ナウシカ2として読み解く『君たちはどう生きるか』(ネタバレ有)
「君たちはどう生きるか」を見た。正直混乱した。物語を理解するために「ナウシカ2」として読み解くと筋が通る気がして、一念発起してこの文書を書いた。一人の宮崎ファンの感想として、もし読んでいただければ嬉しいです。
当文章は、映画「君たちはどう生きるか」、映画/漫画「風の谷のナウシカ」のネタバレを含みます。見ていない方は今すぐ劇場に行って見てきてくださいね。
前置きを省略したい人は 3.ナウシカ2として読み解く「君たちはどう生きるか」から読んでください。
1. なぜ「ナウシカ2」として鑑賞したのか
公開前週の7月7日に、「君たちはどう生きるか」公開記念として、金曜ロードショーで「風の谷のナウシカ」放映。何度も見ている作品なので、その日は全く見るつもりがなかったのだが、チャンネルを変えた一瞬のシーンの強さに負けて結局は最後まで見ることに。数年おきに観賞しているため、見るごとに新たな発見がある。今回は、フラットでポップで凛々しいキャラクター作画がむしろ現代的だなあとか、うまくオブラートに包んでいるけど、人が死にすぎていて、とんでもないバイオレンス映画だなとかそんなことを思っていた。
ナウシカ放映後の午後11時22分に、ジブリ公式Twitterから投稿された画像。一瞬流し見たが3分後くらいに違和感に気づく。ナウシカ放映日の今日は7月7日なのに、なぜ「君たちはどう生きるか」公開日の7.14の日付がついてるんだ…と。来週の7月14日の金曜ロードショーは「コクリコ坂」ではないか。
事前情報が封鎖された「君たちはどう生きるか」が「ナウシカ2」なんじゃないかという噂話は、インターネット上でも以前からまことしやかに囁かれていた。ナウシカ放映前日の7月6日に掲載された鈴木敏夫氏のインタビューにも「ナウシカ2」の文字が。しかし、鈴木敏夫氏は名プロデューサー・凄腕マーケターとして知られるため、その記事を読んだときは「ジブリのオールドファンに向けてのうまい宣伝だな」くらいにしか思っていなかった。
もにゃっとした想いを抱きながら寝床に入り、インターネットを巡回していたところ、夜中の1時14分にジブリTwitterから次の投稿が。
青いスクリーンの動画らしく音を出してみると心臓の鼓動のような海の音のようなものが聞こえる。自分は知らなかったのだが、有識者によると、これは「ドルビーシネマ」という上映方式の入場口にある「AVP(オーディオビジュアルパス)」という名の「雰囲気盛り上げスクリーン」であるという。普通は上映する映画にちなんだ映像が流されるものらしい。(例えばマトリックスだったら、緑の文字がスクロールされるおなじみの画面だったりする)
これが「君たちはどう生きるか」上映時のAVPだとして、何なんだこの色は。特徴的なブルーグリーンは先ほど映画ナウシカ内で見た、王蟲の目の色、終盤のナウシカの青い衣の色である。ナウシカのビデオソフトのパッケージにもなっているこの色を当文章内では便宜的に「ナウシカブルー」と呼称してみる。
「君たちはどう生きるか」公開日の日付がつけられたナウシカの画像と、「ナウシカブルー」に染まったスクリーンの動画。先ほどの映画ナウシカ鑑賞後の高揚感も合わさって「本当にナウシカ2やるの」という考えが頭をよぎる。「君たちはどう生きるか」上映日までの7日間で、その妄想はますます膨らんでいくのであった。
2. 公開当日 劇場にて
そして公開当日。今回は特別なのでいつも行く映画館とは別のドルビーシネマにチケットをとる。耳をふさぎながら劇場に入場して、例のナウシカブルーに染まったAVPも確認。君生きはナウシカと関係のある話なんだという血迷った考えを深めていく。
「ナウシカ2」の内容を想定したときに考えられるパターンは3つある。
ナウシカ漫画版 未映像化部分、3巻以降の映像化、ナウシカ完全版
ナウシカの前日譚 、On Your Markとナウシカまでを繋ぐ話
ナウシカ漫画版7巻より未来の話、ナウシカ後日譚
「1.ナウシカ完全版」については、宮崎駿氏自ら監督する映画でいまさらやるとは思えない。漫画版は既に「完成された作品」であるからだ。
「2.ナウシカ前日譚」――火の七日間の前なので、まだ文明がめちゃめちゃになっていない時間軸。未来社会でのサイバーパンクな宮崎ワールドを長編映画で見てみたい気もする。
「3.ナウシカ後日譚」――漫画版7巻でナウシカたち現世代の人類は、旧世界の人類が作り出した「改造人類」であることを知る。そして、世界が浄化されるまでの「つなぎ」の役割でつくられた「改造人類」は、腐海が浄化した真に清浄な空気の中では生きていけない身体であるという。しかしナウシカはそれをありのまま受け入れ、「腐海が浄化されるその朝を越えて、血を吐きながらも鳥のように羽ばたいていくこと」を説く。単純なハッピーエンドで終わらず、改造人類の行く末に不穏なものを残したもやっとした結末。もし後日譚があるならば、ナウシカたち改造人類の一族がこの先どのようなかたちで生き延びていくのかが描かれたりするのかもしれない。
そんなことを考えているうちに上映がはじまり、鑑賞した。映画の内容は期待していたものとは少し違った。前半、宮崎駿の自伝的なパートがあるというのは、数年前から情報があったので、本当にそれやるんだという気持ち。後半、塔の中の世界に入ってからが本番かと思ったが、シーンごとの繋がりが唐突な部分が多く、リニアな構造の理解しやすい冒険活劇ではなかった。ストーリーがすごく薄い。そのシーンで「何が表現されているのか」「なんでこのシーンが必要なのか」を知るためには、シーンのアニメーションを見た時のそのままの「印象」や、シーンに出てくる事物が文化的、物語的に纏っている「意味」について考えて、それを当てはめていかなけらばならない。あのいわゆる「メタファー」というやつ。
強引で自分勝手な当てはめは批評としてすごく嫌われる。しかしながらエンドロールまでナウシカブルーだったように、ジブリ公式が「この物語はナウシカ2として読んでね~」という怪電波を送ってきている。確実に。オールドファンたちの脳に。だから仕方がない。この物語の(特に塔パートは)ナウシカ2であると考えて、シーンごと、事物ごとに意味を当てはめてみたところ、「3.ナウシカ後日譚」として筋の通った物語が解釈できるような気がするのだった。
3. ナウシカ2として読み解く「君たちはどう生きるか」
ここから、映画「君たちはどう生きるか」のネタバレがあります。また、漫画版「風の谷のナウシカ」全7巻を読んでいることを前提に話を進めます。
映画全体のあらすじは省略。自分が「君たちはどう生きるか」を「ナウシカ2=ナウシカ後日譚」として読み取った内容は以下の通り。そう考えた理由についてこの後の文章で記していきます。
「君生き」の謎解き まとめ
墓所
「上」から落ちてきた眞人くんが最初にたどり着く場所。彼岸の雰囲気を感じる海岸に墓所が佇み、亡霊たちが船を出していたり、高身長イケメン女子のキリコさんが漁をして、謎の生物「ワラワラ」を育てていたりするステージ。
この一連の場面を何の道しるべもなく見た場合、正直意味不明。墓所の門には「我を学ぶものは死す」的な文言があり。こわい。その後一切出てこないワラワラたち。単にかわいいマスコットをだしたかったのかな?キャラクタービジネス重要だよね。お母さん、そんな笑いながらワラワラを焼いちゃだめだって、フレンドリーファイア禁止。ペリカンが急に含蓄のある声で人間の言葉をしゃべりはじめたり。実はキリコさんは、塔まで一緒についてきてしまった使用人のばあばと同一人物らしい。なんで急に若返った? そもそもこの場所に最初から居て生活していたよね? などなど。疑問は尽きない。
そもそも「墓所」とは漫画版ナウシカ7巻で、ナウシカ達が最後にたどり着く、物語最終盤のキーとなる場所である。漫画版ナウシカの墓所は「旧世界の超技術」と「凶暴ではなくおだやかでかしこい人間となるはず」の「新人類の卵」が収められていて、来るべき世界が浄化されるその日まで、墓守の人口生命体「ヒドラ」が管理している。汚染に適応したナウシカたち改造人類を清浄な環境でも生きていけるように作り替える技術もあるらしい。そのうち「シュワの墓所」はナウシカが巨神兵のオーマの力を使って盛大にぶっ壊していた。墓所のヒドラの話し方とかがなんとなく気に入らなかったのだろう。墓所は壊されたシュワの墓所だけではなく、他にもいくつか存在するらしい。
「ナウシカの墓所」と「君生きの墓所」を同じものと考えた時に、読み取れなかったシーンの意味が少しわかってくる。がその前に、論旨を明確にするために、一つの用語の意味を確認しておきたい。
君生きで象徴的に使われる言葉として、「悪意」というものがある。法律用語では悪意は知っていること、善意は知らないことを意味する。「悪意の第三者」という条文は「事情を知っている第三者」というように読み取れる。悪意とはすなわち知っていること=知識。前半パートでも「本」が象徴的にいくつものシーンに出てきたように、知識とは文化や文明を作り出し、創造を促し、機械、コンピューター、兵器などの強大な力を生み出す。それらは使い方を間違う、もしくは本来の用途で使用した場合、破壊や毒や人工の炎をもたらし、最終的には死をもたらすことになる。
悪意/知識 ⇒ 文化/文明 ⇒ 創造/強大な力 ⇒ 破壊、毒、炎、死
このような連想に基づいて君生きの映画内では、悪意と知識と毒と炎と死が同じような意味を持って語られることになる。「本当に良い本は人の人生を狂わす毒である」というような言い回しを聞いたことがある人もいると思う。なぜか知識はデスルドーに向かってしまうらしい。
そしてもとに戻って、墓所に掲げれられた文言「我を学ぶものは死す」の解釈。これは「(君生きの)墓所には多くのものに死をもたらすような強大な知識や文明が収められている」という意味であろう。なあんだやっぱりナウシカの墓所と同じものだったんじゃないか。君生きはナウシカ2であるとして意味を強引に当てはめていくと、少しこの映画が分かったような気がする。この調子で意味の当てはめと解釈をどんどん進めていくことにする。
荒れる海に漕ぎ出した帆船の上で、若キリコが眞人の素性を問いただすシーン。「眞人って真の人間のことか、どおりで死の匂いがぷんぷんする」的なことを言っていた。これは眞人たち昭和時代の人類が、知識や技術を身に着け、多くの死をもたらすものとして存在していることを言っている。また、「真の人間」を珍しいものとしてみるニュアンスもあり、若キリコの世界では真の人間は0または少数しか存在しないものと思われる。この後の展開からもわかる通り、塔の中の世界は、鳥たち、ワラワラ、影、虫、など異形が跋扈する黄泉の国的な描かれ方をしていることもあって、若キリコの言うことは納得感あり。ただ、一つだけおかしいのは、若キリコ自身は人間じゃないんだっけ? というところ。昭和の時代から眞人と一緒に塔の中の世界に迷い込んだはずだよね。
キリコをはじめとする使用人のばあば達。初登場時、眞人の父の荷物に群がる様子はとても人のようには思えない蠢き方をしていた。初見時は卑しい身分の使用人は、名家で資産家で高潔な俺たち上級国民とは全く別の存在なんだという意味でああいった描写をしたのかとも思ったが、さすがに少々刺激が強いような気がする。それとも、たまに言われる「妖怪のような婆」を描写するために、奇妙な動きをさせたのだろうか。
話は変わって、ワラワラ。白くてかわいい。丸いフォルムで手足が生えている。純真無垢の象徴のような表情を浮かべ笑っている存在。集団で存在し、魚などを食べるらしい。若キリコによるワラワラについての言及、「ワラワラは殺せない(から俺が殺して食べ物を与えて育てている)」「ワラワラは育つと一斉に空に飛び立ち、上の世界で生まれる」「魚の内臓はワラワラが飛び立つための滋養になる」
ナウシカの墓所にいる純真無垢な存在といえば「新人類の卵」だ。新人類はナウシカたち改造人類や(旧世界の人類)と違って凶暴ではなく穏やかな存在になるという。もちろん殺生もできないだろう。なんとなく、君生きのワラワラは、新人類の卵なのではないかという推測が成り立つ。
漫画版ナウシカ7巻を引っ張り出してきて「新人類の卵」の描写を確認。透明な卵の殻の中に、ワラワラのような丸っこいものが浮いているようにも見える。
君生き劇中の描写で言うと、眞人の手の上で頑張って飛び立とうとするワラワラの手足が、一瞬育って、リアルな人間の手足のような様相を見せるシーンがある。丸くて白い抽象的な肉塊に、リアルな人間の手足のコントラストは少々グロテスクでもあった。これどこかで見たことがあると思ったら、「エヴァンゲリオン」シリーズに出てくる、アダム/リリスの描写が思い浮かぶ。
アダム/リリスはエヴァ作中でも人類のオリジン的な位置づけで語られる存在である。白くて丸い肉に手足がついたワラワラの意匠は、人間の原型のようなものを表現していると考えてもそこまで間違っていないだろう。
ワラワラが墓所に収められている清浄な新人類の卵だとして、それを世話して育てている若キリコの存在は、ナウシカ劇中の墓所の守り人、人造人間「ヒドラ」であると読み取ることができる。そう考えると若キリコが眞人(真の人類)を自分とは違うもののように言っていたことと辻褄も合う。
自分は2回目に鑑賞したときにやっと気づいたのだが、キリコの劇中での旅路の解釈にミスリードが生じるような構造になっている。初見時は、眞人と一緒に塔の中の世界に入った老キリコに何かのファンタジーな力が働いて、若返った存在として眞人の前に姿を現したのかと思っていた。いやそうじゃない。ヒミママにお供して一緒に昭和の時代から塔の中の世界に来て、それから墓守のような生活をしていた。というのも実は違う。若キリコは塔の中の世界に最初から住んでいて、物語の最後にヒミママと一緒に、昭和の時代に“出て行った”のだ。
キリコ(&ばあばズ)は塔の中の世界の原住民で墓守のヒドラで人間ではない。そう考えると物語序盤のばあばズの人間離れした動き、全編にわたっての戯画化された描写の説明もつく。キリコが昭和の時代に来たのは、ヒミママが塔世界から戻ってきたタイミングだとして、他のばあばズはどのタイミングでこちらの世界にやってきたのか、劇中の描写からはちょっとよくわからないが、一旦置いておく。
塔
君生きの墓所は漫画ナウシカに登場する墓所と同じものだということを今までに述べた。ナウシカの物語を知っているならば、このような疑問を抱く人もいるだろう。「なぜ、産業文明の始まりから1000年後の、未来の話であるナウシカの墓所が、過去の昭和の時代に存在するのか?」と。
その疑問に答えるために、塔がどこから来たのか考えてみよう。ばあばによると、塔は、ヒミママのおじい様が健在な時代に、空から隕石のように落下してきた。塔が特別なものと気づいたおじい様は、塔の外側にさらに建物を作って保護した。ということである。作中の描写によると、塔は縦に長い瓜のような形で、ところどころに穴ぼこが空いている。これはあれだね。君生きの「塔」とは漫画/映画ナウシカに出てくる、「星への旅に使われた船」と同じものであろう。そうに違いない。形がだいたい似ているし。
思うに、塔は火の七日間の前後に無数に作られ打ち上げられた「星への旅に使われた船」の中の一つ。役割は滅びゆく地球から人類文明を他の星に避難させること。(そのため、中に新人類の卵と知識を収めた「墓所」と「文化芸術」を収めていたとされる「庭」がある)船は他の恒星系を目指して出発したのだけれど、そのうちの一つが宇宙的なブラックホール的な何かに巻き込まれ、猿の惑星ばりに、時間を越えて過去の昭和の時代の地球に戻ってきてしまったのではないか。
そして、昭和の時代とナウシカ後の未来の時代を繋ぐルートはもう一つある。眞人がヒミママと一緒に何回か行った、数字のついた扉が無数にある廊下。ヒミママは「扉の先がいろんな世界に繋がっている」と言っていた。異世界的なやつ、かなーと思ってしまいがちなのだが、これもミスリード。物語のクライマックスでおじい様が言うには、これは「時の回廊」。他の世界ではなく、”地球の別の時代”に繋がっているのだ。扉が無数にあったことから、おそらく地球のあらゆる時代に繋がっているのだろう。ちなみに、米津玄師氏による本作のエンディングテーマの題名は「地球儀」である。
こういった風に考えると、はるか未来のナウシカ劇中の世界のものごとが、時を遡って昭和の時代の塔の中の世界に出現してしまうことの、一応の説明にはなると思う。
石
作中ではいくつかの「石」が出てくる。天空の城ラピュタなどの過去の宮崎氏の作品にもあるように、今作の「石」も知識や科学の結晶を表現しているのではないかと思う。「塔」というのは「石」でできていて、石はそれ自体が火の七日間前後の科学技術を結集した、超性能のコンピューターの結晶であろう。莫大な計算資源を持っているために、自身の内側に世界を構築したり、いろんな時代に扉を開いたりすることができる。眞人が通った光に包まれた石のトンネルや、入るまで姿が見えなくなる庭園の描写が、それらが魔法ではなく超技術によってなされたことを表現しているように思う。
鳥の正体
君生き劇中には3種類の鳥が登場する。
1.アオサギ
君生きポスター、メインビジュアルになっている鳥。インターネットでは君生きバードの名で親しまれている。他の鳥と違って一人しか登場しない。主人公の眞人を塔の中の世界に連れ込み、冒険を進行させる狂言回しのような役割で描かれている。鳥の外見は実は二重構造になっており、内側には禿げ頭で鼻が大きいおじさんが入っている。この二重構造の意味がなかなか理解しづらい。鼻が大きいし、マリオ的な感じで被り物が趣味のかわいいおじさんなのかなと言うのも違うだろう。現実にも照らして考えた場合、全身を覆うスーツが必要な場面は、生存のために内側の環境を外側の環境とは違った状態に保つ必要があるときだ。君生きはナウシカだと考えた場合、アオサギの鳥の姿の外側は、作中でナウシカ達がずっと身に着けていた、瘴気から身を守るマスクか防護服のような役割をしているとも解釈することができる。
2.ペリカン
眞人が塔の下の世界の海岸に降り立ったシーンで登場。群れを成して動き、眞人にペリカンプレスをお見舞いし、墓所の門を開けさせた。当初は知性があまり感じられないムーブをしていたが、若キリコの住んでいる船のシーンでは少し印象が変わる。まず、ワラワラの羽化シーンでは、ワラワラを捕食する害獣のような存在として描かれた。これは先のシーンと同じ。その後の夜中の場面では傷ついたペリカンと眞人が対話をすることになる。対話シーンのペリカンは先ほどとは打って変わって理知的な印象。含蓄の聞いた渋い声で人語を話し、死の間際に眞人にペリカン族の窮状を訴えるのだった。「この食べるものもない世界に一族で拉致され連れてこられた」「ワラワラしか食うものがない」「一族は(状況を打開しようとして)大きく空に羽ばたいたが、どこまで行っても結局この島に戻ってくるだけだった」白い羽を大きく空に広げて飛び立つ部分のアニメーションがとても美しく描かれており、その場面からは誇り高い種族であるという印象を受ける。漫画ナウシカ7巻のクライマックスで、ナウシカが自分たち改造人類のことを「鳥」に例えて語っていたことが思い出されるようだった。
3.インコ
姿かたちはインコであるが、人語を話し、直立二足歩行をし、羽の部分が手のように変形する。数がとても多く、集団で動き、軍隊のようなものを形成している。人間(眞人)を料理して食べようとしていた。塔の中の街に集団で住んでいて、インコ大王のもとにインコ帝国という国を築いている。インコの街が映るシーンでは、環境が悪い中でも仲間で手を取り合って生き抜いている民衆、のような印象を受ける。デザイン的には実際のインコの鼻の部分が強調されて大きく描かれており、見ようによっては、仮面の甲冑を被った人間の兵士のようにも見える。旗や鎧などに描かれている「インコ帝国の紋章」がどこかで見たような形をしている。
鳥 = 改造人類の末裔
今まで述べた通り、作中の鳥は普通の動物の鳥ではない。ナウシカはナウシカたち改造人類のことを「血を吐きつつ(浄化の日の)朝を越えてとぶ鳥」と表現している。傷ついたペリカンの「わが一族は大きく空に羽ばたいた」発言は、そのイメージに合致する。インコの人間臭さ、悪い環境でも手を取り合って生き抜いている様子。鼻の部分が強調されて、鎧仮面を被っている兵士のようにも見えるフォルム。インコの群衆の描かれ方が、映画版ナウシカの兵士や人々の描き方に似ている。アオサギの鳥の外殻が防護服のようなものと推測されること。これらから、君生き劇中の鳥は、風の谷のナウシカ劇中の「ナウシカたち改造人類の一族」が清浄になった環境に適応するために、生命の形を変化させた姿だと解釈することができる。塔の中の世界に草花が生い茂り、虫や小動物が繁栄している様子は、塔の中が完全に浄化された世界ということを表現している。完全に清浄な環境では生きられない改造人類は、それらから身体を守る防護服を身につけ、やがて鳥になったのだ。
なかでもインコたちは風の谷のナウシカに登場する「蟲使い」のデザインに似ているような気がする。インコ帝国の紋章もナウシカのメーヴェを象ったもののようにも見える。風の谷のナウシカ漫画版7巻で、ナウシカシンパになった蟲使いの一族の末裔が、時を経ても生き抜き、生命の形を変化させてインコ族になったのかもしれない。
キャノピーのシーン
少々余計になるが、前半パートで気になった部分を説明。眞人の父親の工場で作った戦闘機のキャノピーを屋敷の居間に一時的に持ち込むシーン。並べられたキャノピーは風の谷のナウシカの王蟲のようにも見え、父に感想を聞かれた眞人は思わず「美しいです」と言ってしまう。結局、キャノピーは劇中でまた工場に戻されていくのでなんやねんこれというシーンなのだが、作劇的には二つの意味があると思う。
一つ目としては、幼少の宮崎少年が戦闘機のキャノピーが並んでいる光景を見て、後に風の谷のナウシカの王蟲をデザインしたんだよ。ということであろう。おなじみキャラの誕生秘話を教えてくれているようで、ファンの人は歓心したのではないか。まあ端的に言うとジジイの昔話なのだが、宮崎氏のすごいところは、それを映画にして全国民に向けて上映してしまうことだ。一般人とは人生のレベルが違いすぎてとてもかなわない。
二つ目の意味としては、昭和時代の人類(の末裔)が知識を持って人工の炎を使い、やがて巨神兵や王蟲を作り上げ、火の七日間を起こす血塗られた一族ということを表現している。わざわざこの場面で王蟲の群れに見えるモチーフを出してきたのは、この物語が後に風の谷のナウシカのタイムラインに直接つながる時間軸であることを示しているのだろう。
解釈まとめ
エンディングの意味
塔の中の世界の運営者の跡継ぎを眞人に引き継ぎたいおじい様。眞人君の「悪意に染まっていない石が欲しい」との無茶ぶりにしたがって、悪意のない純粋な石を調達してくる。しかし眞人君は「悪意のない石はありえないのでいらない」的なことを言っておじい様の申し出を断ってしまう。このやり取りは漫画版風の谷のナウシカ7巻にある、ナウシカと墓所の主とのやり取りと一致する。清浄な世界の再生を求める墓所の主に対して、清浄な生命などありえないとそれを拒否し、穢れのない新人類の卵が収められた墓所を、巨神兵の血に染まった文明の炎で焼き尽くすナウシカ。
人間は知恵を持ち、科学を発展させ兵器を作って殺し合いをしながら生きていく血まみれの一族ということをあらためて強調し、そうであっても、生命として生まれたからには、どんなに苦しんで生命の形が変わっても、次代に命を繋いで生き抜いていくという強い決意にあふれた結論である。
脇に逸れるが、おじい様がぽろっと言っていた「これから炎に包まれる世界に戻るのか」という言及は、眞人たちの昭和の世界が、ナウシカの火の七日間の世界につながることを意味している。おじい様は、時の回廊の扉からあらゆる時代を観察し、地球の過去から未来まで、ナウシカの時代も含めて、一連の流れを把握しているのであろう。
そのあとの場面で、眞人とヒミママたちは扉から出て、それぞれの時代に帰っていくことを決める。迎えに来た父とナツコと喜び抱き合う眞人。眞人の後からは、ペリカンとインコたちも扉から出てくる。鳥たちは大空に飛び立ち、大団円となるのだった。
この部分で、鳥たちが外に出ることによって、なぜ「イイハナシダナー」感を醸し出しているか疑問に思った人も多いだろう。先ほどまで見てきたナウシカ続編であるという視点で解釈すると以下のようになる。
地球が清浄な世界になった後に、そのままでは生きていけず、困窮して鳥になってしまったナウシカたち改造人類の末裔が、本当の鳥になって過去の地球の広い大空に飛び立っていく。ナウシカコミックスの最後で抱いた疑問「ナウシカが墓所をぶっ壊しちゃって、彼らはこれからどうなるんだろう?」に対しての数十年越しのアンサーが与えられたことによって、オールドファンたちの涙腺は思わず熱くなる。イイハナシダナー。
ということなのである。以上、ナウシカ狂信者のファンの一意見として、面白がって読んでいただければ幸いである。