ビンセント&ジュールス
今回から全6回で映画の中のTシャツというテーマでお送りしたいと思います。
映画の中でTシャツが印象的なものってあまり多くないと思うんですがクエンティンタランティーノ監督のPulp Fictionの中で、その存在感が意味を持つ映画史に残るTシャツが登場します。ちょっと大袈裟かもしれません。
ここからは映画のネタばれが含まれますので、もしこれからパルプ・フィクションを観ようと思っている方は飛ばしていただくか、予めご了承の上この動画を見ていただければと思います。
ではここから、ネタバレを含みます。
■画面のコントラストを使った映画的わかりやすさ
タランティーノの第一作監督作品であるレザボア・ドックスではギャングの集団は匿名で容姿も匿名性とギャングとの記号化の意味で物語の集団は一様に黒のスーツ、白シャツ、黒の細いネクタイをしています。
このギャングの記号化されたルックが白黒の対照的なコントラストを作ることで、観ている側の(ギャングに対する)感情を想起させるシーンがあります。続く作品であるパルプフィクションでも同じ手法を使っているのですが、ハッキリとしたコントラストでインプットされている感情を揺さぶる演出が加速的にどぎつくなっていて、ほとんど直接的に感情に訴えかけてきます。
1枚の断片のようなシーンに添えられている観ている側の感情が次々に変わって、それは多くの登場人物とそれぞれの視点で描かれる映画のストーリーの中に畳み掛けるように差し込まれていくので、主人公の感情に移入して映画の物語を追いたい人にはあまり好きになれない映画かもしれません。何せ物語の中心にあるファクターが回収されないことすら忘れさせられるような映画ですから。
とにかく映画で表現することの面白さ、映画で表現することで刺激されることの面白さがビシビシ伝わってくる最高の映画だと思います。
ここではビンセントと言うジョン・トラボルタが演じる白人のギャングとジュールスというサミュエル・L・ジャクソン演じるアフリカ系のギャングのコンビが盗まれたアタッシュケース(これが物語のドライビングファクターになっているんですが)それを盗んだ奴を拉致してボスの所へ連れて行く途中、自分たちの車の中で拉致したやつの頭を誤って吹っ飛ばしてしまい頭から血をかぶり車も血だらけで、このままではボスの所へ行けないとなったこと、いわば中心にあるストーリーからは外れるエピソードなのですが、ここでもバンバンと画面のコントラストの面白さを入れてきます。
まず白と黒と言うコントラストを人物にも配置して視覚的に強く固定しています。それから会話のやりとりがビンセントと言う白人とジュールズと言う黒人と言うわかりやすい対比として感覚的にも固定をしています。
そのわかりやすさがほぼほぼ安心感(お約束的)に変わっているところ、突然銃が暴発して真っ赤な色が飛び込んでくることで、見た目も心地も安定安心しているところに新たな感情が突き刺さってきます。白と黒に対して鮮明な赤、しかもべっとりとした赤のコントラストが強烈です。
見る人によってはものすごく不快なものをいきなり突きつけられビンセントとジュールズのギャングコンビ以上に慌てて感情の座り所を探すことになるのです。
■小物としてのTシャツの使い方が他の映画にはないほど秀逸
そこでジュールズの友人を頼って友人ジミーの家に行きます。(これがタランティーノ監督本人)
そこで血だらけになった服を脱ぎ、頭から水をぶっかけられて体についたついた血を落とします。それで着替えた姿が映し出されるのですが、その姿がこの間抜けなTシャツ姿なんです。
ビンセントが着ているのはカルフカリフォルニア大学サンタクルーズ校のTシャツでマスコットの黄色いナメクジとカレッジTシャツが蒸発ギャングにアンマッチ感を出しています。
ジュールスのほうは何かコミック雑誌の一場面を切り抜いたような柄がプリントされた子供が着るような安っぽい水色のTシャツでこれもまたものすごくアンマッチです。
この場面、頭から血をべっとりと被った刺激的な絵面と慌てた緊張感をふっと緩和させて、また別の対比軸であるジミーとのやりとりやウルフのとのやりとり丁々発止が始まる切り替えになっているんですが、そのためには無地の下着っぽいTシャツでも流れ的にはおかしくないですし、血を頭からべっとりと被っている見た目の緊張感を一気に緩和してクスっとした笑を取るには十分だったはずです。
またその絵面の面白さを作るのであればジミーの私服の方が滑稽な絵を作ることもできたでしょうが、迷惑顔でグチを垂れるジミーがしぶしぶ着替えで渡すものとして、多分ずっと捨てられずに置いてあったカレッジTシャツとセール品で購入しパジャマがわりに部屋着にしていたコミック柄のTシャツであることがこの場面で必要な最大の笑いを産むのです。
その後、ビンセントとジュールスは朝食のためにカフェに立ち寄るのですが、その間の抜けたTシャツと短パンスタイルからギャングのオーラをすっかりなくしているために、そこで素人の強盗カップルハニーバニーとパンプキンに出くわすのです。
で、ここからは多分どこの映画解説にも載っていない私独自の見方なのですが、まずビンセントとジュールズが黒スーツでアタッシュケースを持っていたら、ハニーバニーとパンプキンはただのある雰囲気の2人を察して強盗を始めなかった、始めたていたとしてもビンセントがトイレに立っていなかったら短気なビンセントにハニーバニーとパンプキンは殺されていた。となったでしょう。
また、ジュールスは1人でその場を収めたことが引退を決定的なものにしたんですが、もし引退していなかったらブッチの所へも2人で行ったでしょうから、ビンセントは死ななかった。代わりにブッチが殺されていたか捕まってマーセルスのところに連れていかれていたので、その後の質やでの展開もなくなります。もちろんその前の銃の暴発やジュールズのトイレに隠れていたチンピラから打たれて弾丸が当たっていたならなどの気になる分岐はあるのですが、あのTシャツのちょうど良い間抜け感がなかったら、朝食に立ち寄ることもなかったし強盗に会うこともなかったと思うとこのTシャツはキーになるアイテムだったような気がします。
■普通のTシャツ
ということで本日紹介したのは私の大好きな映画Pulp FictionからジミーからもらったTシャツ2枚です。
こうしてみると普通のTシャツですね。普段から着ることも多かったこの2着ですが、「それそれPulp Fictionでビンセントかジュースが着ていたTシャツだよね」と言われた事は1度もありません。
やっぱりTシャツとしても何のインパクトもない、Tシャツとしての景色に完全に同化してしまうところがまた良いんでしょうね。
タランティーノ監督の初期三作品はTシャツのような小物へのこだわりというか絶妙な使い方がすごくいいですね。
ちなみに、映画の前半、オーバードーズでボスの奥さんが死にかけてそれをなんとかするのに売人のところに駆け込むんですが、そのマッハゴーゴーゴーのTシャツを着た売人、映画ではエリック・ストルツが演じていますが、この役をタランティーノはカート・コバーンに出演オファーをしていたとか...
タランティーノ自身映画のことを変質的に愛している感じがありますし、本当に細かいディティールにこだわっているところがあるんですが、それもあくまでタランティーノの頭の中にある映画世界のディティールなので、見ている方からするトンデモ設定だったりするものもあります。そこもやっぱり映画的なんでしょうね。
と言うことで、次回もタランティーノのとんでも映画キル・ビルからのTシャツを紹介したいと思います。