脚本家であり、主演だから
「ものすごく悪い出来事が起きたら、第一章終わりと言いましょう。なぜなら多くの小説もまた、ものすごく悪い出来事を第一章のラストに置くからです。」
というツイートを見かけました。
クリスマス前に大好きな人とお別れをして
廃人のようになっていた私にはあまりにも沁みた文章です。
"あぁ、私はまだ一章を終えたところだったのか"
と思うと、彼にフラれてこの世の終わりくらいに絶望していた自分が、暗い底からひょいと掬い上げられるような気持ちになりました。
恋愛だけでなく、日常に潜むあれこれを小説の一部だと捉えたらいいのではないか。
そんなことを、ぼんやり考えていたので書き記します。
例えば、
燃えないゴミの日に出し忘れてコンビニのビニール袋から溢れ出そうなビールの空き缶たち。
少し水垢の残るシンクにキッチンの窓から光が差す光景。
張り切って作ったのに作りすぎて水っぽくなったまま冷蔵庫で待ちぼうけのポテトサラダ。
どれも映画のワンシーンとして切り取って考えれば素敵な生活感、と言ってしまおう。
そうやって自分を甘やかすと家事も少し気が楽です。(世間ではこれをだらしないと言う)
もう少し真面目な話をすると、仕事で嫌なことがあったり、辛い状況に面しても、物語の中では大抵そういう場面は「承」にあたる。
そこから転じて物語は進んでいくのです。
むしろそういう起伏がないと、物語として面白くない。
人生って起承転承転承転承転…結で、終わりが来るその日まで山あり谷あり色んなことが起きるから…。
常にフラットな状態でいることの方が難しいし、苦労を知らずに、酸いも甘いも経験しないままなんとなく生きるよりよっぽどいい。
マリオパーティーでハプニングマスが多い方が盛り上がるのと一緒!
なんとなく私は今、人生の波形でいえばぶわんと沈んだところにいて、悩みにぶち当たっているのですがそれもまた一興かな、と思ってます。
先輩が示してくれる真っ直ぐな道には反して、くねりくねりと曲がった道を歩んでますが、着実に前に進んでいけてる自分を今日も褒めたい。
みんなそれぞれ頑張っていて、それぞれのお話の主人公は自分なので。
嫌なことも嬉しいことも、全部脚本の一つです。
ハッピーエンドで終えれるよう、明日も懸命に、でもゆるゆる生きます。
今日もお疲れ様です。