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(進捗あります)次話に向けてのこと、牛の御前狛犬の補足など

※下ネタはキライ、という方は今回掲載している写真が不快かもしれませんのでそっと閉じていただければ幸いです。

 第二話を四月にやっと公開できた。

 第三話については、物語はこうではないか、というぼんやりとした像が浮かんでいて、下調べをしている段階。これから更に二週間ぐらいしても下調べが続いていれば「進捗ありません」とここで報告しようかと考えている。なお三話の主たる舞台は現在の居住地から自転車を駆れば行って確認できる距離であり、実際再訪して確認して来たいと考えているのだがこの連休中も感染防止対策として人との接触を防止することを優先する考えから控えていた。まだ五月中も出来るだけ控えようという方針でいて、次話を書き上げるのは七月になるかな、と思っている。

 実は第二話に取り上げたかった狛犬は別にあり未訪でかつ少し遠方となっている。年明けからずっと行きたく思っている自重して今に至っていて、これも足を運ぶことができるようになるのは七月だろうか八月だろうか。


千住宿』で取り上げた牛の御前、今の牛嶋神社について書かなかったお話しを少し。岩山を組んでその上に狛犬というか獅子を配するいわゆる「獅子山」のことである。「獅子山として最初期のもの」と書いたが、もしかしたらこれが初めてのもので、他のものはこの像の写しであったかもしれないと考えている。

 埼玉県川口市内に田中稲荷という社がありその狛犬も岩山の斜面に立つような姿勢をしている。もしかしたら奉納当初は岩山の上に置かれていたのかもしれないが今は四角い石の台座の上にある。私は未訪なのだが文化十三年(1816年)だそうで牛嶋神社のものよりも11年前ということになる。これより古い「獅子山」らしき狛犬は見つかっていないようで、また文化十三年以降牛嶋神社の狛犬まででも残っておらず牛の御前が最初の「獅子山」ではないかと思うのはそういう所以からである。

 牛嶋神社の「獅子山」だが、岩山を舞台にしていること以外にも革新性がみられる。型としての「神様(本殿)からみて左が獅子、右が狛犬で狛犬には角がある」を軽々と破って「雌雄の獅子である」という形に彫ってあるところである。なんで分かるかというと……

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 子供を連れている、本殿や拝殿からみて右側の「獅子」に陽物が彫られていて雄のかたちをしている。もう一体(冒頭の写真)は特に雌と分かるようには彫られていないし、なんなら雌なのに鬣があるがそれは実際のライオンではなく「獅子」を彫ったということなのだろう。「雌雄の獅子」の型は千住本氷川神社や赤坂氷川神社の狛犬にもみられる(つまり対のうち一体に陽物らしい表現がある)ようなので、牛嶋神社の元祖を写したということなのではないだろうかというのが私の推測である。この観点でこの形式の狛犬を再確認しに行きたいのだが冒頭にも書いたように今月中は外出を控える考えでありいつ再訪できるかは分からない。


※『関東子連れ狛犬の系譜』は以下にてお読みいただけます。どこかのタイミングで公開設定を変えることがあります。その際はご容赦下さい。

第一話 礫川

第二話 千住宿


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椋 康雄(むくのきやすお)
『関東子連れ狛犬の系譜』シリーズは少しづつ、今書いているものがどこかに響けばと願いつつ書いています。