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我が家流⭐︎緩和ケア#43「長男の嫁、走る!キレる💢」
2011年7月
末期がんで余命3カ月と宣告されたお舅さんを自宅で看取りました。
当時のBlog記事をシリーズで転載します。
どなたかの参考になれば幸いです。
***
2011年7月12日
お義母さんは、お義父さんのそばから離れられない。
(あたりまえですね)。
三男とアタシで連絡すべきところへ電話する。
『訪問看護ステーション』
『かかりつけのドクター』
『本家』そして『葬儀屋』へ。
20分ほどでドクターY到着。
検死をしてもらい『死亡診断書』を書いてもらう。
ドクターが検死をした時刻が死亡時刻となる。
(これ、しっかり確認しないといけない。まさかドクターが間違えると思ってなかったんで、ちゃんと見てなくて…あとで訂正してもらいに行くはめに)
長男(夫)・次男(義弟)・孫(甥っ子・姪っ子)の学校にも電話を入れる。
ほどなく、孫息子(甥っ子)が帰ってきて泣き崩れる。
孫娘(姪っ子)も同じく。
アタシは、やるべきことに必死でこの時点では“うるっ”とはきても泣き崩れることはなかった。
訪問看護師さんが到着。
お義父さんのカラダをキレイにして浴衣を着せてくれる。
その前に「顔を見ますか?」と言われ、やっとお義父さんの近くに行った…ら、もう涙が溢れて止まらなくなって…しばらく泣き崩れてしまった。
落ち着いたあとは看護師さんにお任せ。アタシには続々とやることが押し寄せる。
まず『見舞配分』の用意。
(見舞配分って言葉、今回初めて知った)
パームシティのサービスコーナーで洗剤の詰め合わせを10個!
カートに乗せてヨタヨタと運ぶ。
「ひとりで持てるわけないやん!」
車の運転しながら、大声で泣きわめいた。
そして、ご近所に『見舞配分』を配り挨拶に行く。
(看病の甲斐なく亡くなりました、という報告)
隣保班の班長さんに、通夜と葬儀の報告をし、放送してもらう段取り。
自治会長さんに、トメ焼香のお願いをしに行く。
お参りに来てくれる人にお茶を出す→洗う、の繰り返し。
親戚の分の夕食の買い出し。
夜、9時頃から葬儀屋さんと打ち合わせ。
これがかなりくたびれた。
疲れすぎてイライラもした。
お義母さんは「この子らに任せてるから」の一点張りで丸投げ。
(出た!姑⭐︎伝家の宝刀!)
そのわりに口出しする。
(あたりまえなんやけどね)
本家のおばちゃんも知らんことをアタシらが知ってるわけないっしょ。
みんなは、お義父さんを看取った達成感でヘンにテンション高くなってくる。
こっちは、お義父さんのカラダに近づくこともままならず。
アタシ、キレた。
「やることやってしまおうよ!」ってな感じで。
はしゃぐ孫娘(姪っ子)に八つ当たり。
「ウルサイ!あっち行け!イライラする!」
「筆ペンは?💢」とかキレたテンションで、お義母さんに命令する長男の嫁(アタシ)
お寺さんのお布施、筆ペンを持つ手が震えそうになるのを抑えながら書いてたら
「〇〇ちゃん、やっぱ上手いなぁ」
(そんなん、ええねん)
その日は、(とは言え夜中2時頃でしたが)アタシだけ自分の家で、どんちゃん(愛犬)と寝た。「落ち着け!アタシ」と言い聞かせるが、しばらく興奮して珍しく眠れなかった。