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デルタが来たよ、指数関数じゃないよ、もっと速いよ
8月11日感染確認者予測2400人余りの意味
2021年7月15日の「東京都新型コロナウイルス感染症モニタリング会議」[1]において、デルタ (δ) 変異株(B.1.617.2, L452R 変異を持つ主要な変異株)の市中感染の広がりによる東京都の新規感染確認者数が、このままいけば4週間後の8月11日に 2400 人余りとなるだろうという試算が示されました。この数字は、翌7月16日までに新聞紙面でも見出しに取り上げられ大きく報道されました[2][3]。具体的には、会議資料[4]で「新規陽性者数の7日間平均は…7月14日時点で約817人に増加」とした上でコメントとして「増加比約131%が継続すると、1週間後の7 月21日の予測値は1.31倍の約1,070人/日、2週間後の7月28日の予測値は1.72倍の約1,402人/日、4週間後の8月11日には2.94倍の約2,406人/日」とされています。
すでに外していることが明らかとも言えるこのモニタリング会議の「予測」は、曜日によるゆらぎを取り除いたトレンドとしての確認者数に、一般の感染症の拡大ならそうなるであろう指数関数(等比数列・ねずみ算・複利計算)的な拡大を当てはめて導いているものです。ようするに、そのときの確認者数 817 人/日に週の拡大率 1.31 を4回掛け算しただけのもので、何か凝ったモデルを用いて予測したものではありません。資料のその直後では「L452R変異を持つ変異株(デルタ株等)…の影響により、増加比がさらに上昇すると、感染拡大が加速し…〔上の〕予測より早期に第3波を超える」[4]とされており、この計算が現状にそのまま指数関数を当てはめたいわば下限といえるものに過ぎないものであることがわかります。
しかしこの値は独り歩きして「政府高官は『それくらいなら大丈夫。〔五輪の〕中止はない』と意に介さなかった」[5]といった為政者に誤った予断を与えるものにもなっています。この判断の道義的問題は別としてそれに根拠を与えた数字は、上の後半の部分、すなわちデルタ株の影響により拡大率(または再生産数)が上昇し、後で見るように指数関数的予測よりもさらに拡大が急速となる圧力のかかる局面にあるということが、為政者にもメディアにも一般にもあまり認識されていないことが一因ではないかと思います。
[1] 東京都「(第54回)東京都新型コロナウイルス感染症モニタリング会議資料(令和3年7月15日)」https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/taisaku/saigai/1013388/1014279.html
[2] 岡戸佑樹、池上桃子「東京感染『4週間後は2406人』 第3波超えペース、専門家指摘 新型コロナ」朝日新聞、2021年7月16日(朝刊)https://digital.asahi.com/articles/DA3S14976076.html
[3] 松尾博史「このまま感染拡大すれば『五輪閉幕後は1日2406人』 都モニタリング会議が試算」東京新聞、2021年7月15日(Web 版)https://www.tokyo-np.co.jp/article/116992
[4] 上掲都モニタリング会議資料「専門家によるモニタリングコメント・意見【感染状況】」2021年7月15日 (PDF) https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/014/279/54kai/20210715_03.pdf
[5] 村上一樹「五輪後、2400人感染も『それくらいなら大丈夫』 政府に開催中止の選択肢なし」東京新聞、2021年7月18日(Web 版)https://www.tokyo-np.co.jp/article/117391
一般に、拡大率も含め感染者数を予測することは難しい問題でしょうし、玉石混交な数字の意味を見分けることは容易ではありません。感染症の広がりを表すとされるモデルはさまざまに作りだせ、単純にも好きなだけ複雑にもすることができ、増える未知パラメータの推定も様々に行えます。しかし一方で、こうした確認者数自体とその予測は社会に影響を与え、ひるがえって人々の自発的な行動や行政の対応に影響を与え変化させます。こうした人々の行動の変容まで予測しモデル化することはほとんど不可能でしょう。感染者数予測には自ずと限界があります。
しかし、感染症の動向に関する値の中には、驚くほど安定しており、適切にデータを集めさえすれば数か月程度の比較的長期にわたりよい精度で予測できる値もあります。それは、変異株が置き換わるときのそれらの比率です。この比率が予測可能なことが、置き換わりの最中の感染拡大がどのように単純な指数関数的当てはめを超えていくかについて見通しを立てることを可能としています。
変異株の比の動きにみられる法則性
厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードに提出されている資料[6]には、国立感染症研究所(感染研)・地方衛生研究所が行ったゲノム解析の結果として国内に変異株の時間的に変遷する数とその割合が示されています[7]。
変異株の数と割合の推移。[7]より。
変異株への感染確認者数そのものを示す図の上のグラフでは、波ごとに主要なものとなっている変異株が移り変わっていることはわかりますが、その大きさの変化自体は直ちにはっきりした規則が見出だされるものではありません。しかし下の割合のグラフを見ると、変異株の割合の境界にあたる曲線は誤差はあるもののなにやらなめらかな推移をしており、背後にある法則性を感じさせる動きをしていることが見えてきます。実際例えば、これらから一方から一方へと置き換わっているような2つの変異株に注目してその比をとってみると、この法則性はすこぶるはっきりします。
[6] 厚生労働省「第43回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード(令和3年7月14日)」https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00256.html
[7] 上掲アドバイザリーボード資料「資料4 新型コロナウイルス感染症(変異株)への対応等」https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000806493.pdf
ここでは東京都の動向に注目するために、感染研のゲノム解析ではなく都の健康安全研究センター(健安研)による PCR による変異の存在を調べた簡易的な検査を使って2021年3月頃以降の第4波の動きを見てみます。第 4 波では、E484K という変異を持った変異株(主に R.1)やその他の株から N501Y 変異を持つ株(主にアルファ [α] 株、B.1.1.7)への置き換わりが起こりました。そこで、E484K に対する N501Y の比を取り、その対数でグラフを描いてみると以下のようになります。サンプルサイズが比較的小さなことから誤差は大きなものの、概ねこの値が直線で推移していることがわかります。
こうした関係は場所によらず同様にみられます。多くの PCR 検査を行っているイギリスでは、同時に大規模なゲノム検査も行われており、より精度の高い推移のようすを見ることができます。ロンドンで2020年11月以降起こった B.1.177+ 株(類似する株の集団)からアルファ株への置き換わりと、2021年4月頃以降のアルファ株からデルタ株への置き換わりに関して、同様のプロットを行ったのが以下の図です。やや途中でなまる傾向があるものの、概ね直線で推移しています。また後者(図右)の方が直線の傾きが大きく、それまでの株からアルファ株への置き換わりよりも、アルファ株からデルタ株への置き換わりの方がより速かったことがわかります。
イギリスの数学者の Alex Selby 氏は、イギリス全体におけるアルファ株からデルタ株への置き換わりに関して同様の値をプロットしたさらに印象的なグラフを Twitter に投稿しています[8]。イギリス各地での変異株の置き換わり状況にはさまざま違いがあるにも関わらず、ここでもグラフはきれいな直線を示しています。
[8] Alex Selby, a tweet on 2021-06-25,
https://twitter.com/alexselby1770/status/1408369042671476739
これらのグラフは縦軸を対数としたいわゆる片対数グラフとなっています。一般に片対数グラフの(垂直だったり水平だったりしない)直線は、指数関数に対応しますから、対数軸ではないグラフとして表すなら2株の比の時間的推移は指数関数となっていることを意味します。そしてもし、2株の比(a/b)ではなく両者の和に対する割合(a/(a+b))として表すなら、グラフはロジスティック曲線と呼ばれる ∫ のような形の曲線となります(なぜこの曲線をロジスティックと呼ぶかは歴史的経緯があるようですが、兵站・物流管理などの意味のロジスティクスとはあまり関係がないようです)。
7月20日現在、アルファ株からデルタ株へと置き換わり途中の東京におけるデルタ株(正確には L452R 変異をもつ株)とそれ以外の株の比(図左)と割合(図右)のグラフは以下のようです。いま現在のデルタ株への置き換わりも上の法則通りに進んでおり、今後いつどれだけデルタ株へと置き換わるかはすでにわかっているのです。
いずれにしろ重要なことは、多少なまっていく傾向のような逸脱はあるにしても、社会的行動制限の変動のような人為的な影響を受けることなく、この値は予測可能な安定した動きをするということです。どのような変異株が現れ、いつそれが市中に入り込むかは予測できませんが、一旦、変異株が侵入し、その置き換わりの立ち上がり部分で精度の高いデータがある程度の数得られ、グラフへの直線への当てはめが行えるようになったなら、その後、変異株の置き換わりが概ね完了するまで数か月の間、変異株の割合の予測が精度よく行えるのだということになります。これは感染者数・確認数の予測が難しいこととは対照的です。予測の信頼性の高さと結果としての変異株の割合が感染者数へ与える影響の大きさから、これは他の予測の基礎となる変数を与えるものとして扱われるべきものであると考えます。
一方逆に言えば、この値が人為的影響を受けにくいということは、人為的に変えにくいということでもあります。つまり、一度、感染力の強い変異株が市中に入り込んで、ランダムなゆらぎを脱する程度に感染を広げ拡大が始まってしまったなら、その後の拡大は極めて規則的に起こり、残念ながら人為的手段ではほぼ変えられないということになります。つまりある地域で、アルファ株からデルタ株への置き換わりが始まってしまったなら、もう止められません。いまさらですが、水際の検査と隔離をしっかりとやり変異株を侵入させない(少なくともワクチンなどの対応が十分に行えるまで遅らせる)ことが、その後もたらされる被害を防ぐ上で最も簡単かつ安上がりな対策となるはずでした。
上のように変異株の比が人為的影響を受けにくい指数関数となる(その対数が直線となる)ことは、人為的影響が変異株に依らない掛け算として感染拡大に影響しているのだと考えることで理屈の上でも説明できます。それぞれの変異株は、それぞれの感染力で決まる拡大率に応じた異なるペースで指数関数的成長を続けようとするのですが、そこに検査や行動制限できまる減少の効果が掛けられます。掛けられた同じ値の効果は、(0だったりしなければ)誰でも知るように割り算をすることで分子と分母で打ち消し合います。結果としてこの比は、人為的効果の影響を受けにくく、感染力の差に比例した拡大率をもつ指数関数となると期待できます。
変異株の数の比にこうした単純な関係が成り立つことは、学問的には当然とみなされていることなのかもしれません。実際、厚労省アドバイザリーボードの資料にはこうした関係を用いた推移と予測の図も毎回添えられています。しかし一般においても為政者にもあまり認識されていないようですし、メディアにおいてもあまりそれは解説されていないように見えます。
指数関数を超える拡大期
変異株の置き換わりのようすが、単純な法則に安定して従っていることはわかったとして、このことが我々にとってより重要な値である感染の拡大に与える影響は何でしょうか。
変異株の比を表した先の対数グラフの傾きは、変異株の置き換わりの速さを示し、それは置き換わり前後の変異株の感染力の差を示しています。いま仮設的状況として、ある変異株 A が蔓延していて、しかし防疫的検査や行動規制によってその感染者数は増えも減りもせずちょうど抑えられているとしましょう。つまりこのとき、A の感染力と人為的な抑制の効果が正負で同じ大きさで釣り合っています。
このとき抑制の効果はそのままだとして、変異株 A がより感染力の強い変異株 B へとすべて置き換わったとしましょう。すると均衡していた感染力と抑制のバランスは崩れ、ちょうど A と B の感染力の差だけ感染は指数関数的に拡大を始めることになります。つまり、直線の傾きで示されていた感染力の差は、変異株の置き換わりの速さを与えるだけでなく、抑制策が一定のままとしたときに変異株置き換わり後にみられる指数関数的拡大の拡大率も与えています。
これは、置き換わり前が釣り合いの状態でなくても同様です。もしアルファ株だけだったとき、抑制策が効いて一定の指数関数的減少が起こっていても、デルタ株に置き換わり、感染力の差を加えたときにプラスに転じてしまうようなら指数関数的増加に転じます。もともとがアルファ株でゆっくりした指数関数的拡大であったなら、デルタ株ではずっと急速な指数関数的拡大となります。
仮に抑制策の効果が一定の状況を考えれば、変異株の置き換わりとは、感染者数の推移として見るならば、ある(減少または増加の)指数関数から、別の(より増加の方に傾いた)指数関数への置き換わりだとみなせます。そして、その置き換わりのようすはデータがあればかなりきっちりと予測でき、その割合はロジスティック曲線に従います。よって、抑制策一定ならば感染者数の拡大率の動きもまたロジスティック曲線を描いて増大します(ほぼ同じ概念で、表し方の違う「週あたりの拡大率」や「倍加時間の逆数」、またいわゆる「〔基本・実効〕再生産数」もほぼ同様です)。
以下は、7月20日現在まで東京で得られているデータから導いた確認者数の推移の対数の時間変化で、ここでは拡大係数とよんでいます(各種サイトによくある簡易的に計算した再生産数から 1 を引いた値に概ね比例します)。現在、東京でデルタ株への置き換わりは半ばにあり、アルファ株だけなら水色の線のように小さく留まったこの係数は、今後の抑制の効果が変わらないと仮定すれば赤い点線のようにロジスティック曲線を描いて上昇すると予測されます。
もし、デルタ株への置き換えが完了したとき拡大係数が 0.1 となれば、これは感染者数の倍加時間約 7 日での拡大を意味し、よって週の拡大率は 2 倍という急速な指数関数的拡大を意味します。
置き換わりの途中で拡大係数が仮に 0.05 であったとすれば、その瞬間での拡大のようすを表す倍加時間は 14 日ほどで、週の拡大率は 1.4 倍ほどです。しかし置き換わりが増大しているこのときに、当然ながら 2 週後になって感染者数が倍となるのだとは期待できません。この予測自体は指数関数的拡大への当てはめですが、株の置き換わりが進行中である場合、実際の感染者数の拡大のようすはこの指数関数を超えていきます。このことが最初に上げた都モニタリング会議の予測を無批判に受け取った場合の間違いでした。
変異株の置き換わりは、ある指数関数から別の指数関数への置き換わりであって、最終的には指数関数を超えるものではありませんが、その途中で指数関数への当てはめを行っても、それを超えて感染は広がるのだということに注意せねばなりません。これを模式的に表すと以下の図のようになるでしょう。
模式図において、緑の線に沿うように4週後の値を示してしまったのが最初に示したモニタリング会議の予測でした。それは乖離することが予めわかっているものでした。実際には今後の感染確認者数は、抑制が一定であるとするなら上のデルタ株への置き換わりを考慮したロジスティック曲線的に上乗せされる拡大率の予測を用いて、予測ができるものです。7月20日現在の拡大率の増大予測に基づいて、今後の感染確認者数をプロットするなら以下の赤い点線のようになります。
まさにオリンピックに合わせて、東京の感染状況は少なくとも公表時点の値としてクリティカルな拡大の時期を迎えます。わずかな拡大率の見積もりの違いさえ大きな差を生みます。緊急事態宣言の効果が見えてくるであろう時期でもありますが、デルタ株により上がった拡大率にどこまで対抗できるか予断はできません。
少なくとも6月中旬までには、デルタ株の拡大が東京でどのように進むかかなりの確からしさで予測可能でしたし、実際予測されていました。それに基づいて、カーブして上がる拡大率(再生産数)もある程度わかっていました。にもかかわらず、クリティカルな時期を目前にひかえたいま、現在の拡大率に基づいた指数関数とみなしただけの予測をわざわざ行うのは為政者を含めた人々の判断を誤らせることにつながるものだと思います。■