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フリーランスが豊かに自立して生きる仕組みの作り方

フリーランスだって豊かに自立して生きたい!

ボクを含めてフリーランスの第一の悩みは〈収入が少ない – 収入が安定しない〉ことです。でも安定した収入が得られることは、本当は最低限の基本的欲求ですよね。この連載記事でいうと〈欲望:短期的願望〉です。それが満たされていないから第一の悩みになっているに違いありません。

でも本当は〈フリーランスだって豊かに自立して生きたい〉のです。安定した収入を得たうえで、もっと自由に愉しく生きたいのです。フリーランスになった人の何人かには、そんな未来を夢見た人がいませんか。なにを隠そう、ボクもそんな一人です。でも厳しい現実に直面して、どこかがっかりしてはいないでしょうか。それもボクです。

フリーランスの実態に関する日米比較調査をみると、米国のフリーランス層の圧倒的な厚みに驚かされますが、それよりも注目すべきはこのことです。

  • 米国のフリーランスの平均報酬額は、日本のフリーランスよりもはるかに高い。

  • 米国のフリーランスの満足度は、日本のフリーランスよりもはるかに高い。尊厳ある仕事をしているとの誇りを持っている。

つまり米国のフリーランスは、日本のフリーランスよりも豊かに自立して生きています。なぜ米国のフリーランスにはできていることが、日本のフリーランスにはできないでしょうか。

本稿ではフリーランスが豊かに自由に自立して生きるための〈新しい働き方〉を支える仕組みとして、〈フリーランスのための複業協同組合〉を提案します。

複業協同組合とは何かを解説した後に、なぜ複業協同組合が必要かを確認し、最後に複業協同組合のつくり方を提案します。フリーランスの厳しい現状に悩んでいる方のための、〈新しい働き方〉のヒントになれることを願っています。

フリーランスのための複業協同組合とは?

図表18.1 複業協同組合の目的と役割

前々回記事〉、〈前回記事〉をはじめとしてこの連載記事で述べてきたことですが、複業協同組合で作り出したい新しい世界(=共生型・持続型・自立型社会)は、ボクたちの社会で主流となっており、ボクたちがいままで常識としてきた〈競争社会〉と、価値観や考え方、働き方やライフスタイルが180度、異なります。

そこではじめに複業協同組合で作り出したい世界観を紹介します。

理想(長期的願望):

この世界における理想とは長期的願望のことであり、〈たくさん稼ぐ:欲望=短期的願望を満たす〉ことではありません。もちろん稼ぐことを否定するわけではありません。ただ欲望を満たすことよりも、理想に近づくことを第一にします。この世界では、愉しく自由で自立した〈心の豊かさを得たわたしたち〉に近づくことを第一の目的とします。

それでも暮らしのためには〈必要十分なお金〉が必要です。だから支出の少ない生活を愉しむことによって、たくさん稼ぐ必要をなくすことを目指します。つまり〈差額=収入 – 支出〉を大きくするように心がけます。その方法はいくつもありますが、ミニマリズムや自給自足に向かうといった、いいコトで持続可能な社会を作る方向に向かうことになります。

目的:

この世界における目的や目標とは、3か月で月5万円の収入を達成するといった(欲望:短期的願望)を満たすことではありません。

〈新しいモノ(作品)やコト(体験)〉を作り続けることによって、理想に〈なる〉ことが目的です。それによって、世界をわずかずつであっても変え続けることが目的です。

あたらしいモノやコトを作り続けるプロセスは、それ自体が愉しく自由なものです。この自由を制約するのは、もはや想像力の限界でしかありません。しかしモノやコトを作り続けることでボクたちの想像力は触発され、理想の未来像がもっと〈見える〉ようになるのです〈連載13〉。

複業協同組合の役割:

前々回記事〉、〈前回記事〉をはじめとしてこの連載記事で述べてきたように、ボクたちは〈目的=理想になるプロセス〉として、新しいモノやコトを作り続けます。仲間同士で分かち合って複業を営んで、みんなでモノやコトを作り、みんなで客や市場を作ります。その活動を〈エフェクチュエーション〉がガイドします〈連載15〉。

複業協同組合の役割は、これら活動の器になることです。これら活動を展開するにあたっての、ベースとなる仕組みを提供することです。

複業協同組合とは〈労働者協同組合(ワーカーズコープ)〉の一種です。本稿の目的は労働者協同組合のことを詳しく解説することではありません。そこでごくかいつまんでいうと、器としての複業協同組合に、労働者協同組合の仕組みを活用しようということです。

労働者協同組合(ワーカーズコープ)とは、仲間同士が共同で出資し経営に参加し民主的に運営する協同組合の一形態です。人と地域(ローカル)に役立つ仕事を自分たちで作ることを目的としています。営利を目的とした事業は行わず、事業で得た剰余金は事業に従事した割合に応じてメンバーに配布します。そして「ともに生き、ともに働く」社会をつくる「協同労働」の理念の実践を目指します。

もちろんみんなで分かち合って複業を営む器として、他の形態をいくつも考えることができます。株式会社や合同会社にしてもいいでしょうし、NPOにする案も考えられます。しかし労働者協同組合の活動の目的や仕組みが、〈共生型・持続型・自立型組織〉を構築するうえで最も適しているのです。

以前、述べたように、島根県海士町の〈海士町複業協同組合〉は、若い世代の移住を阻む〈仕事がない〉の問題を解決するために、仕事を作り出し新しい働き方を支援します。その大きな成果をみるにつけ、複業労働組合の仕組みは魅力的だと思うのです。

なぜフリーランスのための複業協同組合か?

図表18.2 複業協同組合の位置づけ

そもそもなぜ複業協同組合なのでしょうか。これもこの連載記事で検討してきたことですから結論を簡潔に述べたいと思います。

それはフリーランスが個人で〈理想=豊かで自由に自立して生きる〉を目指すことが、いまのボクたちが生きている〈競争社会〉では難しいからです。橘玲が『無理ゲー社会』[1]で喝破したように〈強い個人=上級国民〉になれなければ、いまの社会が〈レッドオーシャン=競争が激しい既存市場〉だから、そもそも安定した収入を望むこと自体が無理ゲーだからです。

もちろん〈強い個人=上級国民〉を目指すことは自由です。いまの競争社会の価値観は、むしろ上級国民を目指すことを後押ししています。

しかしたとえばクラウドソーシング市場で、フリーランスライターとしてクライアントワークを営むボクは〈弱い個人=下級国民〉です。ボクが〈稼ぐこと〉を目的としたとたんに〈レッドオーシャン=葛藤の海〉におぼれてしまうことを書いてきました。

クラウドソーシング市場は究極のレッドオーシャンです。だから稼ぐことを目的としたとたんに〈構造問題=どうにかしたいと思っても、どうにもできない問題〉に直面します。つまりクラウドソーシング市場で〈弱い個人=下級国民〉であるボクは、この〈競争社会=クラウドソーシング市場〉では、そもそも安定した収入をめざすことが無理ゲーなのです。

だから理想を目指して〈共生型・持続型・自立型社会〉に移住したいのだけれども、競争社会が支配的なこの世界では、共生型社会は存在しずらいのです。だから生きづらい競争社会のすきまに、小さな共生社会を作り出す必要があります。そのための仕組みが〈複業協同組合〉なのです。

フリーランスのための複業協同組合の作り方

〈モノやコトの作り方〉ひとつをとっても、競争社会(コーゼーション)と共生社会(エフェクチュエーション)では180度、異なります。だから複業協同組合の作り方も180度、異なるのです。この二つの作り方の違いについて〈連載13〉で書いた内容をまとめましたので御覧ください。

〈与えられたモノやコトから作ること〉と〈新しいモノやコトを作ること〉の違い

このふたつの〈作る〉の違いを、簡単な例〈夕食を作る〉から考えてみます。

図表18.3 コーゼーションの作り方

夕食を作るにあたって〈与えられたモノやコトから作る〉とは、レシピ本やWebなど既に世の中に存在している情報(与えられたモノやコト)から目的(お題・レシピ)を選択した後に、手段(材料や道具)を準備し調理することを意味します。

注目ポイントはこの手順においては、〈既に世の中に存在しているモノやコト(レシピ本やWeb記事)〉から料理を作ることです。つまり新しいモノやコトを作り出す要素がありません。〈創造=クリエイション〉の要素がないのです。過去(既に世の中に存在しているレシピ)の延長線上に、料理を作り続ける活動になります。

図表18.4 エフェクチュエーションの作り方

〈新しいモノやコトを作る〉とは、手段からはじめることを意味します。夕食を作る例では材料や道具など、手持ちの手段を見渡して、レシピを発想しデザインすることです。手段からはじめて目的(お題・レシピ)を創造することを指します。

そして料理の準備を進める中で、新しいレシピがひらめいたら、そのレシピを即興で再デザインするのは自由です。いまのレシピのまま進めるのか、新しいレシピに切り替えるのか、その判断基準は、どちらのレシピの方がときめくかだけです。その新しいレシピで作った料理は、新しい飲食体験(コト)を作り出すこともあるでしょう。

複業協同組合の作り方の違い

図表18.5 コーゼーションの作り方

〈料理を作る例〉とまったく同じです。複業協同組合を作るにあたって〈与えられたモノやコトから作る〉とは、既に世の中に存在している情報(与えられたモノやコト)を検索して〈市場やニーズ、事業機会、案件〉などから目的を選択することを意味します。その後、人材や必要な道具を募集し調達し、必要とされるモノやコトを提供することを意味します。

注目ポイントはこの手順においては、〈既に世の中に存在しているモノやコト(市場やニーズ、事業機会、案件)〉からモノやコトを提供することです。つまり新しいモノやコトを作り出す要素がありません。〈創造=クリエイション〉の要素がないのです。過去(既に世の中に存在しているモノやコト)の延長線上に、求められたモノやコトを提供しつづける活動になるのです。

図表18.6 エフェクチュエーションの作り方

〈新しいモノやコトを作る〉とは、手段からはじめることを意味します。複業協同組合を作る例では〈手段としてのわたし〉を見渡して、事業目的を発想しデザインすることです。手段からはじめて目的を創造することを意味します。

そして事業の準備を進める中で、新しい事業目的がひらめいたら、その事業目的を即興で再デザインするのは自由です。いまの事業目的のまま進めるのか、新しい事業目的に切り替えるのか、その判断基準は、どちらの方がときめくかだけです。その新しい目的で作ったモノは、新しいコト(体験)を作り出すこともあるでしょう。

新しいモノやコトを作るプロセスはどこまでも自由です。〈手段としてのわたし〉から発想して、どんなときめく事業目的がデザインできるのか、誰からも制約を受けません。いまやこの自由を制約するのは、自分の想像力の限界だけなのです。しかも新しいモノやコトを作ることは、ボクたちの想像力をおおいに触発するのです。

「可能態」としてのわたし(たち)

ボクは〈手段としてのわたし(たち)〉を〈可能態〉として理解しています。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、〈わたし(たち)〉が将来的にどのように成長しうるのか、どのような姿になるのか、その潜在的な資源や能力の可能性は、いまは見えないけれども、いまの〈わたし(たち)〉に内在していると考えました。

図表18.7 手段としてのわたし

誰でもはじめの〈わたし〉は弱くて未熟で名もなき存在です。目的や使命はあいまいで、はたして〈わたし〉は何ができるのか。何をすべきなのか。ほんとうのはじめにはわからないのが当たり前です。

でもボクたちには誰しも生きてきた経験があり、歴史があります。その中で培ってきた〈わたしは誰か?=ルーツ〉があります。好きなこと、きらいなこと、得意なこと、苦手なこと、したいこと、したくないこと、世界の見え方が変わった経験、喪失体験、幸せをもらった経験、口に出せない哀しい経験。

コーゼーションでは、はじめに目的や目標を〈与えられたモノやコト〉から選択し、未来を予測することで、目的や目標を最大限に達成しようとします。しかし現実の世界では未来は不確実で予測不能です。だからコーゼーションでは、いままで慣れ親しんできた同じコトを繰り返すことで不確実性に対処しようとします。

しかしインターネットやテクノロジーが世界を激変させる現代において、同じコトを繰り返せば何が起きるでしょうか。1980年代に世界の頂点に立った日本企業が、長く苦しい〈失われた30年〉を過ごし、経済的な後進国に凋落した真の理由はそこにあります。新しいモノやコトづくりで元気な企業が、日本では本当に希少なのです。

つい先走りすぎました。これは【総集編】のテーマでした。

図表18.8 世界は関係と偶然でできている

本題に戻ります。弱くて未熟で名もなき存在の〈わたし〉は、フリーランスが豊かに自由に自立して生きるためには複業協同組合が必要だと考えました。そこで偶然出会った誰かに、その考えを伝えました。

その誰かは複業協同組合を作る活動に、すすんで参画する約束をしてくれました。〈わたし〉はDXやAI、ビジネスモデル研究を専門にしていますが、〈かれ/かのじょ〉はチームディレクションが得意です。しかも〈かれ/かのじょ〉は新しい〈だれか〉を紹介してくれました。その〈だれか〉は〈客〉かもしれないし、あたらしい〈得意〉を持っているのかもしれません。

世界は関係(つながり)と偶然でできているのです。〈偶然の知識・スキル〉や〈偶発的な出来事〉、〈偶然の出会い〉や〈偶然の機会〉との関係(つながり)の中で、可能態としてのわたし(たち)は芽吹いていくのです。

偶発性と交わる中で可能態としてのわたしたちは、新しい可能性を切り開いていくのです。ボクはこれを〈セレンディピティの原則〉と呼んでいます。

複業協同組合を作ることを目的にすることはおすすめしません

生きづらい競争社会に、豊かで自由に自立して生きるための小さな共生社会を作りたい。そのために複業協同組合の堅牢な仕組みの活用を考えることは、ボクたちに深い洞察をもたらしてくれると信じています。

でもはじめから複業協同組合を作ることを目的にすることはおすすめしません。なぜならばはじめのボクたちは、小さな名もなき存在だからです。分かち合いの複業のアイデアを借りてきて、小さな仲間同士で複業協同組合のような活動を始めてはいかがでしょうか。それはきっとプロジェクトのかたちをとるのではないでしょうか。

世界は関係と偶然でできているのです。セレンディピティを信じて、仲間と話し合ってみてはいかがでしょうか。

さてこの連載記事に、いままでお付き合いいただきありがとうございます。次回はいよいよ【総集編】です。第1回のテーマに戻って、題して『【総集編】日本はデジタル敗戦国なんですか?』です。ではまたお会いできれば幸いです。

出所

[1]『無理ゲー社会』橘玲著、小学館新書2021

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