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一人暮らしで、やっとちゃんと息ができるようになった

半年ほど前、まだフリーターで実家にいた私の下書きがnoteには残っていました。

その時はとにかく息苦しくて、でもそれは世の中みんなだと思うからと押し殺して更に苦しくなっているときだったように思います。加えて世の中みんなだと思っているのに、案外自由そうな友人たちの姿をSNSではよく見ていることも私を締め付けていました。

今振り返ると、ぎりぎりだったのだと思います。


他の人の気持ちなんてもう考えたくない。去年の秋頃、いろんなストレスでいっぱいいっぱいだった私は、ついにそんな風に考えました。

他の人の気持ちなんて知らないから自分は遊び呆けるってわけじゃありません。もう、どう思われてもいいから約束もしないし遊びも断るって意味です。そんな風に自分の気持ちが張り詰めてしまってから、もう友達と会わないで2ヶ月が過ぎようとしています。

この1ヶ月は、自粛が養成されているけれど娯楽施設は休業要請ではないという「個人の選択」に任せられて矛盾した生活が続いています。2020年に行こうと考えていた国は5カ国以上になるし、2日に1度は友達に会っていただろうし、そんなあったかもしれない生活を考えることはとっくの昔にやめました。

やりたいことを考えるのもやめました。いつまでたってもできないという事実に焦らされて失望するのにはもう耐えられませんでした。そうしたら、最近の私はどこにも行きたいとも思わない、会いたいとも思わない、心がカチコチの状態になっていきました。


こんな文章が2月に残されていました。

海外に行っている。自由に友達と遊び呆けている。ライブに行っている。カラオケをしている。のりで深夜まではしご酒を楽しむ。

そんなあったかもしれない世界なんて、たしかに考えなくなっています。

もし、とか、〜だったらとか。

そういう言葉を使うことを自然としなくなっている今があります。

それは、一人暮らしの会社員になって、適度に人にあっているからかもしれません。じりじりと感じていたプレッシャーから解放され、うまく息ができるようになっていました。


あのとき感じた苦しさが文章に残っているから、自分の変化に気づき感謝することができた気がします。

苦しい時は、きちんと言葉として吐き切ろう。

何度でも再認識させられるnoteの下書きの掘り出しでした。



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mayu
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