飢えた人には魚の釣り方を教える
魚をそのまま与えるのではなく、魚の釣り方を教えるのが賢者である。
巷で話題になっている漫画バビロン大富豪の教えを途中まで読んだ。
その中にあった。魚ではなく魚の釣り方を教えるのが賢者である。
お金持ちとはお金をたくさん持っているものではなくお金の使い方を知っているものだ。
まったく同じ例えが老子にもある。バビロン大富豪の教えの原本を読んだわけではないから、そっからとったのか、漫画にするにあたってつけ加えられたのか分からない。
しかし、スワミ先生やパタンジャリ先生がいうように多くの聖典(本)――そもそもバイブルというのはギリシャ語の紙の原料を意味するパピルスのその芯をビブロスといい。この文字をかいたパピルスをビブロスに巻きつけたものがビビオンと呼ばれそれがラテン語の複数形でバイブルになったらしい。ややこしい――に記してあることは真実である。
とも限らないが、しかし傾聴に値することだと思う。
傾聴という力は人生において最も大切なことだと、これもまたあらゆる本にかいてある。
例えば論語の六十にして耳順う。孔子ほどの人でも六十にしてようやく達した境地である。
魚の釣り方を教える。しかし、それは賢者の行いである。
ロックンロールのリフに著作権があったらチャックベリーは大金持ちだった。しかし、ロックンロールはすぐに死んだだろう。
チャックベリーが魚の釣り方を教えてくれたからロックンロールは世界中で鳴ったのだ。
美味しい明太子を開発した人はそのやり方をみなに教えた、だから明太子は博多の特産品になった。
アダムグラットンのギブアンドテイク。ギバーが最後には勝つのである。
まずは魚の釣り方を素直に傾聴し、いつの日にかそれを誰かに教える人になりたいものである。