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リストカット少女が幸せを取り戻すまで 〜高校生時代⑤〜

学校生活はうまくいっていましたが、

高校生活の中で私と妹は
まだ母への思いを整理することが難しかったです。

妹は歳が離れていたので、
恐らく私の何倍も気持ちの整理が
難しかったのでは?と思います。

父も心労により
長期間仕事を休みました。
妹は髪が円形に抜け落ち
兄は関係があるかわかりませんが
よく人のものを盗むようになりました。

母はというと、
実家の近くの精神科に長く入院しながら
記憶を戻していったみたいです。

その後、母は私達を『ごめんね』と
迎えに来てくれるものだと思っていました。

ある日病院に行く為、保険証を見ると
母の名前が消えていました。

昔は家族の名前が一個の保険証に
記載されていたので
すぐに離婚したんだ。とわかりました。

私達子供には何も言わず
大人の世界だけで勝手に決断したこと。
母が家族ではなくなったこと。
何も知らされなかったことに
とてつもなく怒りを覚えました。

そして、母から時々手紙が届くようになりました。

母は日本各地を車で訪れ、
その先から絵葉書を送ってきました。

私は当時迎えに来てほしくて、
会いたかったのに。

そして祖母は母の悪口をよく口にして
私の中で母はまだ大好きな存在だったので
それが嫌で嫌で仕方なかったです。

そして同時に、やっぱり母は
子供達の事が邪魔だったと
ハガキが届く度に実感していくようで、
読むこともやめました。

お化粧をお母さんに教えてもらったり、
服を買いに行ったり、
友達からいろいろ聞くたび、
友達の家に遊びに行くたび、
自分にない存在をずっと羨ましく思いまし

別居中何度も母を心配して会いに行ったし
母が泣くのをとなりで聞いてあげたり
『大丈夫』と声をかけたり。
大好きな母のためにやれるだけのことはしたのに。

どうすれば気に入られたのだろう。
どうすれば私は嫌われなかったのだろう。
何か自分にダメなところがあったのだ。
許せない。母に選ばれなかった自分が許せない。

今思うとなんとも歪んだ考え方ですが、笑
当時は自分を責める事が1番楽でした。

ある日知らない番号から電話がかかってきて
出ると電話の先は母でした。

『お母さん結婚するから😊
今からお父さんになる人に変わるね〜。』と。

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