美意識と影響力
悔しいほどの、徹底。
クリエイティブの第一線を走る強さと怖さ。
アートな仕事仲間
いつもお仕事をしているメンバーの中には、
YouTube登録者が10万人を超えるクリエイターがいる。
そんな彼とサービスを作り上げていた時のお話。
彼の場合はクリエイターというより、彼の人生そのものが、アートである。
なぜアートかというかを説明するのならば、彼は彼なりのものの見方を常にしていて、誰かが間違っている、正しいと言ったところで、自分の考えを通すことが多い。そんなところが、アーティストだなと思う。もちろん、説得は聞いてくれるし、良いと思った時は意見を変える。
そんなアートな彼は、人が憧れるほどの美しい動画を作り、人、物を魅了させる。
そんなすごいことをしているのだ。
サービスを作ってたとき
作り上げていたサービスというのは、彼の知識を得られる教材。
私は主に管理の部分とそれを販売するためのwebサイトデザイン、UIUXなどを担当していた。
その中で、サービスのリリースまでの1週間は、彼のことが嫌いになるかと思うほど、悔しかった。
苦しいぐらいに、彼の目指す美しいサイト、完璧な物を作り出せなくて。
できないのは自分なのに、自分を憎む代わりに彼とのビデオ会議が少し嫌いになったほど、悔しかった。
結果、彼を満足させるようなサイトが作れたのかは、わからない。私も、エンジニアの方も、ものすごく短期間で、努力はした。
けれどもそれが120%の努力だったかと言われると、なんとも言えないし、
きっとこんな文章を書いている時点で、彼以上に、私は満足がいっていない。
そしていま
そんな物を出してしまったことの後悔を力に新しいプロジェクトを動かしている。
自分で、自分の変化を感じる。
ただ、要望のままに作れば良いという考えから、自分なりにこだわりを持って、ものすごく細かいところまで見るようになったのと、
早く共有する部分と、細かく丁寧にする部分の
違いが少し分かった気がする。
何より、
クリエイティブな道を生きる、彼から学んだ、
美意識の高さ。客観視の大切さ。
これはきっと次に生きる。
欠けていたもの
私に欠けていたのは、たくさんの人に見られる
という気持ちの強さだった。
たくさんの人に使って欲しいという思いがあるのと、多くの人が使う、見るから最高な物を作らなくてはならない(ユーザーフレンドリーに、そしてかっこよく)というのは、一緒のようで、違うように今回感じた。
悔しいという思いをすること。
間違っている、かっこよくないと真正面から言ってくれる人が周りにいること。
この二つは、とっても大切にしなくてはならない。
2020年6月15日