厚生労働省 宗教2世虐待ガイドラインを読む(概要版)
2022年12月27日 厚生労働省発表の【宗教等に関する虐待対応Q&A】速報・概要版について、読み込んでゆきます。
詳細版については次回。
<概要>
宗教行為が即、児童虐待に当たるのかどうかはQ&Aとして例示はするものの、子どもや保護者、生活環境に配慮して「総合的に判断」するように求めています。
機械的に「この場合はこれ」と当てはめる危険性についても言及されており、「(迷ったら)子どもの立場に立って判断するように」との断り書きも。
<身体的虐待>
◆ 宗教活動へ参加することを体罰により強制する
◆ 宗教的行事に参加している中で、真面目に話を聞いていなかった等の理由で叩く、鞭で打つ
◆ 長時間に渡り特定の動きや姿勢を強要する、深夜まで宗教活動等への参加を強制する(※心理的虐待・ネグレクト)
→ エホバの証人などでよく見られる「集会への参加の強要」とその際に粗相や不調法があった時「あとで、もしくは帰ったら鞭ね」といった言動がすべて『虐待』に当たると定義された。
→ 鞭という物理的道具はもちろんのこと、「叩く」という行為そのものも虐待とみなしている。
→ 深夜などに渡って宗教活動(集会等)が行われること、あるいは合宿・研修などを想定しながらその強制を虐待と定義。
→ 宗教活動と子どもの身体についての関係を、ある程度はっきりさせたことが評価できる。
→ また、これらについては、子どもの「自発的意志」とは無関係に虐待とみなされる考え方に注目すべき。
<心理的虐待>
◆ 言葉や映像、資料により恐怖をあおる・脅す、無視する、嫌がらせする、児童本人の自由な意思決定を阻害する(※ネグレクト)
◆ 言葉等により恐怖をあおる等により宗教の布教活動等を強制する
◆ 合理的な理由なく、宗教等の教義を理由に高校への就学・進学を認めない(※ネグレクト)
◆ 大学への進学、就学に関し、言葉でおどす等により禁止すること
◆ 児童のアルバイト代、高校・大学への進学のための奨学金等を取り上げ、本人の意思に反し、明らかに児童の生活等につながらない目的に消費する
◆ 言葉による脅しや無視する等の拒否的な態度をとる等により進学や就職を制限
→ これらの項目については、実は「かなり踏み込んだ考え方」であることがわかる。ハルマゲドン(終末)がやってくるからこそ、信仰から離れてはならないといった教義や、地獄に落ちるから信仰せねばならないという「教義上の根幹」について、それを理由に生活上の制限や拒否を行ってはならないという部分が、これまでには見られない視点だと評価できる。
→ こどもの権利条約などでも、一定の「親の考え方の尊重」という視点は確保されているが、「宗教、教義を理由として、なおかつ恐怖や心理的圧迫によってそちらへ誘導すること」については「虐待として、親側の権利を認めない」という方向性がかなり「強い」ものとなっている。子どもを守ろうという強い意思が感じられる項目。
→ 宗教生活を優先することで、学業を認めない傾向をもつ教団が複数ある中で、就学・進学の権利をきちんと認めたことは意義深い。また、それにともない「金銭を取り上げる」行為についても明示して禁止。
<性的虐待>
◆ 教育と称し、年齢に見合わない性的な表現を含んだ資料を見せる・口頭で伝える
◆ 宗教団体等の職員等に対して、自身の性に関する経験等を話すように強制する(※ネグレクト)
→ エホバの証人においては、教団資料や講義資料にしばしばマスターベーションやセックスの行為の内容について「指導」する記述が登場するが、それらも当然「児童への性的虐待」と認めた。
→ 教義上、信者の性体験や交友関係が「教団の仲間にふさわしいか・そぐわないものかどうか」審議される場が存在することがあるが、そうした強要を虐待と認定したことは評価できる。
→ 性的なものについての考え方は、しばしば教義上の根幹に触れるものとなりがちだが、そこについても一歩踏み込んで虐待とみなした点は大きい。
<ネグレクト>
◆ 社会通念上一般的であると認められる交友を一律に制限し、児童の社会性を損なうこと(※心理的虐待)
◆ 宗教等の信仰活動等を通じた金銭の使い込みにより、適切な住環境・衣服・食事等を提供しない、小・中学校への就学・登校・進学を困難とさせる
◆ 医療機関を受診させない、意思が必要と判断した治療行為(輸血等)を行わせない
◆ 適切な養育や教育機会の確保等を考慮せず、様々な学校行事等に参加することを制限する(※心理的虐待)
◆ 奉仕活動や宣教活動等の活動(修練会・セミナー・聖地巡礼等)への参加のために養育を著しく怠る
◆ 宗教団体等の施設内等において暴力行為等を受けていると知りながら、安全確保のための対応を怠る
→ 宗教上のともだちに限定して、通常の社会生活上のともだちとの交友を禁じるような行為が明確に否定されている。
→ 宗教に献金したお金のために、通常の子ども生活が送れないような状況になることを禁じている。
→ 輸血禁止の教義をもつエホバの証人に対して、これまでは「信教の自由」が優先されてきた経緯があるが、「子ども」についてはそこから引き離す強い意思を感じる。大人の信教の自由と、子どもへの信教強要は、完全に別だ、という理解を求めている。
→ 学校行事への不参加もエホバの証人などで顕著に見られる問題点。
→ 「奉仕活動」「宣教」「修練会」などの特定の宗教用語が明示されたが、この部分については多様な宗派宗教を経験した2世信者の声を集める必要がある。
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<総合的な評価>
支援者や関係各所職員が、「宗教上の教義について、深い理解がなくても」表面上の「行為・行動」によって、ある程度は「これが虐待に相当する」という判別できるような枠組みを提供したことは意義深い。
また、子どもが「望んで、自発的意思でそうしています」という反論を一定の形で封じ込めるようになっており、「これに該当すれば、虐待の疑いあり」と初期判別が可能になっている点も評価したい。
(もちろん、個別の家庭の事情は配慮されるべき、という前提だが)
全体的に「信教の自由」という憲法で保証された強い権限に対して、「子どもの保護」「子どもの権利」を全面に打ち出して対抗するような形になっており、未来の子どもたちにとっては「守られている」という安心感を与えるものとなるだろう。
世界基準である「子どもの権利条約」では「一定の範囲で、親の考え方を認める」ものとなっているが、宗教教義に限ってだが「その範囲を乗り越える」強いものとなっている。これは世界的に見ても珍しいのではないか?
2022年こそ、日本における「子ども元年」になる可能性を秘めた強力なガイドラインであろう。
<不十分な点>
いわゆる山上事件を受けて、旧統一教会2世とエホバの証人2世らが中心となって提言したものがたたき台となっていることもあり、事例の拾い出しがまだまだ不十分なのではないか?と感じられる箇所がある。期間が短かった中で、初速対応としては充分だが、今後のブラッシュアップが望まれる。
用語の用いられ方にせよ、どうしても「統一×エホバ」色が強い傾向がある。
たとえば「地域の神事などで、子どもが深夜まで何がしかの活動をして、水ごりや滝行などの身体的苦痛を伴うものが存在する」といった可能性もあるだろう。それらの行事を「虐待です」とストップさせるような勢力の理由付けに用いられる可能性もなきにしもあらず。
いずれにせよ、他の宗教団体の実態について、もう少し広く情報を集めながら修正してゆく必要はあると思われる。
自分の体験で思うところがある宗教2世には、さらに声を上げてほしい。
<実務的な課題>
当ガイドラインは、「宗教の名における虐待」の判別、拾い出しについては強力なツールとなることは間違いないが、「さてその後、どうしたものか」という点については、まだ議論が不足している。
該当児童生徒を、どう保護し、どこにかくまうのか。
学校現場や児童相談所の連携体制をいかに築くのか。
該当家庭の親にいかに虐待であることを理解してもらうのか。
その時、教団へはどう折衝するのか。しないのか。
あるいは、親が「理解した」としてその家庭に児童生徒を戻す判断をいかにしてゆくのか。
教団や家庭が、隠蔽する形で強要が行われたり、実態が変化するのではないか。
18歳を過ぎた者への対応は、さらに慎重に検討されたい。
拾い上げについては現場の実務者が初動するが、より深い判断や対処については、多様な経験を持つ専門家チームの発足を望む。
引き続き当ガイドラインが実効性高く、有意義なものとなるように、実務的な協議を続けてゆく必要性を強く感じる。
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