「人は語れること以上のことを知っている」のか
「人は語れること以上のことを知っている」、暗黙知について指摘したマイケル・ポランニーの主張である。
よくあるAIと人間の役割分担について主張する文面では、機械はルーティン作業、人は判断のためにあるという主張がなされている。
ただ、行動経済学に示されるように、人間の判断は危ういものである(例えばカーネマン)。つまり、人間は必ず正しい判断をするとは限らない。
このことからも、過去の経験に依存してしまうヒューリスティックな判断、限定合理性に影響される(例えばサイモン)、収集できるデータの範囲で最適だと思っている判断については、AIのほうが正しい回答を出す可能性が高くなるのではないか?
つまり、人とAIの切り分けは、正しい判断に必要なデータ量、判断を構成する因果関係の複雑性で役割分担するべきではないか?将棋や碁だけでなく、翻訳や自動運転も人の能力を超えているためでは。
今後、これら二つの属性を有する判断が必要な場合、人の判断はAIに置き換えていくのではないか?「機械のほうが、人が語れること以上のことを知っている」かもしれない。
(ということを思いついたので記録しておく)