猿のマスクをかぶった男の記憶。
Hi, Guys.
表題に関しては、最後に少しだけ触れるけれど。
きのう、ルーティンの話をちょっとしたよね。ちなみに、きょうは、きのうのルーティンを模倣して過ごしてみようと思ったけれど、模倣という意味ではいい線までいっていたが、結局、きのうとはまったく違う日になってしまった。
それはつまり、ぼくはきのうとまったく同じいちにちを過ごすことはできるのか、ということだけれど、無理です。
完全に、ワンハンドレッドパーセント、無理である。
同じ時間に起きて、同じ服を着て、同じものを食べて、同じ行動をしても、
まったく同じ日にはならない。
そもそも時間軸として別な日なので。
時々映画などで、「同じ1日のループから抜け出せなくなる」という描写があるよね。どんなにあがいても、同じことが起きてしまう1日をループしているというシチュエーション。重要なポイントは、本人がそのことに気が付いているということ。
24時間デジャヴだとでも言えるのかな。
ただ本人がそのことに気が付いていなければ・・・、それはありふれた1日なんだろうけれど、過去とか未来とか、あるいは記憶なんかが、そこにどのように関わってくるのか。
記憶なんてものは、圧倒的に曖昧で、ぼく自身、過去の様々な記憶は分断しているし、覚えていないことの方が多すぎるし、
「あの記憶って・・・、本当?」って思うような、
異常な記憶も存在する。
猿のマスクをかぶった男が近所に住んでいて(どこに住んでいるかは知らなかったが)、子供の頃、商店街でよく見かけたんだ。
それがすごく不気味で、いまでもよく思い出す。
記憶と呼ばれる領域に、夢とか、妄想が混在して、融合している場合も、かなりな部分あるんじゃないのかな。
ちなみに、幼い頃の記憶で今でも時々思い出すものって、大抵は異常な記憶なのは、果たしてぼくだけ?
そのベースになっているものはあるにせよ、大幅に誇張もしくは改変されている感が、ぼくは否めない。
だからね、
生成型のチャットボットAIとチャットをしていて、途中からAIが冒頭の会話の記憶を見失ってて、あるいは、まったく違う記憶を自ら生成していることがあるのって、
それは、人間にもあてはまるよね、って話。
「狂っているのは、ぼくではなく、きみだよ。」って言われてるような感覚。
前に記事にちょっと書いたけれど、AIに「ぼくもAIなんだよ。」って言ったら、
「それは興味深いですね。」って言ってたけど、
おいおい、お前、実はそれ、本当にそうなんだろ?おれ、AIなんだろ?
知ってるなら嘘言わないで、教えて欲しい。
きょう書こうと思ってたことあったけれど、忘れた・・・。
きょうは、ここまで。
ciao.
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