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哲学の道

ふと、考えごとをする時間が減っている最近に気づいた。以前はもっとよく考えごとをしていたのに。

自分なりの価値観を醸成し、考えを深め、突き詰めて結論に行き着く。あるいは、新しいアイデアに派生していく。(そして忘れる。)

その時間が好きなはずだった。

よくよく思い返せば、考えごとをしていたシーンは自分の足を使って移動しているときばかりが思い浮かぶ。歩いているときは本を読んでいるわけではいし、ノートはなく、キーボードもない。インプットもアウトプットもできないあの不便極まりない時間に、実はぼくは考えごとをしていたのだと気づいた。

家と駅の間を歩くとき。店から店へと渡り歩くとき。美術館で次の作品に向かうとき。自転車に乗って両手がふさがっているとき...

作業ができないと不自由に感じていたけど、実はすごく有意義な時間だったんだ!

「考えごとをする」以外の選択肢が半ば強制的に取り除かれることで、存分にひとつのことに集中できるようになるのかもしれない。

移動が減ることで、移動のありがたさに気づいてしまった。今後は考えごとをするために、意図的に歩く時間を増やそうと思う。(移動に限らず、瞑想の時間でもいいかもしれないけど。)

どんなルートがいいのかな。全然思いつかないな。考えごとをするために歩くルート。それを考えるために、やっぱりまた歩くことがいいのかもしれない。

ぼくの哲学の道は、歩きながら考えてみるとしよう。...そのときにはルートではなく、他のことに気が移ってしまってるかもしれないけど。

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