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別れの言葉

ギタリスト、亮弦さんの弔報が今朝届いた。それからその日はずっと亮弦さんのアルバムと、おそらく彼が最後に携わった音源であろうdigdubの曲をエンドレスで流し続けながら、彼のことを考えた。

これから語ることがすべて過去のものだということが悲しくてたまらない。

天才だとか、至高だとか、そんな言葉に収まる人じゃなかった。
彼の音楽を聴いたときにいちばん最初に浮かんだのは、だだっ広い大陸を車で走る光景だった。彼の作る曲はみんなそうだ、ギター一本で奏でられているのにその背景には絶対に揺るがないリズムとビートがあり、そのスピードが前へ前へ進んで景色を流してくれる。それは曲によって海を泳ぐ鯨だったり、大陸をドライブする車だったり、心臓から送り出される血液がみる光景だったりする。彼にしか作ることのできないロードムービーだ。
ライブハウスで演奏が終わったあとに話を聞きにいったことがある。

「曲のイメージってどこから引っ張ってくるんですか?」

「映画かな」

それがどんな映画だったのかもっと聞けばよかったと後悔している。
凄まじい集中力で尖ったオーラを放つ時もあれば、とても脆く感じるときもあったし、かと思えば少年みたいにガハハと笑うこともある人だった。
一緒に飲んだときになぜかガンダムの話になって、

「なんやっけ、あの足のないモビルスーツ。ジオングだ!俺ジオング好きやったー!」

と、大笑いしたあとで、これまたなぜかわからないが癌の治療で毛がなくなったチ◯コをみんなに見せてくれた。本当に底抜けに明るい人だったし、おいそれと触れられない心と魂を持つ人だった。

一日中彼の曲を聞いていて、耳をすませるたびに弦をつまはじく彼の指先のタッチを感じた。そのたびに確かな生身の存在と魔法のような音色を感じるのだけど、次の瞬間、これがもう更新されることはないんだと思い知らされる。
彼のアルバム「INTENSE HEALING」に収録された曲は、一曲一曲が短編映画のようだ。世界観と物語の始まりと終わりが完璧な形で作り込まれている。
だがアルバムのいちばん最後に収められた曲「From South」を聴いたら、おやと思った。この曲だけが物語の途中で終わったように感じる。まだこれから展開していくと思ったのに、音がフェードアウトして終わってしまったのだ。

「俺、もっとギター弾きたいわ」

そんなメッセージが聞こえた気がした。
職業は土方で、独学でギターを学び、話によるとクリックに合わせて弾くこともできないという特異なミュージシャン。唯一無二の音楽世界観を持つ彼は、本当に音楽が好きでここまで到達したのだと思う。

彼が癌を患っていたことは随分前から知っていたし、知りたてのころは心配でたまらなかった。
でも彼は入院することはあっても必ず復活してステージに立ってくれた。それからは心配することはやめて、いつまでも待つことに決めていた。彼は絶対に癌で死なないし、時間をかけてステージに立って音楽を聴かせてくれると信じていた。
亮弦さんも同じことを考えていたと思う。だから、つい先週に開催された「剣乃舞2017」も出演エントリーしていたのだ。

「時間がきてしまった。もう行かんと…」

まるで乗らなくてはいけない飛行機に乗ったように感じてる。このままギターを弾き続けたかったけど、もう行かないといけない。それは生まれたときの約束で、誰にも破ることができない。
わかってるけど寂しいです、亮弦さん。
私と浅井さんのFacebookでのバカバカしい話を読んで「めっちゃ面白いわ」と言ってくれたときは本当に嬉しかった。
私がギター始めたのは亮弦さんのギターを聴いたからでもあって、絶対真似なんてできないけど、いつかギターの弾き方を聞こうと思っていました。
でも別れを言わなきゃなんでしょうか。
今はただ寂しいですよ、亮弦さん。

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