【色んな異論】AI(人工知能)3話
AIは東洋医学
通常のプログラミングは、作業の方法やデータの流れを分析・分解し、それをロジカルに組み立てていきます。それは例えていえば西洋医学です。
体を解剖して臓器に分解し、その機能を調べて全体を組み立てていきます。また、薬も有効な成分を見出して、それを中心に作られます。
他方、ディープラーニング(機械学習)によるAIは、多量の学習データを丸ごと読み込んで相関性をもとに判断を積み重ねます。それはあたかも東洋医学のようです。
体を生きたままの状態で、感覚と経験値から治療方法を見出したり、健康になるための取り組みを編み出します。また、薬(漢方)も特定の成分ではなく、膨大な漢方薬を組み合わせて全体として効果があることを長年の積み重ねで確認しています。
AIは、対象を分解して組み立てる西洋医学ではなく、丸ごとの状態から経験値として捉える東洋医学と類似しています。
このアナロジーから、AIが導き出した結論の説明が困難であることも推測できます。
東洋医学でも、いろいろな説明する理論はありますが、「気の流れ」など物理的に説明のしづらい考え方になっており、西洋医学のようにエビデンスの積み重ねによる説明とは異なります。
日本は、西洋医学も東洋医学も取り入れている、世界でもまれな地域ですので、AIについても案外、スムーズに取り入れられる気がします。
生成AIはエクセル
ChatGPTなど生成AIが話題ですが、これはエクセル(表計算ソフト)をアナロジーに見ることができます。
AIは、それまで翻訳ソフトやマッチングアプリなどの裏側でエンジニアが使っていた技術ですが、生成AIにより一般のひとが専門的なAIの知識を持たずに使えるようになりました。
AIが仕事を奪う、という話のとき、よくコンピュータ(計算機)の登場により計算する職が失われた歴史を取り上げます。しかし、プログラムを組まないと計算ができない、つまり、プログラミングの知識がないとコンピュータを使えないのであれば、それほど大きな影響はなかったと思います。
計算する仕事に大きな影響をもたらしたのは、エクセルなどの表計算ソフトです。いまでこそ当たり前過ぎて気にしないと思いますが、表計算ソフトは従来のプログラミングとはまったく異なる簡単な操作で、さまざまな計算を自由自在に行うことができます。
その効果は、計算を間違いなく早く行うことで業務効率を上げることだけでなく、事業計画など試行錯誤する段階で大きなメリットがあります。
生成AIにおいても、定型業務を自動化して早く間違いない作業ができるだけでなく、プロンプトのコツを知ることで、いろいろなプランを試行錯誤することができます。
このことから、エクセルが当たり前に使われるようになったのと同様、生成AIも当然のように使われるようになると考えられます。しかも、エクセルは数字を扱う分野に限られてましたが、生成AIはさまざまな分野で利用されるようになるわけです。
AIは相関性。人間の演繹的思考が必要
若い人に、車の「エンジンブレーキ」のことを聞いても知らないことが多いようです。
エンジンブレーキは、そのための装置があるわけではなく、下り坂などでクラッチを切らずにエンジンを稼働することで、減速する力が働く機能を指します。
昔の車はマニュアル(MT)車で、長い下り坂をクラッチを切ってフットブレーキだけで降りてしまい、ブレーキが焼けてしまうことがありました。そのため、峠の下り坂には、ブレーキが効かなくなった車が飛びこむ坂が設置されていました。
最近の車は、ほぼすべてオートマ(AT)車で、そもそもクラッチがなく、またブレーキ性能がよくなったので、エンジンブレーキを知らなくてもほとんど事故にはならなくなっています。
そのため、今の事故データをAIに学習させると「長い下り坂をフットブレーキでおりることと、事故の相関性はない」と結論づけると思います。
しかし、長い下り坂をフットブレーキだけで下り続けると、ごく稀にブレーキが焼けてしまうのは今でもあり得ます。そのため、おそらく自動運転のためのAI学習には、実際に合った事故データだけではなく、稀に起こるが起こったら大きなダメージになる事故原因のデータを補足しているものと思います。
このように、AIはデータの相関性で結果を導き出しますので、それに対してその分野の原理、理論を知っている人間が、演繹的な見方でチェックをしなければ、「発生確率は低いがダメージが大きい」リスクに対応できません。
AIと共存していくには、この点に注意が必要ですし、原理、理論を知って演繹的思考ができるひとが求められることになるでしょう。