20年前の出来事・前編〜くずれた壁を積み直せ〜
動画では前後編2週にわたってお話しをした前編になります。
25年くらい前に起きた出来事をピンク・フロイドの思い出とともにお話ししています。
■壁
1979年リリースの”The Wall”はLP2枚組の壮大なスケールのアルバムにもかかわらず、コンセプト、楽曲のクオリティ、効果演出の全てが素晴らしくプログレッシブ・ロック、ピンク・フロイドのクリエイティビティの頂点にあるような素晴らしいアルバムです。2枚組のレコードにもかかわらず、全米1位全英3位、シングルカットされた”Another Brick In The wall"はアメリカ、イギリス両国で1位の大ヒットライブでは観客とバンドを隔てる壁がコンサート中に組み上がっていき、クライマックスで壁が崩壊するという大掛りな演出でスタジアムクラスの会場を軒並みsold out させるほど当時のライブとしては規格外のものでした。
ただ、それは全て順風満帆の状態が生み出したものではなく、ピンク・フロイドは大きな変化の時期でもあったのです。
■崩壊
まず、楽曲とコンセプトはロジャー・ウォータースが独善的に決定して行きました。
それに伴って、オリジナルメンバーで初期には曲作りの中心でもあったキーボードのリチャード・ライトをウォーターズは解雇してしまいます。また前のアルバムジャケットから確執があったヒプノシス、ストーム・ソーガソンと決裂しアルバムジャケットやステージの演出の一部を風刺漫画家のジェラルド・スカーフに依頼しイメージがガラリと変わっています。
コンセプトをもとに映画化もされますが、音楽につけられたアニメーションや映像が流れセリフがなく、ドラマ性が薄く、映画としてもプログレッシブなものだったため、評価はイマイチで観客動員も振るいませんでした。
コンサート自体は好評でしたが余りに大掛かりであったため赤字収益だったとのことです。
加え、70年代後半パンクと言う音像以外のアティチュードを含む音楽ジャンル(スタイル)の勃興でピンク・フロイドのような大掛かりなバンドは前時代的な古いものと揶揄されるような外的環境の変化もありました。
壁の内側も外側もピンク・フロイドを取り巻く環境はガタガタだったのです。
そして、皆さんがご存知の通りピンク・フロイドはいったん崩壊します。
1983年にほとんどロジャー・ウォーターズ一人で作ったアルバム"Final Cut"をリリースした後、ピンク・フロイドの頭脳であり心臓でもあったロジャー・ウォーターズが脱退してしまいます。
私はこの頃になってようやくピンク・フロイドを知るのでした。
■The Wall のTシャツ
ヒプノシス、ストーム・ソーガソンのつくるビジュアル・イメージはプログレッシブ・ロックのピンク・フロイドにおいて重要なものであってのは間違いないと思うのですが、Wallのキャラクターなどを描いているジェラルド・スカーフも悪くありません。そのジェラルド・スカーフが描いたキャラクター(先生)がプリントされたTシャツもピンク・フロイドのものと一目でわかるものです。
The Wallのロゴと白いレンガのプリントも数多くのパターンのTシャツが存在します。
そして、こちら度々登場する「I HATE PINK FLOYD」セックス・ピストルズのメンバーが着ていたセデショナリーズの復刻版です。
■再びの壁
何度かお話ししましたが、私は1996年の春、会社勤めを辞め、一旗上げてやろうと、自分の描いたデザインをシルクスクリーンでTシャツにプリントして売るということを全くの我流で一人ではじめました。ど素人の手刷りのプリントTシャツを置いてくれるようなお店はありませんでしたので、自分でWeb上にショップを作ってそこで販売しました。それもほとんど独学でした。
今から25年も前の話なので、本当に手漕ぎのボートで太平洋に出るようなものでした。やっぱりなかなかTシャツは売れませんでしたので、バイトをしたり借金をしたりして何とかして食いつないでいたような日々でしたが、音楽を一日中聴いたり、13:30になれば午後のロードショーでほぼ毎日映画を観たりといった日々でしたので、この頃に見聞きしたものが何らかの糧になっているということはあるかもしれません。また時間を持て余した時にはバイト先の文具画材店から古い破棄するようなキャンバスをもらってきて、それにTシャツプリント用の顔料で絵を描いては描き上がったものを友人に送りつけるというようなこともやっていました。
いい迷惑だったかもしれませんが(笑)
そんなことをして過ごしていた2000年の春、突如として"Is There Anybody Out There? : The Wall Live 1980 - 1981"が発売されました。
アルバム”The Wall"のライブがスタジアム級の会場で大掛かりのものであったこと、あまりに大掛かりだったのでコンサートを開けば赤字になったという逸話も知っていました。その公式の音源が出るということで、私はなけなしの小遣いで初回限定版をディスクユニオンで予約し購入しました。
ようこそ、アールズ・コートへ
セキュリティのアナウンス(演出)がまだ終わらないうちに始まる演奏
影武者メンバーの歌と演奏の In The Fresh
そして、登場するメンバー
アルバムをなぞるような構成にもかかわらず、ステージ上の演出や観客の頭上に浮かぶジェラルド・スカーフデザインの人のオブジェがハッキリと想像できました。
リアルタイムのピンク・フロイド、ライブアルバムではありましたがその衝撃は忘れられないものでした。
何度も何度も繰り返し聴いて、もっとハッキリと、もっと濃厚にそのライブを体験したく、いてもたってもいられず、インターネットで検索して見つけた平塚のブートレグ屋までウォール・ライブの海賊版VHSビデオを買いに出掛けるにまで至りました。その時ネット検索で西新宿のお店にウォール・ライブの在庫があることを確認できなかったのです。
とにかく、いてもたってもいられない、どこから来たのかわからないやる気みたいなものも生まれ、私は業界のツテを使って某有名セレクトショップに営業をかけました。変なプライドでそれまで使わなかったコネを使って、ということです。
それまで自分で作っていた壁をぶち破って、出ていってやろうということです。
何と某有名セレクトショップとの取引が決まろうというところにまでなったのです!
壁をブチ破って事態は好転するかに思ったのです。
しかし、世の中そんなことくらいで上手くいくようにはできていなかったのです、
続きは次回。