【GW特別企画】はちみつバター教は世界を救うか?前編
4月30日に開催された ミコノさん・武庫川散歩 の対談をまとめたnoteです!
ミコノ@JW研究生A @KenkyuuseiA
武庫川散歩 @mukogawa_sanpo
武) 本日はよろしくお願いします。私がホストという形ですが、ミコノさんの気持ちやお考えを聞かせていただきたいな、ということで対談の時間を設けさせていただきました。
ミ) こちらこそよろしくお願いいたします。
武) まずは自己紹介からいきましょうか!
ミ) はじめましての方は、はじめまして!いちおう高校生で、エホバの証人の研究生をやっています、ミコノと申します。 エホバの証人を知ったのは一年くらい前で、当時仲良くしていたお友達から証言を受ける形で聖書研究を始めました。そのお友達と縁が切れた頃にツイッターの界隈を知りまして「(JWは)こんなヤバイところだったんだ!」と。
武) ヤバイ!との発言が出ましたが、それはOKなの?(笑)
ミ) いや、世論としてヤバイ!感じですね(笑) そういった側面も知りました。それがこのミコノアカウントをつくったきっかけです。エホバの証人の情報収集のために作った感じですね。
武) ありがとうございます。では今度は私の話をしますね。 私は四十代後半の2世です。中学生までは会衆に属していましたが、途中でやめてブッチして行かなくなりました。その後家族も全員組織からは離れるようになりました。 もう離れてずいぶん経ちますので、私自身はJWの「負の影響」が薄れているのですが、昨今の情勢の中で、経験なりが何か微力でも力になれれば、と帰ってきたわけではないですが、2世関係の発言を増やすようになりました。
さて、エホバネタではなくて今日の本題に入ってゆきますが、「はちみつバター教」には2つほどポイントがあります。よく「はちみつバター」の宗教と思われるんですが「はちみつバターパン」という”パン”が元です(笑)
ミ) 笑
武) 2つめは、これも私が教祖と間違われるんですが(笑)、教祖はミコノさんですので、武庫川はいち信者です。今日はちゃんと教祖をお迎えしましたので、……って、ミコノさん「教祖」という呼び名で良いんですかね?
ミ) なんか教祖というと崇め奉られるイメージがあるので(笑)ちょっとそれは避けたいんですよね〜。 まあ、はちみつバター教とは、簡単に言うと「とある女子高生がネタで作った宗教」です(苦笑)
で、その女子高生が「はちみつバターパン」というパンがとても好きで、パン屋さんに行くと税込み130円で売ってるんですね。それを買って食べるとすごい幸せな気持ちになって、なんかつらいことがあっても「生きててよかった!」と思える、そんな瞬間を何回も経験してきました。この「生きててよかった!」という感情をもっと多くの人に知ってもらいたい、と思ったのが宗教にしようかな、という始まりになります。
で、教義とかの話なのですが、……教義ほとんどありません(笑) HPはいちおうあるんですが、一晩で作った手抜きのものですので、すばらしい聖典があるとか、すばらしい教義があるのではなくて、ほとんど「冗談」と「愛」と「はちみつバターパンへの欲望」でできています。
武) パンへの欲望なんですね(笑)
ミ) はい!もっとたべたい!という(笑)
※ 実はミコノさんお気に入りの「はちみつバターパン」は、元々とあるお店のパンがはじまりだったのですが、そのお店に迷惑がかかってはいけないので、中略します。それぞれみなさんお好みのパンをどうぞ召し上がれ。
武) わたしもミコノさんがおられる地域とは全然違うところに住んでいるのですが、いろんなところで「はちみつバターパン」が売られてますね。チーズ入りのとかも。そんなのもOKですか?
ミ) はい、OKです!
武) ところで質問なんですが、ミコノさんが「幸せだなあ」と思った前後には、なにか「つらい」ことがあったんでしょうか。
ミ) そうですね〜。日常でそこまでつらいかはわからないですが、ちょっと家庭環境が悪かったり、同時期にエホバの証人に勧誘されて研究をはじめて、まあ、最初はいいところしか見てなかったのですが、今の報道とかを見ると「悪い面」もあるじゃないですか? それでどれが本当かわからなくなったんです。その時、はちみつバターパンを食べて、すごい「生きててよかった」と思えましたね。
武) はちみつバターパンを食べて「リアルな実体験を得た」という感じですね。
ミ) はい。「はちみつバターパンを食べて幸せだと思っている自分は本当だ」と確信しました。
武) すばらしい!その「はちみつバターパンを食べている自分は、リアルな、ほんものの自分である」ってことですね。
ミ) そうですね。
武) まあ、今ここで僕たちは「はちみつバターパン」というものを想定していますけど、これを聴いておられるみなさんにもそれぞれ「私が生きていると確証できるもの」があるかと思うんですね。 それを自分の核とかコアというか、「私はこの気持ちを守っていこう」というものがあれば、強いというか、心乱されずに生きていけるように思います。
ミコノさんにとってはそれくらい、はちみつバターパンが「衝撃的な体験」だったということですね。
ミ) そう思います。
武) あの、この例はもしかすると語弊があったりするかもしれませんが、「リストカットをする女の子」なんかが、痛みであるとか流れる血をみて「あ、あたしは生きてるんだ」と実感するような場面が物語とかで見聞きするんですが、それよりかは「パンを食べて幸せ」なほうが、ちょっとだけ救いがあるような気がしますね。
ミ) 私はリストカットとかはよくわからないんですが、「痛み」って「生きてて良かった」には繋がらないように思うんです。やっぱり自分にとって「幸せ」なことをしてるほうが「生きててよかった」という瞬間なので、その気持ちをみなさんにも知ってほしいですね。
武) なるほど、教義としてはすばらしいと思います!生きてる実感はプラスの出来事もマイナスの出来事もあるけれど、「プラス」の出来事で生きている実感を得てほしいな、ということですね。
ミ)そうです!ありがとうございます。
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〜 はちみつバター教とは「生きててよかった」という気持ち、その感動がすべてなので、それを足がかりにして、それぞれが自分の人生を構築してゆくというか、自分の人生に戻ってゆくような、そんな話がしばらく続きます 〜
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武) ちょっと私が面白いな、と思ったのは、普通宗教って何か「他のもの」に依存して、自分が救われるじゃないですか。それに対してミコノさんの話は「自分の中で構築されてゆくもの」なので、そこは他力本願じゃなくて良いなあ、と思ったんです。
ミコノさん的には、「他に頼る・依存する」みたいな感覚はあるんですか?
ミ) そうですね〜。いろんな友達がいるので、友達に依存してるというとそうなんですが、依存すると(人は)依存先に他律的になるんです。エホバの証人だったら神や組織に忠実でないといけないとか、自分の倫理観をゆだねてしまうんです。判断する能力を他にゆだねてしまうというか。私はそうでありたくないと思っています。
武) そうすると、ちょっと今日のテーマから離れるかもしれないけど、今の段階で、自分はそういうものに頼らないと思っておられるのなら、ミコノさんがエホバの証人に属しておられることは、モヤモヤを抱えてることにならない?
ミ) 日々モヤモヤの連続といったら!うふふ。
武) それはあなたの中でどう処理されてるの?
ミ) まあ、いろんな人間がいるんだな、と。
武) あー、そこで線引きをするのか。じゃあ、所属はしているけどエホバの証人への魅力みたいなものは感じてるんですか?
ミ) 聖書そのものが好きなので、聖書には魅力を感じてるんですが、実際報道とかで知られているように、「どうしようもない組織だな!」と思ってます。
武) あはは!どうしようもない!ときどき出てくる本音がズバズバすぎて、ツッコミにくい!(爆笑)
ミ) そうですね〜 (笑)
武) まあ、ストレートな気持ちでいいと思います。私はエホバから離れてますが、どうしようもないとこについては、同意します。
ミ) でも、エホバの証人内の人間としては、いい人もいますね。
武) ミコノさんが所属しておられる会衆は、人柄的には、良い人が多い印象を受けますが、トラブルとかはないんですか?
ミ) 私が見てる中では、トラブルなどはあまりないと思います。
武) なるほど。あとまあ、実際に開拓者なり、バプテスマなりを受けて活動し始めると、違うものが見えてくるかもしれないですね。
ミ) ツイートなども話してるんですが、私は新世界訳以外の聖書もたくさん読んでいて、集会に持っていくんですね。長老兄弟とかに「何読んでるの?勉強家だね」と言われることもあって、褒められるような。
武) ああ、じゃあ、会衆の雰囲気として、あまりギャーギャー口うるさく言わないような感じなのか。ちなみにどんな聖書を持ち込んでおられるんでしょうか?
ミ) 新共同訳・文語訳・ESVという英語の聖書、新改訳ですね。
武) それぞれどういった違いが?
ミ) やっぱり文体が違います。文語訳は「汝〜せん」みたいな言葉が書かれていて、そういうのを読むと素敵というか心地よいですね。
武) あー、『萌え!』ですね。
ミ) そうです(笑)萌えるんです。
武) 少し昔話をさせていただきますと、私70年代の終わりくらいからエホバの証人の集会に連れて行かれてましたので、当時は文語訳聖書でした。
ですので、生で文語訳聖書を使ってました。そのあと緑色の「クリスチャン・ギリシャ語聖書」という新約部分が登場して、エホバの証人たちは、そこでワッと盛り上がるわけです。「ああ!自分たちの専用の聖書ができた!」と、それから旧約部分も翻訳されて「新世界訳」になると。
文語訳と聞くと、懐かしいですね。そうそう、文語訳も「エホバ」と書いてあるんですよね。
ミ) そうですね。だから組織も愛用していたんだと思います。
武) エホバでもワヰウヱヲのほうで、「ヱホバ」。通な気持ちを刺激する聖書ですね。
ミ) 集会で眠くなった時に文語訳を読むと、「おーっ、感動。」と目が醒めます(笑)
武) いろんな聖書をみておられると思うので、お尋ねしますが、ほかの聖書はどんな訳出になってますか?
ミ) 基本的に「主」が多いですね。
武) 普通の聖書は神の名前をみだりに唱えないので、「エホバ」とは書かないんですよね。基本は「神」と「主」だと思います。ミコノさんは、ものすごくいろんな聖書を集めておられまして、ミコノ図書館、今個人ではいちばんたくさんの種類の聖書を持ってるんじゃないかな〜。
まあ、ややこしいことを言い出せば、ヘブライ語では「エル・エロヒム」の箇所が神、「ヤハウェ・エホバ」の箇所が主となるんですが、聖書学者の間では、少なくとも「エル」と「エホバ」の神が別だったのではないか?いくつかの文章が合成されて聖書が編集されてゆく中で、エルと呼ばれていた神とエホバと呼ばれていた神が合体してゆくのではないか、と言われていたりします。聖書学のほうを調べると、5つくらいの文書が合成されて聖書ができた、みたいな話もあります。
ミ) まあ、けっこういろんな訳を読み比べてきたんですが、やはり「神の名前」の箇所は違いが目立つと思います。エホバの証人のものは、一部の表記が省かれていたりはするんですが、いちおうちゃんとした理由があって、「この写本にはこれがある」とか「ない」とかの検討の上でなされているので、そこはあまり批判しなくてもいいかな、と。
武) 私ももともと、日本文学の古典の教員ですので、専門は昔の文章を「くずし字」で読まされたりとか、文書批判とか文書批評は専門分野なんですね。
どこそこに残っているこの写本と別の写本がどうちがうか、たとえば「竹取物語」がたくさん残っているけれど、それぞれ違う箇所がある、その元の形ってなんだろう、みたいなことをやるわけですが、そういうことを世界で一番最初にやってるのが聖書なんですね。
なので聖書の本文批判なんてのは修道院とかの時代からバンバンやられてます。
ミ) そうですよね〜。
(2へつづく)
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