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新しいロックだったRed Hot Chili Peppers


■ミクスチャーロック


レッド・ホット・チリ・ペッパーズのデビューは1984年なので、結成からは40年も経つ歴史あるバンドです。
ロックという表現が文化的、特にユースカルチャーにおいて最も重要な表現であった70年代を通過して、80年代に入りより大衆化することで完全なポピュラリティを獲得したと思います。
それはロックが金のなる木になったということだったのですが、同時に、裾野の広がりによる多種多様化が進むということでもありました。スタジアム・ロック、ヘヴィ・メタル、ポストパンク、ニューウェイヴ、メジャーなシーン、マイナーシーンで生まれた新しい表現が既存のロック、ソウル、ファンクなどとクロス・オーバーすることと、グローバリズムというようなものと相まって、ロックが極彩色の光を放っていたのが80年代のポップ・ミュージックだと思うのは当時をリアルタイムで過ごした人間の偏った感覚かもしれません。

■レッド・ホット・チリ・ペッパーズ登場!


レッド・ホット・チリ・ペッパーズもそんな流れの中で出てきたバンドで、その音も見た目も当時はかなり尖ってぶっ飛んだもののように感じました。もう40年近く前になるので正確には憶えていないのですが、音楽誌に1枚目か2枚目のアルバム評が載っていて、★の数(評価)は少なかったけれども、色んなジャンルの音楽をやっている、パンクとファンクの融合とか、『ミクスチャー・ロック』と言う言葉で評されていた記憶があります。80年代の半ば、ロックを聴き始めた僕にとってそれは細分化されたロックの既存の一ジャンルではなく、80年代の半ばに生まれた新しいもののように感じました。
何というか、これを最初から聴いていたら歴史の生き証人になれるかも的な、もしかしたらこの『ミクチャ―ロック』の第一人者になれるかもしれないという期待、俺たちの世代のロックといえるかもしれないという期待的な感覚だったのかもしれません。
少なくとも、私自身そう感じたので、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの1stアルバムレコードを買ったか、貸しレコード屋で借りたかして聴いたのです。

■モフモフと膨れ上がるパーティの計画


当時の記憶で、特によく覚えているのは三枚目のアルバムをCDで購入した時のことです。リリース直後でなく、1年くらいたった後でした。
そのころは一人暮らしをしていて、バイトで貯めたお金でミニ・コンポを買った後でした。
俺たちの世代のロック、『ミクスチャー・ロック』レッチリの“Up Lift Mofo Party Plan”とリヴィング・カラーの“Vivid”を買って聴きまくったのです。

このレッチリの“Up Lift Mofo Party Plan”はバンド結成時のメンバー、ボーカルのアンソニー・キーディス、ベースのフリー、ドラムのジャック・アイアンズ、ギターのヒレル・スロヴァクで制作されてます。ジャック・アイアンズとヒレル・スロヴァクは掛け持ちしていた他のバンドやヒレルの薬物の問題などもあって最初の2枚のアルバムでは作曲のクレジットはされているものの、実際にはレッチリから抜けている状態でした。
レッチリと言うバンドの活動が進むにあたってジャックとヒレルがレッチリに専念、結成メンバーで作られたこのアルバムのテンションは凄いです。

リズムは正にロックと言える基本的な8ビートの音なのですが、ベースが跳ねていて完全にファンクなノリ。ボーカルもラップ調で完全に既存のロックとは次元が異なるものでした。なによりヒレルのギターは時に歪んでガツンとくる音、時に軽快でアリながら前面にでてくるカッティング、時に印象てきなフレーズ(それはギターソロではない)を弾く、フランク・ザッパ級の変幻自在のギター・ワークでまさに新しいロックのフォーマットを作っている感じがするものでした。
いまでも全レッチリのアルバムの中でこの三枚目の“Up Lift Mofo Party Plan”が一番好きです。一番聴くアルバムだと思います。


■結成メンバープリントTシャツ


そして、今回紹介するTシャツはその三枚目のアルバムを制作した結成メンバーがイラストになってプリントされたTシャツです。
向かって左からジャック・アイアンズ、アンソニー、当時モヒカンだったフリー(このころバック・トゥ・ザ・フューチャーに出ていますね)
そして、一番右端がヒレル・スロヴァクです。
何となくピカソのゲルニカのような感じがするためか、レッチリのピカソTシャツなんて呼ばれたりする柄です。
当時モノのTシャツはもの凄く高額になっていたりします。

私の所有するモノはカナダのメーカーのプリントが入っているもので、アメリカのジャイアントというTシャツのボディよりかなり薄手でヘナヘナの生地です。なので、そんなに着用しておらず、プリントも割と綺麗に残っているほうかと思います。この80年代のカナダ製のレッチリ、ピカソTシャツは宝物の一つなので、普段は復刻プリントのものを着ています。


■後になって気づくヒレル・スロヴァクの凄さ


80年代の後半、私は音楽雑誌をあんまり読まなくなっていましたし、そうすると当時は情報源がホントに限られていたので、随分後になってから知ったのですが、私が“Up Lift Mofo Party Plan”を買った時、既にヒレル・スロヴァクは亡くなっていたのです。
ヒレルが亡くなっていたのを知ったのは1992年にでた初期のベスト盤 ”What Hits!?” を最初の2枚のアルバムの曲をCDで聴くために購入した時にライナーノーツで読んだ時だったのです。
ヒレルの死の原因は薬物の過剰摂取だったようです。そして朋友ジャック・アイアンズもそのショックでバンドを辞めたとのことで、新しく、ドラムのチャド・スミスとギターのジョン・フルシアンテが加入していたのでした。
その時に同時に、“Mother’s Milk””Blood Sugar Sex Magic”の二枚がすごくカッコいいアルバムだとは思ったのですが、なんとなくそれまでのレッチリとは変わったなぁと感じたことの原因だったのかもと思ったのです。

はちゃめちゃで、今この時のロックという感じが無くなっているというか、裸でも局部にソックスだけというぶっ飛んだ感じではなくて、ロック的というかマッチョ的でカッコいい裸というか、グレードが上がった感じがしたのです。
子どもの落書きがちゃんとした絵画になった感じというか、それは素晴らしいことなのですが、別にレッチリじゃなくてもいいんじゃない?的な感じというか、この辺はなかなか言語化するのが難しいのですが当時はそんな感じがしたのです。
とにかく、レッチリが変わってしまっていた感とその原因がヒレルの不在だと感じたのです。
初期のベスト盤 ”What Hits!?”のジャケットにあるヒレルの姿こそが僕のレッド・ホット・チリ・ペッパーズなのです。

ということで、今回は今や世界トップクラスのロックバンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのごくごく初期の頃のお話しを初期のTシャツと一緒にお話ししました。

https://youtu.be/Z7eKJ2DV_kA










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