推しごと 220807
やっと言葉にできるようになったかな…という気持ちがあるので、今思うことを書いてみます。今これを書く前に前回の記事を読み返してみたら、ちょっとずつ変化出来たんだなと実感しました。
先月末やむを得ない事情でひとつイベントに行くことを断念しました。この状況なのでいつどこで何が起きるかも想定はしていたけれど、この日を楽しみに頑張っていた気持ちと仕事が辛かったこととタイミングが重なって、前日から当日にかけて寂しく虚しい一日でした。自界隈・界隈以外でもイベントの直前中止を多く見かけてきたけど、私はたまたまどのイベントも中止になることはなく今まで来たので、今回改めて辛さを痛感しました。その日のために向けて頑張ってきた気持ちも、準備してきた時間も無駄になってしまう。実際無駄ではないけれど、気持ちが持たない。日々の生活面でもそうですが、いつまでもこんな状況が続いてほしくないし、推しくんの体調も気になるので、本当に早く収束して欲しいと願うばかりです。
ひとつイベントを断念したところで次のイベントを楽しみにしていたのですが、そのイベントはそもそものコンセプトからして「これ圧倒的に自分に合わない」ということが最初から分かっていたイベントではありました。でも推しくんが出るなら…とひと月前にチケットを取り、準備をしていました。が、配信直前数分前になってイベント参加を辞めました。この盛り上がり方・参加する層・参加して何をするか…ということを見直してみたら、耐えきれないなと思い直したのでした。
そもそも現場でも同担を見ないよう意識しないようにしているのに、いやでも目に入るシステム。推しくんの話はすごく聞きたかった。共演者とどんな話が出るのかすごく聞きたかった。どんな推しくんがいるのかすごくすごく見たかった。でも、もう無理なものは無理で諦めよう・割り切ろうと思ったのでした。正確には、初めてきちんと「思えた」気がします。
推しくんが発信することすべてを知りたい。もっと見たい・聞きたい。この気持ちはずっと変わらないから、推し活をする。でも「すべて」ってどこからどこまでなのか。推しくんが前に自分の番組で、自分の行動に対して「自分を〇〇のファンと呼ぶには…」という話していたことをよく覚えています。推しくんの価値観好きだな、と思ったと同時にこの言葉を自分に向けてみてあれこれと色々考える時があります。実際、どんな行動がファン・オタクだと呼べるというのだろう。
自分の中にあるガチ恋・リアコ感情の部分で、推しくんと関係を築ける同業者やその他…をとても羨ましいと思います。推しくんと話が出来て遊ぶ。仕事をする。恋人になる。結婚をする。そんなの羨ましくて仕方ない…そんな夢を見る時があります。頻繁に。こうなってくるとオタクでいる限り前に進めないし、じゃあ何から始めたら…と妄想を始め、途中で冷静に考えて何言ってるんだろ自分は…ということを頭の中で繰り返します。生きる世界が違う人に対して壮大な幻覚を見ている。
昔は「推しと繋がりたいなんて気持ちは考えるものではない、リアコなんて分からない」と豪語していて、確かにその当時は分からない感情でした。でも今は私も考え方が変わっている。自分が変化したタイミングに合わせて、そう思える推しに出会ったからだと思います。
実際、虚無な妄想と幻覚とわかっている自分もいるから推しくんの結婚や女性関係に関しては他人がどうこう言うものでは無いとは分かっている。ただ、私がこんなに好きで好きで仕方ないことに関しては、どこかで自分の中で感情の決着や線引きをしなくてはならない。それがどうしても上手くいかなくて、初めは楽しくて仕方なかったグッズ集めも最近では同担への対抗心から過剰に購入してしまったり、見なくていい掲示板の書き込みや呟きを見て勝手にキレて愚痴愚痴する事が増えていました。やばいなと思っていても止められないし、どこまでいくのか怖さもありました。
そんな時某イベントに参加するかしないかを考えはじめて、思い直しました。今の私は推しくんに対してリアコ感情が爆発しているから「推しくんと繋がれないなら何もいらないか」という極論に至りました。言ってることはめちゃくちゃで、実際オタクと繋がっているかどうかも知らないけど、私自身は繋がることはまず出来ないということははっきりしています。繋がりに関しては口に出すのも嫌ではあるけど、改めて考え直してみたら、自分も繋がりたいと考えている側だと自覚しました。恐ろしいことに。
雑誌やWEBインタビュー記事、映像、コメントどれもこれも全て見尽くしたとしても、推しくんのことはある程度のところまでしか知ることは出来ない。触れることもない。会話することもない。でも、推しくんが好き。完璧を求めても私が望むゴールにはたどり着けないから、今自分が出来る推し方で集めた推しくんの情報を紡いで、推しくんの活動を応援出来たらそれでいいか。そう思っていくと、言葉が大袈裟な人も某掲示板でくだらないマウントを取り合ってる人たちも、自分の目指すところに全く関係ないなとやっと思えることが出来て、今まで執着し続けていたSNS上の同担のことがどうでも良くなりました。その中で実際はどうなのかさておき、隠せてるならそれでいいです。我慢出来ずに匂わせてしまったのなら、ただただ愚かだなと思いますが…。
どうでもよくなったと話したばかりですが、感情的には果てしなく不快なので、一部の非常識な同担が嫌いなことには変わりありません。見つからなければ・匿名なら何を書いてもいいと思うのでしょうか。これは今の自分にも返ってきますが…推しの名前は絶対に書きません。私が不快なのは名前を伏せもせずに気持ち悪い会話をし続けている人たちのことです。ここはそういうところだから、という言葉を盾にして好き放題発言しているあの場所が大嫌いです。あんな場所なくなればいいといつも思いますが、吐き出すところがないと均衡が取れないのかもしれないし、そもそもそういうことが分からないという時点で悲しいなと思います。
年齢的なものもありますが、最近のオタク事情ってホントに気持ち悪いなと思っています。あまり考えずに思ったことを発信しているひともいて、発信された言葉の重さに疑問が湧く。常に比較する空間で共有し合って自分を見せ合う。オタ活推し活される自撮りって何なんだろう。誰かに何かを見せたい・話したい気持ちは分かりますが自分の学生時代とは全く異なるので、比較もできません。そういう自分が理解できないことが多過ぎて細かいことにいちいちイライラしていたのですが、一過性の遊びのようなひともいるか…と、そういう考えも出来るようになってきました。SNSをやってないオタクなんて山ほどいるし、見えてる一部の大袈裟な発言に何目くじら立ててるんだろういい歳して…と反省しました。客観的に見たら自分超怖くてきもい。ただの老害です。
もちろんガチオタ・リアコ・ガチ恋すべて年齢問わずいるし、在宅・古参・新規…といろんなファンが居て、私の中でも区別してることはありますが、オタクの中にカーストがあってもなくても、総じてファンはファンなんだということも受け止めています。悲しいような気もするし、でも安心もするような気もします。これって誰かからすれば当たり前のことで、推しや同担に対してこんな感情を抱くことが異常なのかもしれませんが、でも私はそれくらい推しくんに夢中なことも事実です。そこはもう否定しないし、したくないし、それも含めてこれからも推しくんを応援していきたい。ここに来るまでぐるぐる回っては最終的にいつもと同じところに辿り着くけど、先月末から今月にかけて、ひとつ抜け出せた気がしてます。やっと過剰なグッズ依存や監視から離れられそうです。
推しくんを推し始めてから人生に想像しなかったことがたくさん起きて、必要以上に感情が振り回されてしまうのでとても疲れることも本音ではあるけど、推しくんを推すことで感じることや考えること、ただ推しくんを見ていること、そこに付随する物事、自分の生活も含めて毎日楽しくて満たされている。これから先が見えなくても今思う気持ちを大切にしたい。先月半ばで推しくんを推して丸2年でした。あっという間だったけど、まだまだ知らないこと多すぎるし、もっともっと推したい。
3年目も推しくん盲目ガチ恋オタクとして推し活していきます。
思考整理と吐き出しとまとめでした。読んでいただきありがとうございます。