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男女の間の問題を評価するのは、やめておけ
フジテレビを舞台にした事件は、日本中を大騒動に巻き込んでいますが、ここに来て、少しだけ雲行きが怪しくなるような話が飛び出してきました。
それは、週刊文春が直近になって「謝罪訂正」した内容で、
■ フジテレビの社員が直接被害を受けた女性を誘った
という初期の記事内容が
■ フジテレビの社員が直接誘ったのではなく、加害者とされるタレントが誘った
という話に訂正されたことです。
もちろん、被害女性としては「タレントに誘われたのは、フジテレビ社員がセッティングしていた会食の延長線上にあったと認識している」とのことなので、そのニュアンスは
どちらが正義でどちらが悪なのか
どこまで会食が常態化していたのか、それとも今回だけは違うのか、今回もその延長なのか
など、非常に判定しにくくなっています。
そもそもこうした事態が生じるのは、
「男女の間のことは、判断するのが非常に難しい」
という根本的な問題が存在することにあります。特に男女の秘め事、性的な関係については密室で行われることもあり、それぞれの言質を証明することが非常に難しいのが常です。
あるいは、その時々、関係のあった男女が「どのように思っていたか、どのような印象を持っていたか」というのは、その人たちの内面にしかないものなので、
■ 起きている事態が密室的で
■ なおかつその心象も、心の内部のものである
ため、それを外部の人間が判断することは、かなり困難を極めると言ってよいでしょう。
そこで、武庫川が心に留めている教訓としては、次の3点があります。
■ 男女問題について、真理真実は当人同士以外にはわからない
■ 当人もほんとうの気持ちや感情なんてわからない
■ 誰かの味方をするところまではギリ、可能だが、相手を糾弾するのは変な矢が跳ね返ってくるのでやめといたほうがいい
特に2番めのポイントは実際にはかなり重大で、男女間の感情については「そもそも自分の気持も、その瞬間についてはあやふやである」という点は、男女ともに覚えておいて損はないでしょう。
それが証拠に、永遠の愛を誓いあったはずの結婚した男女が憎み合って離婚したりいがみあうことは日常茶飯事で、「そもそも永遠の愛を感じたのは、いったいなんだったのか?」ということになります。
実際当人は「永遠の愛を感じたつもりだったのだが、今から思えばあれは嘘だった」とか「ほんとうは永遠の愛を感じていなかったのだが、表向きそう言っていた」とか、結果論から言えば好き放題に内容を変えることができるのが男女間の問題であり、
通常の商契約などのように「あの契約は本当は嘘でした」なんて話が通用しないのが普通ですが、男女の間については「それが通用してしまうから恐ろしい」とも言えるでしょう。
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好意をもって接近した男女であっても、後から「実は好意を持っていなかった」と大ドンデン返しの証言をすることは可能ですし、その時の動きと異なる訴えをすることは多々あります。
実際に近日生じた滋賀医大の性暴力事件では、被害者とされる女性が、重要を事実をあえて「隠していた」という恣意性が認定されて(信用性が担保されず)、加害者とされる大学生のうち2人については無罪になっています。
つまり「被害者の証言の信用性」ということ「のみ」で事態が判断されることが多い男女間の問題においては、その信用性を評価すること、そのものがとても難しいということになるのです。
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さて、今回の文春VSフジテレビ問題については、裁判に持ち込むなど、とことんおやりなさい、と個人的には思っています。どちらが正しいのかは、現代社会法治国家においては、もう最終決着は裁判でつける以外にないので、文春の誤報(まがい?)によってフジテレビに損失が生じたのであれば大いに弁済を求めればよいでしょうし、フジテレビにも「胸に思い当たる点がある」のであれば、それも裁判で明らかにしてもらうのも一興というものでしょう。
その意味では一般庶民にとっては、もはや文春VSフジテレビの戦いは、極上のエンターテイメントの一種となっている可能性もあります。
しょーもないドラマを見るよりも面白い(笑)
それはさておき、男女間の問題に「外野」として巻き込まれた場合については、個人としてできることはひとつです。
それは、被害者に寄り添ったり、「そうなんだね」と味方をすることはできるものの、代理で相手方と争ったり、正義感で相手に直接相対しようとするのはやめておけということです。
もし事実認定に誤認があったり、双方の「印象」が大きく違う場合、それを覆すのは外野のあなたやわたしには、非常に難しいからです。
それこそプロである弁護士や、それに類する仕事をしている人以外には、できないと言っても過言ではありません。
昔の人はよく言ったもので「夫婦喧嘩は犬も食わない」の通り、外野や第三者のあなたはその話を”食ってはいけない”(話に乗ってはいけない)のです。
気をつけなはれや。