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救世主になる方法
前々回、思わず救世主になってしまったので、話のついでに「救世主になる方法」というのをお伝えしたいと思う。
もうすでに、誰かに優しくして、誰かの救世主になってしまった人は、よもやま話として楽しんでほしい。
「コードギアス 反撃のルルーシュ」というアニメがあって、めちゃくちゃ面白いのでぜひ知らない人は一回見てほしいのだが、作っているのがガンダムで有名なサンライズなので、ロボットアニメで学園ラブコメで世界征服でレジスタンスなのだが、福山潤が本当は高音なのに低音で喋るという画期的な役柄だったのも、もうずいぶんと昔の話だ。
コードギアスの話がなんで「救世主」に関係があるかというと、ざっくり言えば、物語の中では「神聖ブリタニア帝国」というひとつの国家が、世界征服を成し遂げようとしているからである。
実際には世界の1/3くらいを支配している巨大な国家なのだが、物語の中では日本も当然ブリタニアの支配下におかれて「11(イレブン)」と呼ばれている。11番めの植民地だからだそうだ。
さて、ここから先はルルーシュもブリタニアも、オレンジ君もナナリーも出てこないのだが、神聖ブリタニア帝国を見ていて、ムコガワさんはふと思ったのである。
■ まず、世界がひとつの国家に支配される
■ その国家の元首がめっちゃ悪人で独裁者だとする
■ そのせいで世界中のすべての人が苦しんでいるとする。
■ その悪人の元首を倒したヤツがいたとすれば、彼は救世主か?
ということを。
まあ、ひとつの思考仮説というか思考実験なのだが、「すべての人類を救ったのだから、そりゃあ救世主だろう」とも言えるし、「僕らの知ってる救世主と、なんかちょっと違う」とも言えるだろう。
じゃあ、あらためて聞く。救世主ってなんだ?
何をもって救世主というのか?
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実はこの話。現時点でキリスト教を信仰している人だって、実はよくわかっちゃいないのだ。
「イエス・キリストが救世主だと知ってはいるが、なぜどうして救世主なのかは、よくわからん」
というのが事実なのである。
もちろん、それなりの理屈はある。
■ イエスが人類の原罪の代わりに死んでくれたから、そのおかげで人類は救われるので、救世主である
ということになっている。
しかし、これも、「イエスは救世主だったら、救世主なんだ!」と繰り返しているだけで、
■ なんでリンゴを食べた罪の代わりに十字架にかけられたらチャラになるのか
をうまく説明できる人はいるまい。
話が通じているようで、実はよくわからんのだ。
それが証拠に、キリストが死んで2000年経っても、僕らはやっぱり服を着ていないと恥ずかしいし、額に汗してパンを買ってこないといけないし、女の人はそれでも出産の時はお腹がいたいのだ。
リンゴの罰は、まだ続いているのである。
ちなみに、救世主はイエス・キリスト一人ではない。
ゾロアスター教では、教祖ゾロアスターが死んでから1000年ごとに3人の救世主が現れることになっている。「フシェーダル」「マー」「サオシュヤント」の3人である。
ユダヤ教ではなんと!イエスを認めていないので、救世主はまだやってきていないという。
そして、みんなもよく知っている仏教では、弥勒菩薩が、シャカが死んでから「56億7千万年後」にやってくることになっている。
おっくせんまん♪
今のところ、なんとなくイエスが救世主第一号っぽいので、「なんか知らんけど磔になったら、僕らの罪が許されたらしいよ」と思っているが、だからといって裸でそこらへんを歩いても許されず、新たに罪を受けてしまうのだから、何も救済されていないというのが実情である。いちじくの葉をつけたらOKとか、そういうものダメなのだ。
わいせつ物チン列罪だ。おいおい、イエスよ許してくれよ全裸でも。
さて、救世主が実際には何をしてくれるのかわからない以上、反撃のルルーシュか進撃の巨人か知らんけど、現世で「圧政から解放してくれる」とかのほうが、現実味を帯びて救世主っぽいという、最初の話も理解しやすいだろう。
前回の記事で、「あなたも救世主になろう」といったのはそういうことだ。誰かに優しくなれる、そんなお主になればいいのである。
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さて、後半のヨタ話。実は「救世主になる方法」という有名なマニュアルがあって、知る人ぞ知るマニアのための名著が存在するのである。
そこで今回は、救世主になりたいあなたのために、その本を紹介してゆこう。
ダンテス・ダイジと名乗った一人の若者がいて、37歳で亡くなった。断食の末の死であるという。瞑想したり只管打坐したり、キリスト教の神に目覚めたりヨガにハマったりした。でも結果若くして亡くなったようなので、「生きづらい人」だったのだろうなあ、と思う。
在命中に書いた本としては唯一の書があって、それこそが「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」というものだ。この本、あの麻原彰晃が「これだ!」と自分のヨガネタとしてパクったという有名なもので、オウム真理教のベースになった可能性も指摘されている。
残りの著作については、弟子だった渡辺さんという方が受け継いで出版している。
「救世主入門」については、「十三番目の瞑想」という本に付属しているので、興味がある方はどうぞ。
別に回し者でもなんでもないし、どんなことが書いてあるのかは、ふつうに本屋さんに売っている
「イリュージョン」(リチャード・バック 集英社文庫)
![](https://assets.st-note.com/img/1677806023361-fADqH5EZPh.jpg)
にも出てくるので、ブックオフなら数十円から買えるかもしれない。知らんけど。
※今、訳者が変わって新装版になっている。旧版は「村上龍」訳なので、そっちのほうが好きという人が多い。
![](https://assets.st-note.com/img/1677806084920-3KF0zWA3x1.jpg?width=1200)
リチャード・バックは「かもめのジョナサン」のほうで有名だが、ムコガワ的には「イリュージョン」のほうがはるかに面白い。
飛行機乗りの救世主であるドン・シモダの話であり、彼が知り合った友人に「救世主入門」の本を伝えるという形で登場する。
どんなことが書いてあるのかは、ぜひ「イリュージョン」を読んでみてほしい。
それが待てない人は、誰が作ったのかわからんけど、ツイッターのアカウントがあるので、そちらもどうぞ。ランダムで救世主になる方法がつぶやかれるぞ。
ほんとに、誰が作ったかよくわからんBOTである。
「救世主入門」についての渡辺さんの解説が、けっこう胸を打つものがあるので、引用しておきたい。
”ダイジは時間と空間と物質を越えることができるのは「愛」だけだと言うのである。ここで仏教を学んでいると用語の混乱が起こる。仏教的文脈では愛は愛着であり、執着と同じと見なされることが多いからである。仏教的文脈なら、普通はここでまず「空(くう)」と言うはずである。”
”「空」でも「慈悲」でもよかったはずなのだが、ダイジは徹底してそれを「愛」と語る。読者に宗教用語の混乱が起きるのはもっともだが、知った上であえてダイジはそう語る。もしその立場を仮に言うなら「愛の禅」であり、本当にあるのはただ「愛」だけという徹底した「唯愛論」である。”
”「愛」に目覚めた者は誰でも「救世主」である。そして救世主は現代においては崇拝や依存の対象ではなくドンのように友として現れるとダイジは言う。形のない「愛」が、形を変えて現れるのである。『イリュージョン』では、ドンは「待っていたのさ、君をね」と言い、リチャードは「そうかい、遅くなってごめんよ」と答える。”
”「救世主入門」の言葉。「君たちはもちろん学習者であり教育者であって、いかなる種類の生や死を選ぼうとも自由だが、義務というものがあるとすれば、自分に忠実でなければならないということそれ一つだけである。」「他人や、他の事情へ忠実であることは、不可能なばかりでなく、偽物の救世主であることの証明となる。」”
前の「救世主になる」話で、無条件であること、親切であること、誠意があること、無償の愛について語ったが、何周回っても結局おなじようなところへ行き着くのだなあ、と私も思う。
また「救世主は崇拝や依存の対象ではなく、友として現れる」という一文もいい。誰もが救世主に出会えるし、救世主になれることを意味するからだ。
そして、誰かを救うことと自分を救うことは常にリンクしている。
自分に忠実であること、自分に素直であること、自分自身を認めること。
それは誰かを救うよりも、まず先に自分がやるべきことだ。
あなた自身を愛しなさい。隣人より先にね。
(おしまい)