他の人は精神を患っている人とどうやって共存しているんだろう
ここ数年は、母が家の中を好きに歩き回れないようにしていた。
台所を含めたいくつかの部屋に入れないようにしていたし、食事も別だった。
食事を共にするのが不快だったのもあるが、他の人の分まで食べ尽くしてしまうからだった。
そういった事がストレスだったのだろう、なんてひどいやつだと思うかもしれない。でも私達にとってもストレスだった。
我慢するのが精神を患っている相手への当然の対応であり、家族のかたちなんだろうとも思う。でもどうにもできなかった。
母が入れないのは基本的に、私達が眠る部屋と食べ物や飲み物やお金が置いてある部屋だった。台所もそれに含まれる。火を使わせないようにするためというのもある。
母は我慢がきかない。
身体のためにスイーツを我慢しようとかそういうかわいらしいものではない。
食べ物があったら食べ物をすべて食べつくすし、それが晩ごはん用の惣菜だったとしても同じ事だった。
ギフトで頂いたジュースのセットを半日で全部飲んだ。6Lはあった。
お経を読みに来たお住職さんに渡すためのお金や、町内会費にも手をつけてコンビニで一気に使う。香典に手をつけられた事もある。だれからどれくらいもらったかの情報が失われるところだった。
ウイスキーを「美味しそうだったから」と一気飲みして急性アル中のような症状になった事もある。
原因がわかっていたので、吐かせて水を飲ませて対処した。
酔っ払いを見慣れていて助かった。
でも、今思えば気づかないフリをして放置しておけば、なんなら追加でどんどん飲ませておけばよかった。あの時は、救急車騒ぎになるのが面倒という一心だった。目先のことばかり考えるのは良くないという好例だろう。
母が居ない今、色々冷静に考えられる事が多い。
母が居た頃は、全て母のせいにしつつ自分はなんてひどい人間なのだろうと落ち込んだりもしていたが、離れてみると結構理不尽な目にあっていたのではないかと考えるようになった。
目を離せないのは本当だったし、夜寝る時だって緊張感があった。
幻聴や幻覚もあった。
一時期、母が包丁を私に突きつける事が嫌だったので枕元に包丁を忍ばせて寝ていた時期があったのだが、ここ最近では「殺されるのではないか」という不安があって、また包丁を隠そうかという気持ちでいた。
父や弟が仕事で疲れて帰ってきても、母にキレた私が大声で怒鳴ったり、取っ組み合いになったりする声や音が毎日のように家に響き渡っているのを申し訳ないと思っていた。地獄だと思った。
カッとならないように、ひと呼吸置くようにもしていた。
こちらが冷静になろうとしている間にも同じことを繰り返す相手には意味がないように思えた。
他の家族はどうやって精神病患者と共存しているのだろう。
愛でなんとかなったりしてるんだろうか?
私がものすごく心の冷たい人間だからいちいち考えているだけで、損得勘定なしに耐えているんだろうか。
精神病当事者は常に守られるべきで、やらかしてもそれが病気のせいなの同情されるだけだ。
精神病の家族に何かされても、発言に傷ついても、生活がうまく回らなくても誰にもどこにも愚痴を吐いてはいけない気がする。
その瞬間から私は、理解のない悪者になる。
私は差別主義者なんだと思う。
メンヘラを自称する人が子供を欲しがっているのを見ればやめろと言いたくなる。自分のことすら十分にこなせないような人間が子供を育てるなんてできるわけないだろうと。
でも誰も言わないし私も言えない。言ってはいけない。
そもそも人様が子供を欲しがっているのを見てそんなこと外野が口出すのはおかしいし。
この前も「旦那が子育てのために必要だと思う収入まで達していたいからと妊活させてくれません、子供を作るくらいなら不倫されたほうがマシだって言うので不倫相手募集です」というような事を言っている人をみかけた。
別にフォローもしてない。勝手に流れてきた。
苦手でなかったので放置していたが、この件でミュートした。
最終的に子作りを勝ち取ったようだが、子供にも同じことをやるだろうなと思った。
そう思っても本当にそんな事言ったら誹謗中傷な気がするし、何様だと思う。
でもずっと心の中でモヤモヤしていたのでここに書かせてもらった。
他人の子供が傷つこうが関係ないが、どこかに吐き出したかった。
メンヘラが子供を作るなというのは母親を見ていて感じたことではない。
少なくとも私の母も、私が生まれる前には病名なんてなかったわけだし、ずいぶんとひどい目にはあったけども、なんとか死なずに育っている。
純粋に疑問なのだ。
相手を追いこんで自分の思う通りにしようとする人や、毎日昼過ぎに起きてぼーっとする時間が長い人が、どうやって子供を育てられると思っているのだろう。と。
殺さないでいられるんだろうか、自分自身や子供を追い込まずにいられるんだろうか?
そしてそんな人が妊活を口にするということは、寄り添っている配偶者がいるという事だ。
どうして寄り添えるんだろう、生まれつきの家族ではない。選べる家族なのに。補って余りあるだけの魅力があるんだろうか?人生を捨てるような行為のように思えるのに。
その人が私よりも単におろかだという事はないだろう。つまり、正しい共存の方法があるはずなのだ。
私にはそれができていない。
苦しいだけだ。きっとそれはお互いに。
リハビリのために入院している病院で自殺してくれないだろうか。多分しないな、本当に死ぬような事は1度もしていないし。
リストカットでおもったより深く傷つけただけで大騒ぎしてたし。死にたいんじゃないのかよ。
飛び降りた時だって、多分飛び降りるつもりはなかったんだろう。ただあの日は風が強く、母は私が家に居たと思ったんだろうがたまたま不在で、そして母は筋力がその辺の老人以下にまで落ちていた。
助けてー助けてーと言っていた。
死にたいんじゃないのかよ
保護責任者遺棄罪なんてものがなければ、絶対に救急車なんてよばなかった。
死んでほしい。
死んでくれないかな。
なんかこう、絶対に訴えないから医療ミスとかで。
ひと暴れでもして精神病院送りにならないかな。
精神病患者と生活している他の人達はこんなふうに思わないんだろうか、思ったとして、それをどこに吐き出しているんだろうか?
一番つらいのは本人だというが、もうそうは思えない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?