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ikepon_ikd
「好きとか恋とか」に学んでしまったら、もうすかしていられなかった
好きとか恋とか、どうしてそんなことばっかに振り回されるんだろうね人間って。しかも何度でも繰り返すし。
そんな言葉が吐かれた時に、ね、そんな戯れは酒の肴にしかなんないのにね、なんてすかしてみたい人生だった。「好きとか恋とか」になんて執着しないし、みんながそうだとも思ってませんよ。そんなフラットな人間でいられたらもう少し泥臭くなかったのかもしれない。
だけれど私は、「好きとか恋とか」に学んでしまったタイプの人間だ。
ある人から見れば、恋愛信者のように見えてしまうかもしれない(違うんだけどね)。おかげで初めての恋人を好き好き言っていた時から、およそ人格が変わってしまった。別人になったわけではないのだが、元々全く表に出てこなかった私が今では悠々とメインポジションを陣取っている感じ。
私が学んだこと。それは自分は特別ではないこと。
コンプレックスでガチガチに警戒心を高めていた私は、私が他者から受け入れられないのは、理解されないのは、かわいいと言われないのは、例えば顔の造作がそんなに良くなく、太り気味で、勉強はでき、自立しすぎているからだと強く思っていた。特別に“そんな”だから、受け入れられなくて、逆に相手にとって特別であれば、愛されるのだと。
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