一気に動き出した人生1

書くことがなかった上に連続更新記録を絶やしてしまったのでモチベが消え、長く更新してなかった。
Twitterはたまにやってた。
全部道筋立てたら長文になるだろうし、そもそも今の私に道筋立てるなんて事はできないだろうから数日に分けて書くことにした。
要は回数稼ぎである。

この更新のない間に、正確に言えば今月に入ってからだろうか。一気にいろいろな事があった。

まず7月1日の金曜の夜、父に母が戻ってくる事を告げられた。
今いる病院で入院させられる期限が迫っている事、精神病院は引き取ってくれないらしい事、足がまだ悪いから悪さなんてできないだろうと楽観視している事を告げられた。

ものすごく絶望して、泣いて「母が戻ってくるなら私は死ぬ、一緒に生きていく事はできない」「私は死ぬがそのあとに母の介護はできるのか、そこまで考えているのか」と喚いた。
父は「それは無理だが施設や病院に入れる金はどうする」と真っ当な事を言っていた。自分も連勤で疲れている中でそんな事まで考えてたら死ぬ、どうしてみようもないと、これも真っ当だと思った。
私のは子供のわがままで、子供なら可愛らしいかもしれないが20代後半職歴なしニートのわがままなのである。
一連の話の中で、私は「こういう時は福祉に頼ればなにかあるはずだ、自分も就労のために頼りたい、母は精神障害なのだから何か絶対に頼れるはずだ」と伝えた。
正直、父がこれを覚えている保証はないと思った。最終的に「月曜が休みだからその時に相談する」というような事を言っていたが、これ自体忘れたり、その翌日からは私も普段どおり振る舞ったので「解決した」と思われて何も動かないのではないかと不安だった。
この日、私は大げさに長時間泣き続けた。攻撃として涙を意図的に使った。そんな自分が本当に嫌だったが、生きたかった。
自分で動こうとせず人に動いてもらおうという自分の愚かさも嫌だったが、私には移動手段がなかったし、どう相談してみたものか分からなかった。

ここから月曜の夕方までは本当に長く感じた。
母が戻ってくるなら死ぬしかない。生きる道はどこにあるだろうか?
いっそ電車と新幹線を乗り継いで、東京に出るだけ出て流れに身をまかせてみようかなんて事も考えたが、それでなんとかなるのは美人だけではないかとも思った。
そもそも、母以外の家族には愛着もあるし。
家を出る事を諦めた私には、いよいよ死しか残されていないという状況になった。
土曜の夜にはもう死ぬ前提で世界が見えていた。
弟の話題のために惰性で続けているソシャゲのデイリーをやりながら「こんな事やってる場合か」とふと思ったりした。この画面を見るのもあと僅かだなと自然に考えたりした。
自分の人生を儚むというより、フッと自然にそう思った。昔遊んでいたゲームがサービス終了する間際に感じたものに近かった。
日中家族が居ない時に何度も泣いた。涙が勝手に溢れてきて、感情もそちらに引きずられていた。

社会復帰のためと続けていた運動も、意味があるのかと疑問に思ったが、ここしばらくの日課になっている中で続けないと気持ちが悪く、あと数日をいつも通りの日常として過ごすために必要なものだと思って続けた。
自分は世界が滅ぶ最後の日にあまりパーっとやらないタイプなんだろうと初めて思った。
日曜の夜は久々に夜通しで漫画を読んだ途中何度か寝ようと努力したが寝付けなかったので、日が出る頃には寝ることを諦めた。
ゴミ出しをしなくてはいけなかったし、日中寝ている様子を父に見せたくもなかったので月曜は徹夜で臨んだ。
寝不足が悪かったのか、いよいよだったのか
死ぬしかないと死にたくないに頭が支配されて情緒がボロボロだった。
何をしても最後という言葉がチラつく。死にたくないが死ぬしかなかった。
自分でも精神状態がおかしい事がわかった、死にたいではなく死ぬしか無いだった。
死ぬしか無いで何度も検索する。
出てきた希死念慮がある人に応対する人がどういう行動をとればいいのかみたいなページを見て「そんな事してもらってもどうにもならないじゃないか」なんて思ったりしていた。
別に話を聞いてもらいたいわけではなく、母を殺してほしかった。
なんで死にたい死にたい言って色々スルーしてきたヤツのせいで死にたくない私が死ななきゃいけないんだよ?と半ばキレていた。
それでも母を殺そうと思わないのが親子の愛……などではなく、父と弟の人生までブチ壊してしまうからだった。私と母ふたりきりの家族だったらもう何年も前に殺しているだろう。
犯罪者の家族は無関係なのに巻き込まれて職を失ったりする理不尽さがこの社会にあるおかげで、殺人を思いとどまったという人は私だけではないと思う。
とにかく感情がめちゃくちゃで、今の自分は頭がおかしいのでいよいよなのだと思った。あとネットの何の責任もとらない人たちの「自殺ダメゼッタイ」みたいなお気持ちポルノみたいなのはやっぱり、自殺する人には意味がなく逃げる理由を探している人にしか効果ねえなとこの時に改めて思った。死ぬしかない理由はそんな事言われたくらいで通常消えてくれはしない。

父と弟が居る時に泣くのはもうやめようと決心していたが、流れ始めた涙が止まらなくて父に泣いているところを見られてしまった。
これが良かったのか、コレがなくても相談に行ってくれたのかは分からないが、この日父は包括センターに相談し、母は家に戻らずとりあえず障がい者等を預かってくれるショートステイでお世話になる事が決まった。

この話を父からきいた時、胸がいっぱいになった。
愛情を感じたからだ。
この時こそ泣くべきだった気もするが、日中に涙が枯れるほど泣いたおかげか幸い泣かずに済んだ。

この出来事のあとはもう勝手に涙が出るだとか諸症状は完全に立ち消え、今まで通りの日常に戻れた。
しかも社会復帰という光を残して。


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