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「窓辺のキメラ」とSNSのサムネイル

こんにちは、むいかです。

先日、「窓辺のキメラ」という志賀耕太さんの展示に行ってきました。


どれも面白かったのですが、特に気に入ったのが「うらをめくるとおもしろいころがあるよ!」という写真作品と「東京可能世界 2022」という映像作品でした。



今回は「うらをめくるとおもしろいことがあるよ!」を鑑賞して考えたことを、一応発信をしている者として、その発信者の立場として述べていきます。

※あくまで私の解釈&感想なので、頓珍漢でもお許しを。




この作品は、入って一番最初に展示されていました。


2017年に企画した展覧会のタイトルより。マクドナルドのトレーに欠かれたこの文字は、無邪気な言葉で「うら」を見るよう促す。こうした直接的な「おもしろいことがあるよ!」という誘いは、実際のところ、裏側が本当におもしろいのか、おもしろくないのかというのにかかわらない。この文言が本展示最初にあることで、展示されている作品は、表層だけでなくなにか「うら」を持っていて、そして「おもしろさ」をもっているというよみの誘いとして機能するだろう。そしてこの読みがこのマックのトレーのように大した意味を持たないという虚無感を与えもするかもしれない
「窓辺のキメラ」パンフレット 「うらをめくるとおもしろいころがあるよ!」


「おもて」で直接的に誘っておきながら、「うら」を見れば実は大したことはない。

素直に、あぁ、なるほど。あるよね、こういうの。と思いました。


直接的な言葉の裏に隠された虚無感は、私達の生活のあらゆるところに顔を出しています。


例えば、私が最初に思いついたのはSNSのサムネイルでした。
昨今、サムネ詐欺とは言わずとも、サムネオチ的な部分を感じる発信はたくさん存在します。


YouTubeの「お知らせ」は大抵たいしたお知らせじゃないし、「閲覧注意」はそこまで注意じゃない。

Instagramの「アレ」「これ」「〇〇」は隠すほどでもない。

Twitterの「一番大事なのはプロフを見て」は結論は最初に言うべきだし、結論が全部同じ内容のもの発信しているの?と突っ込みたくなる。
(Twitterはサムネじゃないですが、表面的という意味で。)



もちろん、マーケティング戦略として効果が見込める部分もありますし、自分自身が情報発信をしていく上で、似た戦略を取ることもあります。


ただ、間違いなく虚無感。私が情報発信をしていなかった頃なら、どれも全部許せなかったと思います。

適当な言葉遊びで釣っているんじゃない、と。



少し前の私ならブチギレ案件ですが、最近は一見簡単そうに釣っている言葉ですらも、ちゃんと考えて使っているのだろう。ということが理解できるようになりました。
(たまに無思考で使用してるパターンも見かけますが…)


やっぱり視聴者側のリテラシーも少しづつ上がって来ていますし、ただ単純に使用するだけでは通用しなくなっているんですよね。

だからこそ、もしこうした直接的な言葉を使うのであれば、ちゃんと中身を伴わなければならない、と強く思います。

虚無感は、「おもて」と「うら」の乖離によって引き起こされ、それを埋められるのは「うら」にあたるコンテンツそのものの価値しかない。



この莫大な虚無感を新しく生み出さないようにしなければ、と個人的に少しチクリと刺された作品でした。

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