
クリフ・バートンが着ていたMisfitsのキャラクター”Crimson Gost”のTシャツ
Tシャツとロック音楽についてお話ししているYouTubeチャンネルのテキストを動画では話せなかったおまけ話やイラストとともに綴っています。
メタリカのお話し全5回の2回目はカリスマ故クリフ・バートンと彼が愛用していたMisfitsのTシャツについてのお話しです。
■ サンフランシスコ、ベイエリアのメタルシーンは容姿不問の普段着スタイル?!
METALLICAは1984年に2ndアルバムの Ride The Lightning(ライド・ザ・ライトニング) をリリースします。その頃には後にBIG4めがですと呼ばれるようになる、スレイヤー、アンスラックスなどもアルバムをリリースしており、スラッシュメタルのシーンはアンダーグラウンドから徐々に盛り上がりを見せていたところだったようです。LAメタルのドッケンのコンサート会場でメタリカのTシャツを着たファンが大勢いたことで業界の敏腕マネージメントと言われたQプライムのピーター・メンチがラーズに速攻で電話をしてマネジメントを請け負う話をしたということです。
しっかりとしたマネジメントがついたのはとても大きな転機だったと思うのですが、メタリカがビッグになるもっとも大きな転機は活動の拠点をLAからサンフランシスコに移したことだったのではないかと思います。
スラッシュメタルと称されるNWOBHMとハードコアパンクを融合したような新しい音を作り出していたジェイムズとラーズでしたが、当時のLAはグラムロックが主流でした。いわゆるLAメタルというやつです。見た目が麗しく、女性のファンも取り込まなければなかなかレコードレーベルと契約を取るのは難しかったと思います。そこに比べてサンフランシスコ、ベイエリアのシーンはよりテクニカルでハードコアであったと言われます。そして何より容姿や服装がいかにもメタル、ロックというスタイルではなかったといむこともジェイムズとラーズに合っていたんだと思います。
ジェイムズとラーズがサンフランシスコに拠点を移すことをメタリカ加入の条件にしたベースのクリフ・バートンはハード・コアパンクのアンダーグラウンドにおけるカリスマ的なバンドであったミスフィッツのシンボルである骸骨顔のキャラクター(?)のクリムゾン・ゴーストのタトゥーを右肩に入れ、長髪をセンター分け、髭面にベルボトムのジーンズを穿いた当時では超個性的なスタイルをしています。多分、LAではクリフのスタイルは受け入れられなかったでしょう。
LA組のジェイムズとラーズ、サンフランシスコのクリフとカーク・ハメットの加入でメタリカのメンバーは固まるのですから、やっぱりサンフランシスコへ拠点を移したのは大成功だったんだと思います。
■メジャー契約前のTシャツスタイル
ここからTシャツの話です。
先ほども少しお話ししたドッケンのコンサート会場でメタリカのTシャツを着たファンが盛り上がっていた件ですが、Qプライムのピーター・メンチが見たTシャツはその時期的におそらくですが、”Metal Up Your Ass”の文字と便器から突き上げる拳のグラフィックがプリントされたTシャツではないかと思われます。メタリカの初期のことをジェイムズが語っている記事でこの時期にこのTシャツを作ったという件が出てきますし、実際のステージショットでこの図柄のTシャツを着たジェイムズを見ることができます。
この頃のベイエリアのバンドは自分たちのバンドのロゴ入りTシャツを作成してステージで着用したり物販したりすることが多かったようです。今ではバンドのロゴTシャツでステージに立つことは珍しくもないのかもしれませんが、80年代中期から遡ってアーティストのライブショットを見るとバンドのロゴTがステージ衣装というケースはそんなに当たり前ではないような気がします。
あと、サンフランシスコ、ベイエリアのカレッジラジオ局でメタルやハードコア、その後のニューウェーブ系の音楽を流していたKUSFラジオの影響力もベイエリアでのスラッシュメタルの盛り上がりに影響があったようで、メタリカのメンバーもプロモーションでラジオに出演したり、メンバーがこぞってKUSFラジオのTシャツを着て写真に映っていたりします。
そんな飾らないスタイルとファンとの距離の近さもメタリカがビッグなっていく上でとても特徴的な物だったような気がします。
この頃にメタリカはメジャーレーベルであるエレクトラと契約をします。
■クリムゾン・ゴーストのTシャツ(クリフ・バートンに捧ぐ)
メタリカのメンバーにとってTシャツはごくごく当たり前のスタイルだったというのは初期の多くの写真でも確認できるのですが、メンバー皆がMisfitsのTシャツを好んで着ています。ジェイムズもカークもMisfitsがお気に入りだったようですね。(ラーズはMoterheadのTシャツも多いですが...)その中でも特に印象的なのはやはりクリフ・バートンが着ているクリムゾン・ゴーストのTシャツではないでしょうか。先ほどクリフが右肩にクリムゾン・ゴーストのタトゥーを入れていたって話をしましたが、クリフはこのクリムゾン・ゴーストのTシャツを着ている姿の写真がよく知られていると思います。
1985年にイギリスのドニントン・パークで行われたモンスターズ・オブ・ロックフェスティバルに出演した時にクリフ・バートンはこのTシャツを着ていました。
当時毎年開催されていたこのフェスはハードロック/ヘヴィメタル系のフェスでは最も規模の大きなもので出演者ラインナップは世界中のファンが注目するようなフェスでした。当時の先鋭的な音を出していたスラッシュメタルとその中で最も早くメジャーレーベルと契約をしたメタリカは当時勢いに乗り始めていましたし、このフェスでも大いに盛り上がりを見せたようで、翌年メジャーレーベルであるエレクトラからの第一弾、3rdアルバム”Master Of Papets”がリリースされますが、このアルバムのメンバーの写真にはこのモンスターズ・オブ・ロックで演奏する写真が使われています。”Master Of Papets”アルバムは私が語るまでもなくヘヴィメタル史上最高のアルバムに必ず挙げられる大傑作で、スラッシュメタルというカテゴリにとどまらずハードロック/ヘヴィメタルのバンドとしてメタリカは世界的にブレイクします。この時メタリカはヘヴィメタルの帝王オジー・オズボーンのサポートでツアーを回るのですが、当時はあのオジー・オズボーンですらLA寄りのスタイルで髪をゴージャスに逆立ててメイクをしきらきらの衣装ですから。あのプリンス・オブ・ダークネスがですよ。
そのツアーでもメタリカはいつものスタイル。クリフに至ってはベルボトムですからね。よっぽどクリフの方がブラックサバスなスタイルだったと思います。
なので、デニム上下にこのクリムゾン・ゴーストTシャツのクリフのスタイルは初期のメタリカの凄さを感じさられるもので、個人的に大好きです。
このクリムゾン・ゴーストのTシャツですが、Misfitsのバンドの名前含め文字が一切入っていません。そういった説明的なものがなくても自分はMisfitsのファンであるということが主張できるくらいこのクリムゾン・ゴーストというのがキャラクターとして確立されているので本当に素晴らしいデザインだと思います。バンドTシャツとして完成されているなぁと思いますね。
因みに、クリフはじめメタリカのメンバーがMisfitsのTシャツを着てステージに立っている時期、本家のMisfits自体は解散して存在していなかったのですが、そういった他のアーティストからのリスペクトもあり、解散後もバンドの象徴であるクリムゾン・ゴーストのプリントTシャツは作り続けられていました。
コアな層に人気のあるMisfitsは再結成して活動を再開したりしていましたが、また今は解散しています。
なのでこの私の持っているTシャツもキャッスルドニントンでのクリフの雄志に憧れて買いました。90年代の後半に秋葉原で買ったんじゃなかったと思うのですが、こぴーらいともないですし襟がダブルステッチになっているONITA製なのでもしかしたらそれよりもっと後の時期に購入したものだったかもしれません。
どう頑張ってもクリフのような着こなしはできなかったので、ほとんど着用せず現在にいたります。
ご存知の方が多いことですが、クリフは1986年ツアーバスの事故で亡くなります。来日公演の直前でした。
ということで、今回はそのプレイスタイルだけでなく、容姿もカリスマ的であったクリフ・バートンにトリビュートする動画というかそういった感じでお送りしました。