ポッドキャスト|AIラヂオ011後編|【書評】『情報環世界』ドミニク・チェン等著|人間とAIがまったく違うといえる理由【文字起こしつき】
みなさま、こんにちは!テック系フリーランスライターの五条むいです。
テクノロジーとの共生でハッピーになりたいHarmonic Society株式会社の師田賢人と、新たなジョブを開拓中のテック系フリーランスライター・五条むいが、ゆるく愉しくお届けする〈AIラヂオ〉をお届けします!
今回は初企画としての「書評」を行っています。
取り上げる書籍は、ドミニク・チェン等著による『情報環世界』です。
個人的に五条が、繰り返し読み続けてきた印象深い本として取り上げさせていただきました。この本を読めば、「人間とAIはまったく違う存在」だといえる理由が、くっきり、はっきり、わかりますよ。
ポッドキャストは、〈AIラヂオ〉のWebサイトから配信しています。
ところで五条は、業務がピークになり、〈AIラヂオ〉をおやすみさせていただくことになりました。〈AIラヂオ〉は今後も続きますので、引き続き、応援よろしくお願いいたします。
文字起こしもついてます。それではよろしければ、しばしお立ち寄りください。
AIラヂオ011後編の文字起こし
(前編からの続き)
五条:まず松岡正剛さんがおっしゃった「われわれは、自然界の本来の情報を変形して知覚してる」とていう話についていうと、ユクスキュルが、たとえ話を出してるんですね。
花が咲き乱れる野原を前に、ユクスキュルが語るんです。
野原に住む動物たちの体を包む、ひとつのシャボン玉を考えてみてくださいって言うんですよ。このシャボン玉が、その動物の『環世界』です。
動物たちは、そのシャボン玉、つまり『環世界』を通して世界を認識するんですけど、実はその環世界を構成するのは、体のサイズとか知覚機関の特性、たとえば目とか耳とか。その時々のお腹がすいたといった欲望といった、身体的な条件なんです。
だから空腹のハチには、開いた花しか見えませんし、その花の見え方は、もちろん人間のものとは違います。もっともハチは花だと認識してないんですけど。餌だと。
これってすごいことを示唆していて、動物の環世界は人間のものとは違うということと同様に、人間の環世界も、それぞれ違うってことなんです。
ボクたちは隣の人が自分と同じように世界を見ていると思いがちなんですけど、隣にいる人が見てる世界、つまり「その人の環世界」をとおした世界の見え方は、自分とは違うと思った方がいいってことなんですよ。
だから同じ日本社会で似たような環境で、例えば同じ家庭で育った兄弟は、似たような世界の見方や似たような考えを持つ可能性はあるけど、それでも兄弟なのに性格全然違うねって言ったことは、日常茶飯事に起きてるわけじゃないですか。
だから、ましてや違う民族間とか違う宗教間で紛争が世界的に起きてるっていうことは、環世界の考え方からすると当たり前なんですよね。
つまりフィルターバブルっていうのは、人間の存在そのものが環世界の考え方からすると、フィルターバブルなんですよ。
ボクたちはコミュニケーションが成り立ってると思いがちなんですけど、こうやって対談してるボクと師田さんの間ですら、全く違う考え方に基づいてトークしてる可能性が高いんですね。
だからコミュニケーションが成立してると思うことは、奇跡的なことが起きてるか、単に、それは錯覚かもしれないっていうことなんです。
今日は、ユクスキュルが提唱した理論の核心的な部分を、ひとつだけ紹介したいんですけど、それは二つのことに関係していて、
ひとつ目は知覚するっていうか、認識するっていうか、世界を見て理解するといったインプットのことです。
もう一つは、運動するといったアウトプットのことです。
実は人間っていうのは、身体をとおしてインプットとアウトプットが連動してるんですね。
つまり人間っていうのは、「見て、それから動く」し、「動くと、見える」んですよ。「動くと、わかる」というか。
例を挙げると、1本の手頃な木の棒から、仏像を掘り出したい人がいたとします。
その人は1本の木を見て、イメージを膨らませながら、おもむろに彫刻刀を当てて掘り出すわけです。
つまり「見て、それから動く」じゃないですか。
そのように「動く」と、つまり彫刻刀で掘り出すと、その結果が目に見えるわけですよね。
目にフィードバックされるわけです。つまり動いた結果が、イメージ通りであったかどうかが、わかるわけです。
そのフィードバックを受けてイメージと違えば、運動、つまり掘るという行動を修正することになります。
そうやってインプットとアウトプットが身体を通して連動することによって、仏像の掘り出し方がわかるんですよ。
つまり仏像の掘り出し方という、環世界を作り出したってことなんですね。
師田:なるほど。
五条:だから、いずれにしてもボクたち自身の身体っていうのは、知覚、つまりインプットと、運動、つまりアウトプットが、相互にフィードバックし合う、連動の場なんです。
だからボクはいつも「やったことがないことはわからない」とか、「やったことがないことは想像できない」っていうじゃないですか。
その根拠は、こういうことなんです。
師田:なるほど。本でも、他人の痛みはわからないとか。
五条:そうそう、他人の歯の痛みがわかるかどうかって話がありますよね。
ともあれ、いくら1本の木の棒から仏像を掘り出すマニュアル読んでも、実践しなければ、未来永劫、仏像を掘り出し方を習得することはでできないわけです。
生成AIというツールも同じで、いくらマニュアルを読んでも、実際に使ってみなければ、生成AIには何ができるのか体得することはできないわけですよ。
師田:あと、あれですよね。インプットとアウトプットが連動した環世界を持つっていうのも主体であるっていうことの一つの条件なんですよね。
本当はAIっていうのは、そのインプットとアウトプットを、同時に持ってる、つまり環世界を持ってるって言えるんでしょうかね。
五条:そこが今日のボクの結論で、おっしゃったようにユクスキュルは、インプットとアウトプットが身体を通して連動するのが「主体」であり、連動しないのが「客体」だと定義してるんですね。
結論を述べると、だから人間と生成AIは全く違うわけです。生成AIというかAIがですね。
たとえ話をすると、大量の料理の画像を学習して、そこに写ってるものが何の料理であるかを判断するといったそのディープラーニングの学習の話がありますよね。
この場合、大量の料理の画像を学習する、つまり、インプットから始まるわけじゃないですか。
でも現時点のディープラーニングっていうのは、大量の料理の画像を学習するといったインプットがあるのみで、アウトプットとの連動がないんですよね。
師田:なるほどね。
五条:なぜかというと、その料理を実際に使う、つまり口に入れて味わうという運動がないので。
つまりAIは身体を持たないし、だから生活をしたこともないので、AIが自律的に環世界を持つっていうことはないんですね。
師田:ということは、身体性がないと主体にはなり得ないってことですね。
五条:そうなんです。つまり各器官を通して、生活を経験する必要があるわけです。
師田:それはたとえば、AIが人間の五感みたいなものをセンサーによって身につけたとしても同じってことですよね。
五条:ただ将来は、わからないです。連動するようなメカニズムというかアルゴリズムを実装するという可能性は否定できない。
師田:なるほど。AIが身体を疑似的に実装できるとしたら、もしかしたら主体となりうるかもしれないっていうところが、結構、AIと人間のわかれ目とかになってきそうですね。
五条:だから今の段階では、AIは客体だと。つまり主体にはなりえないよねっていう話ですよね。
師田:客体であるということは、主体に対して従属関係で言うと、使われる道具なんですかね。
五条:まさにおっしゃった通り、客体、イコール道具だと考えるべきだと思っていて。
今のAIは、生成AIも含めて、人間の道具としての拡張器だっていうのが、ボクの定義なんです。
師田:でもそれ、本当にそうですね。なんかAIと人間との違いをかなり論理的にというか、本当にはっきりわかったような気がします。
五条:だからボクは、当初からユクスキュルの考え方を知っていたので、AIは拡張器だよねって主張してるんです。
師田:なるほど、なるほど、なるほどね。でも本当にそうだなど。
五条:だから結論を一言で言うと、AIは今の段階では、少なくとも自律的にフィードバックから「わかる」ことをしないということでしょうね。
師田:なるほど。主体にはなり得ず、客体、すなわち道具であると。だから道具である以上は人間が使うという設定のもとで、人間の能力とかを拡張していくものにすぎないってことですね。
五条:だから拡張器として、今は可能な限り、実用化を進めるっていうのが本来なんだろうなという気がしてます。
師田:AIを道具として、拡張器として使っていくと、人間の環世界っていうのは拡張していくものなんですかね。
五条:うん。そういうことを言ってるマクルーハンという人が昔からいて、人間の環世界が世界レベルにまで拡張する時代が、そのうち来るよねって言ってた人もいるわけです。
師田:ただ実際はそうでもないみたいな感じですかね。
五条:今は、さっきの、たとえばSNSで言うと、文字情報のやり取りが中心だねみたいなことがあるわけじゃないですか。
そういった世界レベルにまで、人間の環世界が拡張する可能性を持つ存在として、バーチャルリアリティ的なメタバースが提唱されてきてますけど、こちらもいつも師田さんとお話しているように、メタバースの技術的な限界が、今の段階ではあまりにも強すぎると。
ただ将来的に、世界レベルまで人間の感覚器官が拡張するとか、いつかは宇宙レベルにまで拡張する時代がくるかもしれないですよね。
師田:そしたらもう、それは何か、神みたいな存在になるような気もしますけどね。
五条:スタートレックで、何でしたっけ、ちょっと忘れましたけど、超知性体(ボーグのこと)がいて、もう体すらも持たないで、意識だけが存在するとか。
師田:なるほどね。そんな感じで今回は、AIと人間の違いについて『情報環世界』というの哲学思想書からいろいろ論じてきましたけど、結局は、身体性を伴わないAIっていうのは、今の時点では人間の道具にしかすぎないよねって結論に、今回は至りそうですね。
それにしても書評はなかなかいいですね。一つの理論とかフレームワークに従って何かを論じるっていうのは、すごく今回は面白かったかなと思うので。
ぜひ次回以降も書評など、いい本があったらやっていきましょう。
五条:そうですね、はい、ぜひ。
師田:という感じで、今回、第11回目のAIラヂオをお届けしてきました。
こんな感じで、AIなどの情報技術に関する発信を、毎週、月曜日10時に、ポッドキャスト公開してますので、もし興味を持った方がいましたら、ぜひフォローよろしくお願いいたします。
本日は五条さん、ありがとうございました。
五条:どうもありがとうございました。