【必読】 裏読み 「宗教2世虐待ガイドラインQ&A」
2022年12月27日に発表された「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」について【概要版・詳細版】を2回に渡って読み解いてきました。
それぞれの項目についてはポイントや、気になる点などを逐次解説したわけですが、それら全体を踏まえて今後の議論のベースとしたいと思います。
ただし、かなり「裏よみ」っぽい読み物となっていますので、広い視点でみなさんも考えてくだされば、と思います。
<1> このQ&Aが発せられた意義
いわゆる山上事件から、昨日までほとんど時間がなく、以前に発せられた「救済新法」についてもかなりのハイスピードで成立したことと同様、今回のQ&Aも関係各所の強力な連携、度重なる議論の上に成立したものだと思います。議論に参加した当事者の宗教2世のみなさんや、弁護士等関係者、また議員や厚生労働省の職員のみなさんのご苦労に、まず敬意を表したいと思います。
さて、これまで秘密裏にあった『「宗教教団内部の事情」がどのようなものであったのか』が、事件後一気に明るみに出たわけですが、特に「子ども」の目線で何が起きていたのかが判明したことが第一の意義と思います。
当事者の2世、3世については当たり前の生活環境・宗教環境だったことが「実は虐待であった」と定義されたことは、とてつもない衝撃的事件であったと言うことです。
本文中にも「社会通念上」という言葉がありますが、そもそも宗教環境下におかれている「子ども」たちには、その社会通念上が「なにか」ということすらわかりません。大人になってかつての宗教2世が自身の人生を振り返った時にはじめて、「ああ、あれは異常な環境であった」と発見することはできるものの、今現時点でその内部にいる者については、その自覚をもつことすら許されないのが事実です。
また、これまで「子どもの権利」「子どもの自由」といった漠然とした権利意識は表明されていましたが、特に宗教活動において
「これが権利や自由を侵害している行為そのものなんだ」
と具体的に名指しで説明されたことは、とても大きな転換期でしょう。
この具体性はショッキングです。
実は、Q&Aの発出以降、つぶさにネットを見ていると
「自分は被虐待児だったんだ」
という”発見”をしてしまった多くの宗教2世が、その発見の恐ろしさに気づいて狼狽していることにも気づかされます。
動揺し、恐れおののき、もう一度涙を流している人たちが、多数いるのです。
それほど、このガイドラインは重い、強い、深い、ものなのです。
しかし、そのショックこそが、これまで隠されてきた真実の姿であるということも忘れてはいけません。
「これが30年前に出ていれば、このことが30年前にわかっていれば、人生がまったく違ったものだった」
と語った宗教2世・3世の言葉は、ほんとうにその通りと思います。
<2> Q&Aは教義を侵害するか?
まさに「裏よみ」の視点ですが、今回のガイドラインは、実によくできていて、戦略・戦術の上でもかなりの頭脳戦になっています。
このQ&Aの筋書きを書いた方々は、とても真面目に一生懸命真摯に取り組まれていると感じますが、まとめあがった成果物としては、かなり興味深いものが出来上がっているのです。
まず、最初に「宗教2世当事者からだけのヒアリングで成立しており、教団を含めた両者の意見を取り入れていないのではないか?」という疑問を持つ方もいるでしょう。たしかに、その反論は一理ありそうです。
このQ&Aの内容を読み解いていった2回の考察からも明らかな通り、これらは主に「統一教会・エホバの証人」の内部で行われていた子どもに関する事例の多くを網羅しています。(その他の教団については別途後述します)
つまり、教団内部で「子どもたちがされてきたこと」をほぼ100%拾い上げて、それへの対策を述べたものとなっており、
”完全に宗教2世サイドを擁護する”
内容に仕上がっているわけです。このことを私は「不公平だ」と言うのではありません。そうではなく、そこが戦術戦略的に、よく出来ているというのです。
どういうことか?
通常の裁判等であれば、両者の意見を聞き、すり合わせをして、それから総合的な判断の上「判決・判定」がなされます。ところが今回のQ&Aはその手続きを踏んでいません。なぜそれでよいのか?
実はそれができるのは、このQ&Aは「教義にめちゃくちゃ踏み込んでいるのに、まったく踏み込んでいない」という超絶ウルトラCの技法が盛り込まれているからです。
そのタネあかしをすれば、こういうことです。
「教団や組織が教義に基づいて、あれこれ制限を加えてくることは、本来は信教の自由に基づいて手を出せない部分である」
という前提があるとします。
「しかし、それらがどうであれ、『児童虐待』という枠組みを用いて、そこで判定すれば、教義のいかんに限らず『子ども』だけは救い出せる」
という技を使っているのです。
つまり、
「児童虐待に”ひっかかる”のであれば、宗教だろうがなんだろうが、実はどうでもよく、どんな理由であっても全部アウトにしてやる」
という技術で、今回のQ&Aは貫かれています。だから、相手の教団の意見は不要なのです。教義については、実は踏み込んでいないから。
なので、それぞれの宗教、教団の教えを「大の大人が、自らの意思で信仰する分については、まったくとやかく言わない」という考え方がベースにあります。けれど、
「子どもたちだけはなんとしても救い出す」
という切り分けがはっきりなされているのです。
ところが、それでいて今回のQ&Aは、攻めに攻めています。
「ハルマゲドンや終末の教義」「サタンとして敵視すること」「一般社会との交わりを禁じること」などを具体的に例示して誰にでもわかるようにそれらを「アウト」と判定しています。
ここにも戦略戦術が見てとれます。
各教団にとって教えの「根幹」に当たるような終末教義等を否定するような文言を散りばめることで、攻めに攻めた牽制攻撃をしているわけですが、それでも「おのおのの信教の自由については、そこまで攻め込んでいない」という絶妙なラインを死守しています。
これは法律的解釈、行政的解釈の「ことばのあや」を最大に用いたワザなので、一般の人はコロッとひっかかる箇所と思いますが、プロがみたらこのQ&Aのすごさは拍手喝采ものかもしれません。
どういうことか?
Q&Aでは
「ハルマゲドンという教えが間違っているよ、それは教えちゃだめだよ」とは一切言っていない
のです。そこは信教の自由に関わるので、別に大の大人が信じている分には全然かまわない。
そうじゃなくて
「ハルマゲドンという概念を用いて、(どういう概念でも)それをダシにして虐待を行うのはだめだよ」
と言っているのです。すごいワザです。
これで教義上の牽制・ジャブを打ち込みつつも、けして「信教の自由を侵害しない」ということを両立させています。
<3> このQ&Aの読者は誰か?
このガイドラインは、上で述べたようにかなり戦略的に作られているので、文章を読む読み手によって、それぞれ受け止め方が異なるようになっています。この「読み手」への影響まで考えて作成されているとすれば神がかり的な名文と言えるかもしれません。
表向きの受け手は「児童相談所職員」「市町村等公共機関職員」「学校教員等」です。
彼らが現場実務に当たる時に、「困ることが少ないように」そのヒントを例示しているからQ&A形式になっています。
受け手の職員は、もともとは宗教について理解がほとんどない場合が多数でしょうので「へえ、そうなんだ。こういうことに気をつけるのね」と素直に読むでしょう。また「宗教上、こういう理由で制限を加えているのね」とざっくりとした理解を促すものになっています。
(しかし、ぶっちゃけて言えば、宗教上の理由があろうがなかろうが、虐待に相当したら即刻対処せよ、という従来の政府姿勢と矛盾しない、宗教事例を特別扱いしない公平な中身になっています)
さて、ここで第二の読み手が登場します。それは宗教2世の当事者です。
彼らにとっては現時点で児童生徒の現役であろうが、あるいはもう大人になった当事者であろうが、「自分たちが虐待を受けている可能性がある」という発見を促すものになっています。
だから教義に踏み込んだようにも「読める」具体的例示が効いてきます。当事者にとっては、自身の体験的に当てはまるものが多いからです。
自分が被虐待者であるという自覚が生まれれば、彼ら自身の動きも大きく変わってくるでしょう。それは「保護者(1世)を変える」ことより、はるかに容易で、そして即効性があると思います。なぜなら当人が一番ショックを受けるからです。つらい体験ですが・・・。
第三の読み手は「保護者」ではありません。実は保護者や1世はすっとばしてもかまいません。
彼らは洗脳状態にあり、あるいは信教の自由の下で、自らその教えを好んで信じているわけですから、基本的には聞く耳を持たない可能性もあるからです。
信教の自由がある大の大人を変化させるためには、このQ&Aは直接的には役立たない可能性がありますが、それでも子どもや2世に自覚が生まれれば、家庭内の状況は大きく変わることもあるでしょう。
では真の第三の読み手は誰か?それは「教団」「指導者」層です。
賢い指導者、教団運営者であれば、このQ&Aが「信教の自由にまで踏み込んでいない」ことに気づきます。しかし、アホであれば完全に騙されます。
「俺たちが指示・教唆していることは、マズいのでは?」
と。そう、たしかにマズいのです。それは何がマズいかというと
『教団がその教えを教義に取り込んでいることがマズい』
のではなく
『その教えを実行した信者が、次々に児童虐待で捕まってゆくこと』
がマズいのです。教唆したことになってしまいます。
だから、「教団関係者」について言及されている箇所がごく少ないのは、教団教義そのものを叩けないからです。しかし、信者が児童虐待を実行してしまうと、それはおのずと教団へと跳ね返ってくることになります。
これは、教団関係者からすれば、自縄自縛に近いものすごいワナに落とされたことになるでしょう。
あるいは今後の信者への指導方針を変えざるを得ないかもしれません。保身のためには。それこそ、こちらから見れば最大の効果です。まさにしてやったり。
こうした全体の構造を理解すれば、今回のガイドラインのすごさがわかると思います。
支援に関わる人、特に当事者でこれから支援業務に携わる人は、これらの全体構造をしっかり把握しておかないと、個人の立場で誤って「信教の自由に踏み込む」憲法違反を犯したり、不用意に教団の教義批判に走ったりして、「子どもをいかに守るか」、という一番の目的を忘れてしまうことにもなりがちです。
ここは自戒を込めて、意識をしっかり持とうと思います。
<4> 今後の評価に向けて
ざっくりとした評価は、概略版の時に書きましたので割愛しますが、現場サイドから見れば、なかなか課題も多いガイドラインと思います。
まず、児童相談所の体制が今回の問題以前から「不十分・足りていない」状況にある中で、どこまで実効性があるのか、実務上の問題が多数出てくるでしょう。
また、もっと平たく言えば、私は元教員ですが、児童生徒が
「先生、僕は騎馬戦には出られません」
「先生、あたしは校歌を歌えません」
と、たった今教室で言った瞬間から、児童虐待事例が発見されたことになるわけで、そりゃあぶっちゃけ現場の教師はめちゃくちゃ慌てるでしょう。
『え?教頭に報告?校長から教育委員会に連絡してもらう?ちょっと生徒指導部の先生と学年団はすぐ集まって〜!児童相談所ってどうやってつなぐの?』
という実務的なこともそうだし、
『え?この子にどんな風に接したり、聞き取りをすればいいの?保護者面談はどの段階で、どういう風に設定すればいい?っていうか、なんて言えばいいの?親子ともども、何を配慮すればいい?』
と慌てふためく様子が想像できます。
私は当事者なので、たまたま偶然たぶん全部やれますが、ただでさえアップアップのふつうの先生にそれを求めるのは酷です。
もう少し、具体的なレクチャーが浸透することを望みます。
<5> 他の宗教について
今回のガイドラインの提示を受けて、実は旧来のカトリックやプロテスタント、仏教系神道系の2世の阿鼻叫喚が聞こえてきています。
「自分にも当てはまる」「うちも虐待なのか」
といった気づきは、カルトに限らず従来宗教の家庭にもざわめきを起こしています。
Q&Aの主旨で言えば、どのような活動・団体であっても「身体的・心理的・性的虐待」に当てはまるものはすべてアウトです。
それらの具体性が、特にカルト宗教で顕著であったため、表に出やすかったという面はあるでしょう。
今後は、もっと幅広い宗教について、当事者からのヒアリングがなされることや、それ以外でも細かな修正が必要かと思われます。
今回は議論のごく一部しか取り上げられませんでしたが、もっともっと活発な議論となることを願っています。
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