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人はなぜ、 子どもを産むのだろう

「結婚したら、子どもが欲しい。」「旦那はいらない、でも子どもは欲しい。」

こんな言葉をよく耳にする。私も最近、ある人の妊娠・出産の経験を聞いて、初めて、子どもを産んで育ててみたいと思うようになった。

でも考えてみれば、なぜ人は子どもを産むのだろう。人間の本能なのか?

昔は、子どもは生活していく上で欠かせない労働力でもあり、子どもを産むことは死活問題だったのかもしれない。でも今は、産まなくても生活には困らないし、逆に子どもを産まない方が、自由な時間も持てて、金銭的な面でもプラスになることは多いだろう。それなのになぜ、人は子どもが欲しいと思うのだろうか。

たしかに、子どもは可愛いし、もし自分に子どもができたら、楽しい生活が待っているんだろうなと思う。でも、生きることは楽しいことばかりではない。現に私自身、この社会で生きることに悩み、苦しむことも多い。

知らぬ間に生まれてきた、ただそれだけのことなのに、生きてるだけでお金はかかるし、社会に出れば競争競争で優劣はつけられる。知らぬ間に生まれてきただけなのに、「ただ生きてる」それだけではダメで、なんだか、「使命を持って生きること」を強要されているようで。それでいてその使命とやらが何なのか、自分のこのポンコツ頭では考えても全く分からないし、聞いても誰も教えてはくれなくて。ただ生まれてきた、それだけのことなのに、こんなにもたくさん悩み考え、それでも生きないといけない。悩みや葛藤、苦しみは、「ついてくるなよ!」と言っても、嫌でも、人生に付き纏う物なんだと思う。

じゃあ、生きることの大変さを知りながら、それでも子どもを産みたいか。同じ悩みや苦しみを味わわせてしまうかもしれないのに、それでも子どもを産み育てたいか。そう考えると、自信満々に「イエス」と言える自分は、今のところいない。

子どもを産む時に、どれだけの人が「子どもを産むこと」の理由やその意味について考えるのかは分からないけれど、「子どもを産むこと」それは、言ってしまえば、「人間のエゴ」なんだと、私は思う。

ー結婚したら子どもを産むのは当たり前だ(と思っている)から産む

ー自分が欲しいと思ったから産む

ー親に孫の顔を見せたいから産む

ー親戚の期待に応えるために産む

ー家の後継ぎが必要だから産む

ー愛する人との遺伝子をこの世に残したいから産む

ー死ぬときに自分を看取ってくれる人が欲しいから産む

などなど、挙げれば理由は様々だと思うが、大元を考えれば結局はみんな、「自分のため」に子どもを産んでいるのではないかと思う。

もし私が子どもを産んだとしたら、自分の生きる目的に、その子どもがなってくれるだろう。自分が生きる意味を、その子どもが与えてくれるんだろう。そうしたら、生きる意味や自分の使命なんてものを考えなくてもよくなるし、色んな意味で楽になれる気がする。「その子のために」、生きればいいのだから。でも、そのために、わがままな私の心を満たすために、子どもを産めるだろうか。生まれてきた子はそれで嬉しいのだろうか。幸せなのだろうか。今の私にはまだ分からない。いつか、はっきりと、迷うことなく「子どもを産みたい」、そう思える時は来るのだろうか。

もしかしたら、私にとってのその時とは、「それでも生きることは楽しい」「それでも生きることは嬉しい」「それでも生きることは幸せだ」そう、心の底から思えた時、なのかもしれない。

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