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カート・コバーンがローリングストーン誌のカバー記事で着ていたTシャツ

Tシャツとロック音楽についてお話ししているYouTubeチャンネルのテキストを動画では話せなかったおまけ話やイラストとともに綴っています。
90年代における最高のロック・アイコン、カート・コバーンが着ていたTシャツについて全7回語る内の第6回目です。

■27CLUB の伝説

カート・コバーンが1994年の4月5日に27歳の若さで亡くなったことで、もしかしたら、ただ単にロックミュージックの一つのムーブメントに名を遺すくらいの存在だったものが、ブーストされ、時間の経過とともに伝説化され、やがて同世代の人間も消えていくことで神格化されてしまったというところはないでしょうか?と思うのです。
そもそも音楽の評価というのは個人の趣味嗜好に因るもので、絶対的な評価軸みたいなものは存在しないはずですから。
私自身、Nirvana の In Utero と Smashing Pumpkinns の Siamese Dreams は同時に買ったんですが、同時に両方って聴けないので、どうしても良いと感じた方の再生回数が多くなるんですよね。断然サイアミーの方を聴いているので、その当時の私の評価がそうだったんだと思うんです。
パンプキンズ、ビリー・コーガンは現在も素晴らしい音楽を作ってますし、ビリーの才能が凄いということは疑いの余地もないのですが、世界規模で知られているのか?レジェンドなのか?というと、そこに名を連ねるロック・ミュージシャンではないのだろうと思います。
歴史にもしもを考えても不毛なのですが、まぁ可能性としてカート・コバーンもNirvanaもそうであったかもしれない、もしカートが27歳で亡くなっていなければ、とそういうことが言いたいだけなんです。

リアルタイムで経験しているとは言えど、日本人のお前に何がわかるんだ?と言われる方も多いと思うんです。その通りで、私自身もカート・コバーンの神格化に加担しているという自覚はあるんですよね。
そして、いつも悩ましく思うのは、きっとカート自身は自分がそういうアイコンになることを嫌っていたと思われていることなんです。決してロックの伝説になんかなりたくなかった。誰にどんな評価をされようと自分のやりたい音楽は変わらなかった。カートが本当にそう思っていたのなら、きっと私のような人間の戯れ言など気にもとめずにいてくれたのではないかと思いたいのです。

■商業誌とカート•コバーン

そんなNirvana伝説、グランジ世代の神カート・コバーンを作っている一つの話しとして、カート・コバーンとTシャツにまつわる大好きなエピソードがあるので、その話しをしたいと思います。
引用させていただくのはローリングストーン誌のカート・コバーンインタビュー集の中から、Nirvanaがブレイクした直後に行われたインタビュー記事の中に登場するTシャツ2点です。
先ず、『CORPORATE MAGAZINE STILL SUCK』と手書きで書かれたTシャツ。
アメリカのミュージック、カルチャー雑誌として絶大な影響力のあるローリングストーン誌での初めてのNirvanaカバー記事ということもあり、雑誌側はバンドのメンバーにブレイクしてリッチになったことを皮肉るような意味でブルックス・ブラザーズのスーツを着せたスタイルを撮影して表紙にしたいと考えたといいます。カートはそれに対してNo。普段のスタイルで野外の撮影を示唆。撮影にあたった著名なカメラマンであったマーク・セリガーはカートに「もしTシャツを着るなら、表紙の文字と被らないように文字の入っていないものを」とリクエストしたんだそう。ところが、カートは天の邪鬼的に文字の入ったTシャツ着て現れ、しかも内容がローリングストーン誌をおちょくるような『CORPORATE MAGAZINE STILL SUCK』(商業雑誌はクソ)とご丁寧に手書きで書かれたものだった。それはレコードが売れたら急に媚を売ってくるような音楽業界全体への強烈なアンチテーゼであり、売れてしまって調子に乗ってホイホイと商業誌の表紙の撮影にやってきた自分(達)への戒めでもあったように思います。
顔の表情をすっかり隠してしまうようなクリスチャン・ロスの大きなサングラスも、撮影中に何度も外すようにリクエストされるもガンとして拒否したとか。
ただ、ローリングストーン誌の方もさすがに懐が深いというか、アーティストの扱いをわかっているというか、可能性に対する先見性というものをどのようなスタンスで用意しておくかということをすごくわかっていたんだなぁ、と思ったのが、雑誌側の論理を無視したカートの姿をそのまま採用してしまったところと、それもネタとして記事の一部にしてしまっているところで、このNirvana初登場(?)カバー記事は他の雑誌のどのインタビュー記事よりも面白く、もの凄く印象に残っています。

その他では日本のHM/HR雑誌、BRRN!のインタビュー記事もとても良くて好きです。シンコー・ミュージック系の記事は変にスノッブな感じがせず真面目なFUN気質があるような気がして好きです。なんていうかちゃんとしたミーハーな感じっていうか。最近は音楽雑誌をほとんど読んでいないのでわからないのですが、80〜90年代の記事はそんな感じがして、私自身が音楽のFUNとしてどうロック・ミュージックを聴くのかという土壌になっているような気がします。もしかしたら文章を考えたり書いたりする上でもそうかもしれません。ずいぶん話しが脱線してしまいましたが、カート自身も売れているミュージシャンばかりでなく、新人アーティストなんかに対しても真面目に雑誌に取り上げているBURRN誌のことについてポジティブな印象であったような話し(デンマークのバンドD-A-Dを表紙にしていたこと、カートはこのバンドを知らなかったが、良いことだと思うと言った)もあります。それもカートは音楽雑誌そのものを否定していたわけではないってところなんかが垣間見えるとても好きなエピソードだったりします。

■パンク•スピリッツとTシャツ

もう一枚はパンク・ファッションに身をつつんだドナルドダック風のアヒルの上に『kill the Greatfull Dead』と手書きで書かれたTシャツ。
これがまたチープな感じで、らしいと言えばらしいのですが、カート自身、デッドの音楽が好きではないにせよ、デッドのスタンスを含め、殺したいほど憎んでいたとは思えません。
やっぱり、そこは大きくなってしまったトラディショナルなロック・ミュージックに対するパンクのスタンスを表現していただけなのではないかとと思います。それはロンドンでSEX PISTOLS のメンバーが『I HATE PINK FLOYD』とプリントされたTシャツを着ていたようなものではないかな、と思うのです。
それをアメリカで言うなら相手はデッドであり、それを見せる場所がアメリカ最大の音楽であるローリングストーン誌だったのではないでしょうか。
因になんですが、カートの奥さんのコートニーのお父さん、カートからすると義理の父親にあたる人はデッド・ヘッズ(グレイトフル・デッドの熱狂的なFUN信者)だったそうです。
あと、『I HATE PINK FLOYD』の方もいつか取り上げたいと思ってます。

『CORPORATE MAGAZINE』の手書き風Tシャツは今も容易に手に入れることができますが、何年か前グランジのリバイバルブームの頃だったでしょうか某ハイ・クラスブランドがそのコピーTシャツを作って、何万円もしてたのが皮肉なもんだなぁと思いましたね。
カートもあの時あのタイミングで死んだら伝説や神みたいになってしまうことくらい容易に想像はできたでしょうが、まさか自分が手書きしたTシャツが高級ブランドにコピーされ何百ドルって値段で売られることまでは想像してなかったでしょうね。

というわけで、次回はこのカート・コバーンシーズンの最終回です。

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