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英語力ゼロから現地校へ~ロンドン駐在記 #2「クラスメイトたちと初対面」

子連れの渡英は体力勝負

2018年6月○日  イギリスに送る船便と航空便の二回の引っ越し作業を終えて家を引き払い、義父母の家へ。娘の幼稚園時代の3年間、毎日自転車をフル稼働させて二人の子供と大荷物をくくりつけ、泥まみれ汗まみれですごした育児は忙しかったけど、楽しいことの方が多かった緑多きこの地を去ります。この時期にしかできない「同士」でもあるママ友たちや、社宅が取り壊されるという因縁で1年半住んだ6DKの古民家でご近所となり何かにつけ目配っていただいていたおじいさま達が見送って下さり、なかなか盛大なお別れをして、迎えにきてくれていた義父の車で義理の両親の家へと向かう。数日後に渡英となることを期待して。

だが、ここからが長かった。渡英するための肝心のビザがまだ届かない。当然航空券の手配もできないわけで。こうして、この日からビザを待ち望む日々が続く。
気心がしれていて嫁にもやさしく晩酌も一緒に楽しめるお義母さんとお義父さん。とはいえ、そこはやっぱり義理の両親の家であって、のんびりリラックスでいられるのも初日ぐらい。魔の三歳児(私は二歳児じゃないとはっきり思う!!)の息子にじじばば、おじおばたちが振り回される様子を見るたびに、私はますます肩身がせまくなり、ビザ発給の便りをいまかいまかと願う日々が続く。

Hako日記より

2018年6月、主人は1ヶ月早く渡英していたので、私一人で2回の引越し(船便と航空便)を終え、友人たちと涙の別れと共に、何とか日本の家を引き渡しました(ちび二人のワンオペ育児+引っ越しはきつかった!!!)。
しかーーし、なんと肝心の渡航VISAが届かない。2日ぐらい主人の実家に居候の予定が、結局一週間もお世話になりました。
あまりに自由奔放な3歳児対応に、ジジババを筆頭に大人たちからややお疲れが見られ始め( ̄▽ ̄;)、私もやきもきしながら過ごし始めた・・・そんな頃にやっとVISAが届き、翌日には早々と(笑)渡英したのでした。
この時期の子育ての大変さと渡英への待ち遠しさは、今も忘れられない。

2018年6月○日 数時間後、ロンドンへ出発。夜中2時0分発。母子での旅路、怪獣を連れて。。

Hako日記より

渡英後、最初の3週間

さて、ロンドンのすまいは、ウエストロンドンにあるChiswickという場所になりました。ちょうど主人の同期がこの家に今住んでいて、7月に帰国することになるため、そのタイミングでこの家を引き継ぐことになったのです。

渡英してから最初の3週間は、まだ同期が住んでいたことや入居前のクリーニングなどもあり、Chiswickの新居には入れなかったので、Ealing Broadwayにある家具付きのFlat(マンションのことをこう呼びます)で暮らしました。
このあたりは日本人が多く暮らしていて、この部屋のオーナーもなんと日本人でした。
ドアを開けると玄関はなくてふかふかの絨毯敷きの広い廊下が広がり、リビングにはピアノが置かれ、大きな絵がセンスよく部屋や廊下に飾られています。部屋数は少ないけれど、ゆったりとした広さの素敵な間取り。マントルピースのある憧れの家に住めてうれしい私。渡英して早々にイギリス駐在を実感 & 満喫。
この後やってくる100箱以上(😓😓)の荷物もまだ届いていない今、スッキリと片付いたノーストレスの理想的な生活を味わえました。
一方子どもたちの感想は?
「絵の天使が絵から出てきそうで怖かった」
って後から言っていました。

正面奥にある天使の絵が怖かった2人

6月○日いま何時だと思いますかー。PM8:15です。公園でピクニックしてる人も。子供も夜更かししちゃうよね。
6月○日 渡英後一週間たち、時差ぼけで昼寝ばかりしていた息子の体内時計も昨日から通常に。今日は初めて三人でItalianレストランへ。

Hako日記より

イギリスに来てびっくりしたのが、なかなか夜にならない夏の夜。
PM10時でも鳥さんたちがビーチクバーチク鳴いています。カーテンを早めに閉めておかないと、時差ぼけの子供達はますますなかなか寝つきません。
この昼間の長〜い夏をその後4回味わいましたが、今でも恋しくなるほど最高!!!の季節でした。
蚊もいない、湿度もない、カラッっと程よく暑い。そして夜10時ごろまで明るい。
昼が長いので、遅くまで子供たちは公園で遊べるし、パブのガーデンで大人たちはエールやラガー、ワインを、子ども達はレモネードとチップス(フライドポテトのこと)を楽しめるし、夜のピクニックだってできる。そしてなんと言っても夏休み!! 子供たちが安心して夜更かしができてしまうのでした。イギリスにいくなら絶対夏がおすすめです。

ついに新居先へ。その環境は?

さて、新居先ですが、周辺の環境はまさに我が家が望んでいたもので、ご近所さんはヨーロッパ圏の出身者が多く、我が家の両隣りにはイギリス人ファミリーが住んでいました。
「どちらのファミリーもとっても親切で良い方たちだから、安心してね。何かあったら力になってくれるはずよ。頼れる存在だよ。片方の家には同じぐらいの歳の子供達がいるから仲良くなれるんじゃないかな」と、同期の奥様からの事前情報もあり安心したのでした。
学校は家のすぐ近くで、校門までは徒歩3分以内。また緑豊かな大きな公園も近くにあり、バス停も近い。何よりも治安がよく子育てがしやすそうな雰囲気。さらには日本人が多く住むアクトンエリアへもまあまあ近いので、病院や日本食の買い出しも週に数回であれば気軽に通えるとのこと。
始めてこの駅に降り立った時の感想は、こんな風でした。

はじめて新居を見に行く。最寄り駅はターナムグリーン駅。
ターナムグリーン駅はChiswick(チヂック)という地区にあり、イーリングブロードウェイ駅に比べて小ぢんまりとしているが、駅前は商店街といった感じで店が連なっている。肉屋や魚屋、八百屋、デリカデッセン、カフェ、ピザ屋、日本食レストラン、ブティック、手芸や、玩具屋、、、それらの店がどれもオシャレで、イーリングのお店よりもクオリティが高いお店が多いのが一見してわかった。駅の周辺には豪邸がひしめいている。道も広くて赤レンガの豪邸がゆったりと並んでいる。我が家はその豪邸エリアの裏手にあるセミディタッチドハウスなのだが、このあたりもなかなかの高級住宅地のようだ。ロンドン駐在中の数年は、ここでご近所付き合いをさせてもらうことになる。家のすぐ前に学校があるのでとても便利だし、駅まで徒歩15分、さらに駅前の商店街を我が家と反対側に向かうと、カフェやパブ、レストランが連なるハイストリートにあたる。ほどよく静かで洗練された店が立ち並び緑が多く、駅を降りてすぐに心が躍ってしまったほど、素敵なエリアだった。

Hako日記より

そうなのです、Chiswickはアッパー階級とアッパーミドル階級が暮らす、洗練されたエリアなのでした。そんな素敵な場所に我が家も居を置くことになったわけです。期限付きですが、うれしい社会勉強です!?
老若男女問わず、歩いている人たちみんながオシャレでクール!!! 白髪のおばあちゃんがカラフルなノースリーブに短パン姿でサングラスをかけて犬の散歩してるなんて、かっちょいー。

クラスメイトたちと初対面!!

6月○日 今日はPrimary schoolの見学に。こじんまりとしたイギリスらしいレンガ造りの古い建物。案内してくれたのが校長先生。とても感じが良い。日本の小学校の先生とは全然違う印象。ずっと気さくで、生徒に対してもそんな感じ。生徒みんなの名前を覚えてるんじゃない?と思うぐらい。生徒と先生の関係がもっと近いっていうのかな、それが第一印象だった。
私たち家族以外にも学校見学に来ている家族がそれなりにいて、みんなでゾロゾロとYear4(日本の小3)のクラスを見学させてくれた。パパの会社の同期の娘さんNちゃんがいるクラスだ。担任の先生が何か質問すると、Nちゃんがスッと手を上げて発表した。ペラペラの英語!!!! 隣でパパが「完璧なクイーンズイングリッシュだなあ」と感心していた。私にはクイーンズとアメリカンイングリッシュの違いはまだわからないけれど、「我が子たちもいつかあんな風になるんだなあ、そうなります様に」と思いながらNちゃんの英語に感動して発表を聞いていた。
学校見学の最後に、我が家だけが残り、娘が入ることになるクラスを見せてくれた。
担任はベテラン風な中年の女性の先生で、教室に入ってきた娘を見ると、おいでおいでと手招いてくれた。先生に招かれるまま、みんなの前に立ち、クラスみんなの前で紹介される娘。
緊張しながらもちゃんと前を向く姿に、心の中で声援をおくる親二人。
クラスのみんなも突然の外国の転校生登場に驚いたみたい。
子供達は「わ〜」といって興味深そうに娘を見ている。そして先生の呼びかけで「ハーイ、○○ー○ー」って全員が声を揃えて娘の名前を呼んでくれた。
教室を出るときも「バーイ」って。
担任の先生は、「きっとお世話がかりが列をつくるわよ!」って笑顔で言ってくれた。
優しい空気が流れていて安心。娘も早く学校にいきたい!って。
夜はウィリアム王子とキャサリン妃のウエディングでふるまわれたというCHAPEL DOWNのスパークリングワインで親二人は乾杯。
登校は一週間後だ。

Hako日記より

この時の娘とクラスのみんなの様子、そしてそれを見守る私たちのことは今でもはっきりと覚えています。
どちらかと言えば人見知りをする、自ら人前に立つことを好まない子ですが、先生から呼ばれたこの時、恥じらう様子を見せずにしっかりとみんなの前に進んでいきました。その後ろ姿は、異国で生きることへの強い決意のようなものが感じられ、とてもとても誇りに思いました。

後からこの時のことを聞くと、「えー、今教室に入りたくないよ」「先生が紹介してくれている間、見かけた女の子を見ていたらみんな笑ってくれた。ドキドキしすぎた。でもこの学校なら絶対楽しめるって思った。絶対仲良しもできそう。英語もしゃべれるようになりそう、できると思った」「気持ちとか伝わりそう、なんとかなりそうって思った」
と話してくれました。
確かにその通りで、先生を筆頭にクラスメイトたちは、とても温かい雰囲気で日本人の少女を歓迎してくれたのです。
私はそのことを今でもありがたく思います。このクラスメイトたちと、その後も帰国するまでの約4年間ずっとスクール生活を共にすることになったのですから。(#3に続く)


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