとして書き始めたら、最終的にはぽつぽつどころではなくなってしまった。書いてる内容もあちこち散漫になってるけど、それも含めてそんな事もあったなと思えるようになるかもしれないな…と思いながら、終わります。