ちょっと疲れたときは。
こんばんは。
土日はお休みして平日は毎日noteを書く。
そう思い立ったばかりなのに、5回目の投稿にして早速不穏なタイトル。笑
号泣する長男を無理やり保育園に搬送した金曜日、ガス抜きを心がけた土日を経て今日はどうなることやらと思っていたら、目を潤ませながらも自発的に登園しました。偉い。偉いよ長男…‼︎
そんな健気な様子を見て、さぁわたしも今日をなんとか意味あるものに、と意気込んでみたものの。なんだか調子がでない。
次男はそんなのどこ吹く風、いつもどおり笑い泣き、抱っこに授乳に離乳食にオムツ替え。
二人目だからか良くも悪くも親として力が抜け、海外ドラマ流し見ながらお世話したりしちゃうのだけど、続きが気になってた大好きなドラマのはずなのに今日は全然話が入ってこない。
今日この日も社会を支えてくれている人たちがいて、今日この日に人生の大イベントを迎えている人たちもいて、そんな中で無為に今日という日を過ごしてしまうことに罪悪感を感じる。
…なんて思ってた頃もあったけれど。
わたしが家でダラダラ過ごそうと、育児家事を完璧にこなしながら自己啓発本を読み漁ろうと、何か素晴らしいアウトプットが即時になされない限り、今日この日のわたしの家の外の世界(いうかリビングルームの外の廊下でさえ)は1㍉も変わらない。
そのことに今日くよくよ悩んだって仕方がないし、罪悪感という都合のよい免罪符を使って「本来のわたしはもっと高尚な時間を過ごせるはず」なんて思うのもまたズレてる。
そんなわけで、ちょっと疲れているなと感じた今日は、家事のハードルをくるぶしくらいまで下げ、消費も生産もそこそこに、静かな音楽をかけて日中を過ごしました。
音楽をかけ流したまま保育園のお迎えに出てしまったときには、帰宅早々「アレクサ、シンカリオンのうたかけて」と変更する長男。
「おうたがないうた(=クラシック)」、しかもちょうど悲しげな曲がかかっていることに怪訝な顔。
「ママ、〇〇ちゃん(自分)がいなくてさみしかった?」
長男…‼︎
よかった。自分は愛されている、ということを理解してくれていて母は嬉しい。
と思ったそばから、
「(はっきりした声で)アレクサ、摩訶不思議アドベンチャーかけて」
…ん?
「(小声)ママの好きなうたかけてあげたよ。うたったら元気がでるからね(ドヤァ)」。
長男、それはパパの好きなうたなんだ。
Netflixのおすすめにドラゴンボールがたくさん上がってたきてたのは、昨日ママが朝寝させてもらってた間にパパとみてたんだね。
でも歌います。
つっかもうぜっ、ドラゴンボールッ
こんなぐたぐたな日があってもよいよね、と思ってくださったあなたに幸あれ。
むー
(photo by ayakonishiharaさん。家事の前のアイスって最高!)