「調子」という言葉の意味
今日は晴れ。わたしの部屋には暖かな日差しが窓から入ってくる。心地が良い。晴れの日は不思議と調子が良い。
調子。
うつ病を患っているわたしにとって「調子」という言葉は、一般的に使われるそれとは少し違う。今日の症状はどのような状態かを簡単に表せる便利な単語だ。
数年この病を患い、気付いたことがある。
晴れていて日差しが出ている間は穏やかな気持ちで過ごすことができるということ。日が沈むと気持ちも少し沈む。曇りの日はなんだかどんより気分で、雨の日は最悪。
こんなに自分が天気に左右されているなんて、最近まで気が付かなかった。雨の日は低気圧の影響で体調が悪くなる人が多く、自分もその一人だと自覚していたが、単純に天気に影響を受けているなんて。
うつ病は過度なストレスが原因で発症する、と広く知られているだろう。
ストレス、とは難しいものだ。一般的にストレスとは悪いストレスの意味で使われているだろうが、良いストレスもあれば悪いストレスもある。昔何かの授業で習った。例えば、友人と旅行へ行く。それは厳密にいえば良いストレスを受ける行動なのだ。
わたしはおそらく慢性的な心因性発熱も患っている。二年以上微熱があり、平熱の日がほとんどないからだ。心身症の一種だといえば分かりやすいだろう。つまりわたしにはまだ自覚のないなんらかの悪いストレス源がある可能性が高いということになる。
うつ病は寛解に近づいていると感じている。希死念慮がある日はだいぶ減ったし、心を穏やかに保てる日が増えた。それでも、微熱は下がらない。体温計が37.5℃を示す日も多くある。
では、ストレスを取り除いた環境で療養中であるはずのわたしにとって、悪いストレス源となっているものはいったい何か。
思いあたるものが一つある。それは、「孤独」。
わたしは事情があり一人暮らしで療養生活を送っている。一緒に暮らしている動物もいない。
先日見たアメリカの医療ドラマの中で「愛は人を傷つけるけど、孤独は人を殺す」というセリフがあった。つまり孤独は自分自身をゆっくりと蝕み、やがて自分の寿命を縮めることに繋がる、というわけだ。孤独は健康に与えるリスクが大きいと彼は言っていた。
孤独はリスクであるということが分かった。しかし、そう簡単に解決できる問題ではない。病気を抱えているからこそ、毎日どこかへ通うことはできないし、わたしにとって今はただ生きるということをするだけで精一杯なのである。
わたしが健康になれる日は来るのだろうか。方法は見つかるのだろうか。常套句だが、出口の見えないトンネルをひたすら進み続けているような気分だ。