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おこがましい語

この仕事を始めて、「子どもたちを救いたい」というたくさんの人びとに出会ってきた。

わたしは「救う」という言葉が好きではない。

理由は、おこがましい気がしてならないから。

「救う」とは、
あぶない状態、苦しい状態、悪い環境、貧しい境遇などにある者に力を貸し、そこからのがれるように助ける。
とある。

救うという言葉を使うことをおこがましいと感じる一番の理由は、
“「助ける」「助けている」というのが上から物を言っている感じがする”
からだと思う。


小学校教員時代から感じていたことだが、
こどもたちは、わたしが気づかないことや知らないことを教えてくれた。
そして、今、目の前にいる子どもたちも同じであり、新たな『楽しみ』の風を吹かせてくれる。

こどもたちと共になかったら、
コマ回しができるようにならなかったし、「丸やっとこ」が何のために使う道具なのかわからなかったし、進撃の巨人を大人買いしてどハマりすることもなかった。

もちろん、
6年生を送る会で踊ることになった「ライジング・サン」のわたしのダンスの見本があまりにもみすぼらしすぎて、「先生僕の見ててください」という男の子のお手本に歓声が上がり、尊敬の念と共に自分の力量不足と向き合うことになったり、
「なんで時計の勉強しなきゃいけないの?スマホのタイマーとストップウォッチでよくない?」という質問について真剣に考え議論したりと、楽しいことばかりでなく反省や新たな気づきも与えてくれる。

生活を共にする中で、こどもたちから学ぶことは本当に本当にたくさんある。
こちらがこどもたちに差し出すもの以上のものを、こどもたちからいただいている。

そんな気持ちゆえ、このおこがましい語を使いたくないのかもしれない。



この「おこがましい語」を使わずに、自分のしていることをどういう言葉で説明するか考えてきたが、未だ答えは見つからないでいる。


わたしは“教育”といわれる仕事をしているが、その仕事の中身を表す言葉としては、

教える・育てる・導く・指導する・手ほどき・支援する・手を貸す・力になる・気づきを与える・サポートする・きっかけを作る

などがあるだろうか。
わたしにとっては、これらもおこがましい語である。

じゃあ、

そばにいる・一緒に楽しむ・隣を歩く

などはどうかと言うと、
これらだと弱すぎる。


ただ一緒にいて、「ありのままのあなた」を”できないことはやらなくていいよ〜”、「得意を伸ばそう」を“好きなことだけしていていいんだよ〜”という姿勢なら上記の言葉でOKかもしれないが、
わたしは、こどもたちの今を見て、将来という先を見据えて、できることが増えるよう隣を歩くことをいつも目標にしている。(だからこれだと長すぎる)


教育者たるものそんな気弱でどうするんだ!
という石が飛んできそうな気がするが、わたしはおこがましい語以外の言葉で、今自分がしていることを「うん!これだ!」と表現できる日が来るまでぴったりな言葉を探し続けてみたいと思う。



各種SNSに疲れ、離れることを決めて早一年。
思考をアウトプットする時間はやっぱり大切。
明日はさつまいもの苗の植え付け。
頑張るぞ!


追記(2024.5.23)(全然時間経ってない。)
この文章を改めて読みながら考えたこと。
こんなに自分のやってることの言語化にこだわらなくてもいいよな(笑)

「こどもたちの今を見て、将来という先を見据えて、できることが増えるよう隣を歩くこと」
でいいよな。

これから続けていく中で、多すぎるものを減らしたり、足りないものを補ったりしていこう。

それでいいよな。

画像は、ドミノさんhttps://note.com/imasogaiの作品をお借りしました。

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