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推しごと 220719

ここ最近のことをつらつらと吐き出してみます。

これは体調的なものから来ているのか、私生活の影響が大きいのか、すべて重なっているのかもしれないけどとても心が辛い。

数日前まですごく楽しかったのに、いきなり落ち込んでしまった。それは見て見ぬふりをしていたことに対して明確な答えが出てしまったことがとても大きい。特別目立つ同担以外はまったく情報を閉ざしていたのでそれはそれで心が落ち着いていたのだけど、公式からはっきりと突きつけられてしまったので、無理やりに目を覚まされてしまった感覚。

私の推し活ははっきりとした「現実逃避」なので、できる限りいつまでも夢を見ていたかった。私生活の悩みやストレスを忘れさせてくれる夢の世界。夢の世界に定期的に行くことで、私生活のストレスが軽減されていく。数年前の生活は結構きつかったので、もうその生活に戻りたくないから色んなことを変化させてきた。変化させることが苦手なのでそれもそれできつかったけど、そこには推しくんと推し活という励みが一緒にあったので、耐えてこれたしまだまだやりたいことも出来ると思って過ごしていた…けれど、ファン層の若さを実感してしまった。

私は推しくんと年齢が近いので、同世代としての考え方や活動や仕草が好きでとても惹かれているのだけど、推しくんのファンはこんなにも若い層が多いんだと目の当たりにした。

推しくんが発するメッセージは若い学生に向けて送られているのに、私はそのメッセージの対象外なのに何考えてるんだろうなあ、となんとも言えない気持ちになってしまった。こんなにも推しくんのことが大好きで尊敬しているしそんなふうになりたいと惚れ込んでいる…って言っておきながら。私は若い世代に何か出来るんだろうか。若い同担や古参、グッズ積める人、イベント全通できる人たちにばかみたいに嫉妬して張り合って、どうしようもない大人。もうここまで来ると推しくんどうこうではなく、自分の生活がうまくいかないから他人を妬んで羨んで愚痴愚痴している最低な人間になっている。いつまで過去に囚われて生きているんだろうと悲しくなるのに、それをこんな形でしか消化できないなんて、こんなのどれだけ応援しようが、お金をかけようが、こんなファンがいても推しくんは嬉しくない。

冷静に考えたら、どう受けとってもいいし、どんな年齢層がファンであってもいいと思うし、そこまで推しくんはファンを大切にしない人のように考えなくてもいいだろうに、私は推しくんに対してとても重い感情があって、そんなふうに思わなくたっていいのにと思う時がある。こんなに推しくんに執着しないで、もっと気楽で気軽に、推しくん大好き今日もがんばろーって思っていたら違う気がするのにその方法が分からない。推しくんの迷惑にならないことをしたいって思うのに、これって迷惑の何物でもない。実際誰かに対して明らかな攻撃をした事はないけど。書いていて気づいたけど、SNS上で見えるその「自由」が、結局のところ自分には出来ないことばかりだから、できる人を見て羨んで妬んでしまうんだと思う。

推しくん好き!結婚したい!ずっと大好き!って妄想~夢話を書いちゃうこととか、祭壇した写真を載せる、良席自慢をする、繋がり匂わせをする…なんてことは絶対真似出来ないし、したくないのだけど、その欲望のまま動いてそれをネット残していくという行動力に対してはそんなふうに生きてみたい、という羨ましさがある。私は我慢してるのに!という心情から、見かけると心の底からむかついてしまうのだと思う。

実際のところ、ネット上にある有象無象の言葉やオタ活記録等は、いつまであるものかも分からないし、生理現象みたいな意味合いもあって、ただ素直につぶやいているだけだから、一つ一つに重みもなく、生まれては消えていくものかもしれない。もちろん違う使い方をしてる人もいるだろうけど。この時点で私はSNSに対してもう若い世代との大きな差があるのかもしれない。とにかく私は簡単な言葉や手軽に見えるものを嫌ってしまう。手軽に推して去っていくなら最初から来ないでほしい。そんな簡単に愛を語るなって思ってしまうのだけど、今の時代にはストーカーみたいな推し方されても本人にも負担だから、ライトに推して離れたら、また新規ファンを増やす…みたいなことの方がいいのかな。私はメンタルだけは激重ストーカーみたいな推し方をしているので、迷惑だったらごめんなさいとおもうのだけど、相手からは一切反応がないのでいつまでも推してしまう。なんとなく発言から避けた方がいいことや控えて欲しいことは感じるものの、勝手に惚れ込んで勝手に推し続けている。

推しを推さなくなる時ってどんな感じなんだろう。推せなくなる、ではなくて推さなくなる。前いた界隈は、大きな生活の変化で推せなくなってしまった。この時のようにきっと今の推しくんに対しても、そっと心が落ち着いて執着しなくなる日が来ると分かっている。絶対に恋愛にはならない恋なので、あるとき終わりが来る。いつまでも大好きな推しくんを見ていたい。でも、今と違う気持ちになる日が絶対やってくる。そう思わないと、心が持たない。今は推しくんがあまりにも大好きな異性としてみているので、色んな感情は混ざり合うのだけど、ただのファンである現実からは逃れられない。もし今と同じ気持ちで自分が10代だったら、推しくんを追いかけて引越しや就職先を選んでいたかも。虚無な話です。

上に書いたような行為は推しくんに対して絶対しないけど(近づくとかの話)、もっと我慢をしないで生きてみたい。どこまで出してどこまでで我慢するか…という加減もそれぞれ違うので、もしかしたら私は十分自由でしょと思われるような行動をしているのかもしれない。でも、まだまだしたいこともあるし、できると思うことがある。それは推しくんに限定した話ではなくて、仕事や生活面のことでも同じ。つらつらと書いているうちにだんだん冷静になってきた気もする。ここ数日は推しくんに執着・依存し過ぎて前が見えなくなっていたのかもしれないし、ちょっと寝不足やいつも飲んでる薬が変わったことで、気持ちが落ちているだけなのかもしれない。

ここに吐き出すまで、誰かにこの話をして、そのままでもいいんじゃない?と言われたい気持ちもあったし、もういい加減辞めなよと怒られたい気持ちもあった。今のところどっちも言われたけど、言われたもののなんだか心がむずむずしてたので寝れなくてここまで書いてみたけど、もう少し何かでバランス取れるようにしていきたいなと思います。何かいい方法が見つかりますように。

取り留めもない愚痴を読んでくださりありがとうございます。なんとかちょうど良いところへ落ち着かせていきたいです。