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あの時の喧騒が、今は恋しい。

日曜の夜、前職で一緒に働いていた同期の彼を見かけた。
僕は家から少し離れた複合施設で、日用雑貨を買い揃えている時だった。
その時、遠くでうっすらと視線を感じた。
僕はその先を見ると、目線を逸らした同期の彼がいた。
以前に比べ、異常なほど顔色が悪かった。
日焼けとは思えないほどに、どす黒かった。
体調が悪いんじゃないか、ストレスが酷いのでは無いだろうか。
僕は彼を見たが、彼は気付かない素振りで横を向き、見て見ぬフリだった。

彼は同期の中でも特に真面目で、業務中は同期同士の間でも敬語に切り替える徹底ぷりだった。
入社当初は、あまり冗談が通じず、典型的な真面目人間というキャラで自分を守っている彼に興味が持てなかった。
それは彼に対して、他に自分を守る鎧を持たない人特有の、真面目さだけを押し出せば大丈夫と妄信している浅はかさを感じていたからだ。
「真面目なんじゃなくて、彼の場合は真面目にしか出来ないだけだろ」
僕は同期で本音の話せる奴と二人で飲む度に、彼の事をそう言って批判した。
そして時折、機嫌がいい時や酔った時に自分の許容する範囲でのみ、同期から美味しくイジって貰おうとするダサさも嫌だった。
彼からは全体的に、他人が深く入り込むのを恐れている、プライドとビビりの部分が見え隠れしていた。
そして、それらはまさに僕自身も似た部分があったからこそ、自分のダサい所を再認識するようで見ていられなかった。

しかし彼はその真面目さでずっと同じ部署で頑張り、管理職まで辿り着いた。
最初に昇進した僕を呆気なく追い越し、僕が辞める頃には僕の上司になっていたのだ。
辞めるまでの数年は、彼に大分助けられたし、僕も彼に仕事の話が出来ることでやり易い部分もあった。
辞めることを最初に告げたのも彼だったし、そのことで彼には非常に迷惑をかけたと思っている。

彼との一番の思い出は、入社して少しした時にあった。
まだ研修中で、僕ら同期数人は先輩たちに仕事を教わりながら、時に仕事以外の雑用をこなしていた。
その日告げられたのは、車で30分ほどの距離にある物置替わりの旧工場に向かい、現工場にある不要な机や椅子を片付けるという作業だった。
僕ら同期は不要な机や椅子などを軽トラに山盛りに積み、旧工場へ向かった。
まだ春の終わらない季節で、夏というには早かった。
天気のよく晴れた日の、午後過ぎのことだった。
同期の一人が運転をして、軽トラを走らせていた。
もう一人は助手席に乗っていた。
残りの数人は別の車で後ろを追いかけていた。
その時僕と彼は軽トラの荷台に乗り、紐で押さえた机が崩れないように注意を払っていた。

僕はその時のことを、とても覚えている。
あの日は、なんだかとても楽しかった。
あの日の作業は仕事というよりはサークル活動のノリで、それまでの毎日憂鬱だった仕事から解放された日だった。
彼とお互い、揺れて崩れそうになる机や椅子を笑いながら押さえていた。
仕事から離れた彼は、屈託なく笑う何処にでもいる普通の青年だった。
赤信号が青信号に変わったときのこと。
車が勢いよく発進し、バランスを崩してコケそうになった彼を見て僕は爆笑した。
そして彼も、恥ずかしそうに笑っていた。
道路を走るたくさんの車、午後の動き出した街、ガチャガチャ揺れる机と椅子と僕らの笑い声。
そんな喧騒があった。
道路を走る車の荷台から上を見上げると、空だった。
青空は澄んでいて、僕らはまだ若かった。
これから何でも出来そうな気がしていた。
この会社でも、何とかやれそうな気がしていた。

そして今、辞めてから1年以上経過している。
ずっと無職でダラダラ生きていた。
そんな奴だ。
引き止められる中、真っ当な偉そうな理由を並べて辞めて、迷惑をかけた。
ただしんどくて、これ以上やりたくなくて、船を降りただけだ。
そんな裏切り者に対して、また手を振って仲良く話す理由もないんだろう。
僕は彼の真面目さを少し羨ましく思った。
だけど真面目なだけでは、これ以上の荒波に耐えられないんじゃないだろうか、とも心配になった。
ずるく、要領よく、適当に、そんなことも時に大事だと思う。
そういうスケベな事を経験するうちに、一周して真面目が大事だと思えたら、それは本物だと思う。
でも彼には、真面目さだけで戦ってきた彼には、そんなスケベさを許容できないのだとも思う。
今となっては、守るものが多くなった彼だ。
僕が辞める直前、彼を守る鎧はもうボロボロで見ていられなかった。
だけど彼は、その鎧を僕の前で決して脱ごうとはしなかった。
それがとても寂しかった。
お互い大人になった今、話を聞く事くらい僕にも出来たと思うのに。
あの日あの時の喧騒の中、屈託なく笑う彼の姿はとても魅力的だった。
お世話になった彼に対して、今の僕は、とても心配している。

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