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音楽表現することの素晴らしさ

現在、ある世界的な巨匠の指揮者(83歳)が、東京で世界中の指揮者の卵を選んで指揮のレッスンを行っています。

私は事務局の一員としてその模様を見聞きしているのですが、学んでいる本人たちは勿論ですが、とても学ぶべきことが多いです。

まず、80歳を超えても世界中を飛び回り、演奏会をしながら次世代の育成に力を入れてるそのエネルギーです。

毎日朝から嫁まで、実質7時間ぐらいの大半は立ちっぱなしで、大声を張り上げ様々なジェスチャーを交えて熱く教えている姿には、感服するということば以外に言葉が見当たらないですね。

このマエストロの姿を見ながら、まだ60代の私がもう年だから・・・・という言い訳けをすることは、恥ずかしいことだと感じました。

また、自分が学んできたこと、長年の経験で培ってきたことの全てを「伝承」していきたいという強い熱意が、溢れかえっていることです。

彼は崇拝するある作曲家の音楽が、顧客受けするように大げさに表現されて演奏されていることに対して、それは間違っている!彼の音楽の本質はこうなのだ!と強く主張され続けています。

正しく本質を伝承することに対するこだわりを持って舞台を動き回る姿を見て、振り返って自分が次世代に何かの拘りを持って伝えたいと思うことがどれほどあるだろうか?と思います。

人生後半にもなると、「伝承」は人間にとって重要な目的の一つとなりうるものです。その前に「伝承」する資産をを持っていることが必要ですが。。

指揮者がオーケストラに指導する際に、様々な比ゆ的表現を使うことが多くあります。直接的に「強く」とか「ゆっくり」というのではなく、演奏者に自分が求める音楽のイメージをポエム的に様々な言葉で表現するのです。

このマエストロもそうした表現の天才でもあります。
曲の一場面で、「このフォルテ(強音)の後のピアノ(弱音)の部分は、フォルテより”濃くないといけない”んだ!」と濃いピアノ??を求めていました。

各楽団員は、それを聴いてそれぞれどういう弾き方をすればいいのか考えるわけですね。もはやイメージの世界なのですが、それが単に「そのピアノの部分を大切に弾きなさい」とか、「丁寧に」という直接的表現よりもはるかに「大切に、丁寧に」弾くことの必要性を印象付けているのです。

また、ある休符で音が無い時間については、「沈黙の中で音が動いている意図を伝えることか大事だ」とも言われていました。
音を出していない時に、どうやって意図を伝えるんだ?と各団員にそれぞれに必死に考えることを求める素晴らしい表現方法なんですね。

音楽を学ぶことの素晴らしさ、楽しさはここに極まっているのです。
単に演奏を聴くだけではわからないことを学べる点で、リハーサルは極めて貴重です。
指揮者だから自分がこう弾いてくれとは言えないので、言葉で演奏者のイメージを膨らませる表現を使って、自分が求める音楽を作ろうとしているのです。

ある意味、詩人とも言えるのではないかと思います。
音楽は、音楽だけを学んでも平坦な音楽しか表現できないのです。
「こういうイメージで弾いてくれ!」と指示されて、それを指揮者が要求した通りに音楽で表現するためには、文学や哲学・歴史など様々な知識を幅広く身に付けることが必要なのです。

それは音楽に限らず、全ての専門分野について言えることで、周辺の知識と経験、あるいはまったく別分野の知識と経験が、その専門性を誰にも真似できない高いレベルの個性に持ち上げてくれるものなのだと思います。

マエストロは、団員に対して、そして団員の演奏(表現)を通じて顧客に対して、表現したいことを指揮棒の振り方だけではなく、顔の表情や、体全体の動き、そしてリハーサル時は魔法の言葉の表現も使い全力で伝えています。
そこには、作曲家と曲に関する幅広い知識と深い考察、そしてマエストロの人としての様々な経験との幅広い知識が溢れているのです。

表現は相手に伝わってこそ意味があります。
マエストロの表現は、伝わるを通り越して、受ける者の脳の記憶中枢である海馬にその瞬間瞬間が焼き付くほどのものとなっているのです。


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