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セラピスト界隈のマーケティングの禁忌を定義してみる

昨日こんなのを書いたのですが、

2021年にすらこんなことが行われてしまうセラピスト界隈という事が判明してしまいました。

そうしたら、そもそもマーケティングというものに対して、禁忌としておいたほうがイイものを定義しておいた方が生産的な話の終わり方かなと思い、筆を執ってみました。

これはマーケティングを活用して勝って行くためのものではなありませんし、それは私が知りたいので教えてプリーズ。

そちらの観点の知識がほしい方は、初瀬川先生のnoteの購入をお勧めします。

批判はいいがいいとこどりは禁忌

おそらく、批判自体を悪事と考える人はこの記事をご覧いただいている方にも一定数いるのだと思います。

なんとなくこういうノリですね。

批判はどんどんしてもいいと思います。

否定とか悪口の区別がつかない人はそれはそれで日本語の勉強からやり直したほうが良いですけれども。

よくわかってない方はこちらをどうぞ。

話を戻して、批判は全然いいと思います。

物事を前に進めるときに、皆で賛成意見だけ集めてうぇーい!の方が危ないケースもままあり、特に界隈でそのノリの場合大体さg

ちょっと何かに頭をぶつけて単語が出てこなかったので進みますが、批判自体はむしろ建設的に行うべきでしょう。

そういう意味で、相手をぼかして行うより、明瞭にするのはいいと思います。

しかし、批判と対案はいいと思うのですが、

批判をするていで自分たちのPRをする
批判の解決方法として自社製品を売り込む
批判をするついでに自分を上げる

行為は禁忌として考えるとよいと思います。

Aという行為には良くない点があるから、Bという改善点を提示する

普通ですよね。

Aという行為は良くない。その点うちはCという事をしてるので最高

みたいなことは良くないって話です。

また、この論法を使う人たちは、具体的にどう違うのかをほぼ説明しません。

死体蹴りをしていい場合、ダメな場合

死体蹴りというのは、もう反論できない状態の相手を一方的に攻撃する行為を指したものです。

議論の観点からすると、論外レベルの蛮行ですが、やっていいというかやるのもやむなしというケースは存在します。

・往時にはしがらみがあって声を上げられなかった人の場合
・批判して対案、改善案を提示して、公共の利益を生む場合

前者は元従業員とか、関係者の場合かと思いますが、どちらかというと自分の感情の処理ですよね。

後者の方に特にモラルが求められるのですが、どうしても自分の利益をとっていく行為になりがちです。

これを範としてこういうことを全員でやっていきましょう、っていう提言であれば、反論できない相手に対する批判もある程度は許容できるのではと思います。

後ろ向き系のことはあまり筆が進まないので、この辺でやめておきます。

そのうち加筆すると思います。

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